006 合縁奇縁
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身長はルシードより小さいだろうか。腰まで伸びる黒い髪に白い肌。こんな寒いところには場違いな黒いドレス、靴はヒールではなくブーツのようだ。それまでもが黒い。その瞳の赤だけが印象的だ。気のせいか、地面から足が浮いているようにも見える。
「き、君は?」
「こんにちは。私はこの剣の精霊よ」
少女はそう言って目の前にある、地面に突き刺さった剣を手のひらで示す。
精霊。その言葉に、ルシードは一度テオの授業で習ったことがあったことを思い出す。
不思議な力を持った種族。その力は強大でありながら、武器に特殊な効果を授けたりする能力もあるらしい。お伽噺の伝説に出て来るような聖剣も、精霊が勇者と認めた者に授けた剣だったはずだ。宙に浮いて見えるのも気のせいではなく、少女が精霊だからだろうか。
「こ、こんにちは。僕はルシード。近くにあるミレット村に住んでる」
色々なことに驚きながらも、ルシードは挨拶を忘れない。
しかし、村以外の人と話すのは初めてだ。緊張しないわけがない。更に言えば、相手は精霊である。上手く伝わっただろうかと心配だ。
「あら、このあたりには村があるのね。私も行けたらいいのだけれど……ほら、見ての通り、封印されちゃっててね」
「……封印?」
少女には正しく伝わったようだが、ルシードは封印と聞いて怪しく思う。
少女は何か悪いことでもしたのかもしれない。少女の黒ずくめの姿から気になってはいたが、とても聖剣を授けてくれるような精霊には見えず、封印されていることからも、逆に少女が悪い精霊に見えてしまう。封印されているのなら、このまま相手にしないで逃げた方が良いとさえ、思わずにはいられない。
「戦争があって……私はレナード様のもとへと向かっていたのだけれど、敵側の人間に邪魔をされて、ここに封印されてしまったの」
ルシードが逃げようかと迷っていたその時、少女の口から出た名前に、逃げるという選択肢は消えてなくなる。感情は一気に逆転し、少女に興味を持ったルシードは、興奮して聞き返す。
「レナード!? レナードって、あの英雄レナードのことだよね!?」
「ええ、そうよ。あなたもレナード様のことを知っているのね」
少女はルシードが知っていることが嬉しいのか、微笑んだ。
「そりゃそうだよ! 五十年前の戦争を終わらせた英雄……みんな知ってるよ!」
ルシードの声を聞いていた少女は、そこで初めて驚いた顔を見せ、悲しそうに俯いた。
「五十年……そう、もうそんなに経ってしまったのね。最初のうちは、なんとか封印を破れないかと色々試したのだけれど、無理だとわかってからは、力を蓄える為に眠ってることがほとんどだったから……」
「ぁ……知らなかったんだ。ごめん、テオじいから聞いてるのかと思ってた」
ルシードは少女が五十年という月日の流れを知らなかったことに驚く。テオがここに来ていたものとばかり思っていたのだ。もしかすると自分の勘違いで、テオは他の場所に向かったのかもしれないと思いなおす。
「テオじい?」
「あ、えーっと、なんて説明したらいいのかな。村はずれに住んでる人なんだけど……」
自分だけが知っている人物を他人に説明することは難しい。ルシードがどう説明していいのかと悩んでいると、少女は納得したように頷いた。
「……ああ、テオ、ね。もちろん知っているわ。私の知るテオは青年だったから……そうよね、人間は五十年も経てばお爺ちゃんよね」
少女の説明に、ルシードも納得がいった。どうやら少女が知っているテオは、若き日のテオのようなのだ。知ってる青年が、いきなり『じい』の名称付きで呼ばれていたら、すぐに気づかなかったのも合点がいくというものである。
「テオじいとは話をしてないの?」
問題は少女が若き日のテオしか知らないということだ。
「ええ、封印されていなければ問題ないのだけれど……今は封印されているでしょう? そのせいかしらね。彼とは波長が合わないのか、言葉を交わすことができないの。誰かが来た時のために、この場所に人が入ると起きるようにはしていたのだけれど、彼とは会話することができないから感知しても起きないようにしていたのよ。会いに来てくれるのは嬉しいわ。でも、起きていると力を消耗してしまうしね。私が封印されてから五十年、ここへ来た人間は、彼を除くとあなただけよ? 私も久々に話せる相手がいて嬉しいわ」
少女の言い分は理解したが、ルシードの中に新たな疑問が生まれた。
「そうなんだ、それでテオじいとは……。けど、どうしてテオじいは村の人に君のことを話さないんだろう? 僕みたいに話せる人もいるかもしれないし、手伝えば封印だって解けるかもしれない」
ルシードの疑問に、少女は考える素振りを見せ、
「そうね……私は最終決戦へ向けての秘密兵器だったから、人に話せなかった、とか?」
自分の考えを口にした。だが、その答えにルシードは納得できない。
「もうとっくの昔に戦争は終わってるよ」
「なら……彼も私の封印を解くのに色々と試したはずよ。彼はああ見えて結構物知りだし、村の人が知っているとは考えなかった。もしくは村の人に聞いたけれど、封印を解く手掛かりは掴めなかった。そして私の眠りを妨げないよう、誰にも話さなかった、というのはどう? 私はテオじゃないもの……彼の考えまではわからないわ」
少女はルシードの反論に再び考え、別の答えを導き出した。ルシードは今回もその答えに疑問を感じつつも、テオ本人でないと言われてしまえば納得するしかない。それに少女の言う通り、テオは物知りだ。村人に封印を解く方法を尋ねて回っても、誰一人として答えることができる者はいないだろう。
「うーん、それならありえる、かな? 確かにテオじい以上の物知りは、村にはいないしね」
「やけに彼の肩を持つわね。彼とは仲が良いの?」
「うん、テオじいには小さいころから色々教わってるし、尊敬できる人の一人だよ」
嬉しそうに言うルシードを更に喜ばせようとしたのか、少女がまた一つ笑う。
「ふふっ、なら、これは知ってる? 彼はレナード様に私を届けようと、封印された私を解き放ちに来たのよ。まあ、それは成せなかったわけなのだけれど……つまり、彼はレナード様の仲間の一人ってこと」
ルシードが先程から気になってはいたが、なかなか聞けずにいた話が少女の口から発せられた。
レナードの名が出ていたこと、少女がレナードのもとへ向かおうとしてたこと、テオが封印を解こうとしてたことからもしかして? と考えていたのだ。
そうなると、当然テオが書いた本に出てきた登場人物テオも、テオ本人だった可能性が高まる。最後の決戦に登場しなかったのも、彼女の封印を解きにこの地へとやって来たのだとすれば、辻褄が合う。
「ほ、本当に!? テオじいがレナードの仲間!?」
「本当よ」
聞き間違いではないかとルシードが確認すると、少女はにっこりと肯定した。これにはルシードも興奮が収まらない。すぐにでも村のみんなに知らせたかった。
「ありがとう! すぐみんなに知らせなくっちゃ!」
「ま、待って! それはいいのだけれど、一つ私のお願いも聞いてもらえないかしら!?」
少女は慌ててルシードを呼び止めた。封印されて五十年。この機会を逃せば、次はやってこないかもしれないのだ。ルシードを呼び止めようとする声からも、必死さがにじみ出る。
そんな少女の気も知らず、早く村へ帰ろうと少女に背を向けたルシードは、少女の呼び止める声に慌てて足を止めた。
浮かれて忘れていたが、少女は封印されているのだ。起きているのにも力を使うと言う。何かお返しができるのならしたかった。
「ご、ごめん、君は僕に色々教えてくれたのに蔑ろにして。僕にできることはあるかな?」
「ええ、実は私の封印を解くお手伝いをお願いしたいの」
「へ? 封印? 解けるの?」
少女が簡単なことでも片付けるように軽く言うので、ルシードは呆気に取られる。
「私一人では無理よ。けれど、ここにはあなたがいる。あなたと二人でならできるわ」
「そうなんだ!? それなら手伝うよ!」
少女を救える。少女を連れ帰れば、テオも喜ぶだろうとルシードは考え、手伝いを申し出た。
「ありがとう。けれど、一つだけ問題があるわ」
「問題?」
「ええ、剣を握ってみて。大丈夫、封印に弾かれたりはしないから」
少女の言う問題とやらを説明されぬまま剣を握るように言われ、ルシードは剣の柄を握ろうと手を伸ばす――が、まるで何かに阻まれるかのように、伸ばした手で剣に触れることはできなかった。
「え? 何これ? 見えない壁みたいなのがあって、剣に触れない」
ルシードと剣の間には見えない壁があった。剣を中心として円柱のような壁。当然、その剣の側にいる少女は、壁の向こう側にいることとなる。
「封印を守る結界よ。でも、解決策もあるわ……それは契約。あなたには私と契約をして欲しいの」
契約という単語に、ルシードは少女が急に怪しく見える。少女の全身は黒く、とても良い精霊には見えない。
そして同時、昔読んだ本で、人間が悪魔と契約する話があったことを思い出す。
あの本にたとえるなら、少女は精霊ではなく、悪魔なのではないだろうか、もしかしたら死神なのかもしれないとさえ考える。
「契約? えーっと、命とか魂とか、取られたりするのかな?」
ルシードは恐る恐る尋ねるが、少女はきょとんとして笑った。
「ふふっ、命も魂もいらないわ。私のは契約というよりお願いに近いかしら。……私の願いはレナード様のもとへと私を届けること。戦争は終わってしまったけれど、私は今でもレナード様のもとに戻りたいの。私の過ちは一人で向かったこと。同じ過ちは繰り返したくない。あなたにはレナード様のもとへと向かう、旅のお供をお願いしたいってことよ」
英雄を夢見るルシードにとって、少女のお願いは魅力的だ。英雄レナードにも会ってみたい。
だが、賛成はできなかった。テオとの約束がある。
「ごめん、僕は行けない。僕は……弱いんだ。外の世界じゃ生きていけない。テオじいにも止められた。最低でも、あと四年近くは村を出られない」
ルシードの言葉に、少女は少しの間、考える素振りを見せてから口を開く。
「それなら大丈夫よ。私と契約すればあなたに力を授けられる。それに、私を抜いたと知れば、彼も同行してくれるかもしれないわ。そこは相談ね。まあ、最悪四年……は待ちたくないけれど、少しなら待つわ。私もこの機会を逃せば、次があるかわからないしね」
少女の提案に、ルシードの心が揺れる。
「信じなさい。通常、契約していない精霊を人が見ることはできない。でも、私が見えるということは、あなたは選ばれた人間、特別な人間なのよ?」
選ばれた人間。ルシードは精霊である少女にそう言われたのだ。
英雄に憧れる一人の人間として、その言葉には弱い。頷いてしまう。
「それなら……まあ。だけど、本当にテオじいが村を出ても良いって言うのが先だよ。それまで僕は村を出ない」
「ええ、それでいいわ。では、契約を……そうね、まだ私のことを悪魔か何かだと疑っているのなら、声に出した方が良いかしらね」
少女の言葉に、ルシードは思い出す。
読んだ本には、悪魔は契約時に嘘はつかない、だったか、嘘はつけない、と書いてあったのだ。少女が悪魔なのだとしたら、声に出してもらう方が安心できるというものである。
「……そうだね、できればそれで」
「なら、右手の手のひらを私の左手に重ねるようにして、私の契約に納得できたら『誓う』と言うのよ」
少女が左手の手のひらをルシードに向ける。その少女に習い、ルシードは右手を見えない壁越しに、少女の左手へと重ねた。
――すると、見えない壁越しに重ねた手が淡い光りを放ち始める。
「ルシード、あなたは私をレナード様のもとへ連れて行くと誓える?」
少女の言葉は簡単だ。お伽噺に出て来るような呪文も、詠唱もない。
「誓うよ」
一言。ルシードの一言に光がいっそう強まったかと思うと、光は弾けて消えた。
ルシードは右手を見るが、何も変化はない。文字も模様も、契約の証のような物はなかった。
契約に失敗したのだろうかと考えていたところへ、
「これで契約は完了よ」
少女が頷いて見せた。
「成功したの? 何も変化は感じられないけど?」
ルシードが変化を感じられないのもそのはず、実はルシードの黒い瞳が赤い瞳へと変貌していたのだが、ルシードには見えていないだけなのだ。
「私は剣の精霊よ? 力を授けるとは言っても、授けるのは剣。まあ、契約の証として瞳の色が私と同じ赤になったけれど、その程度よ。あなたには見えていないだろうし、帰ったら鏡でものぞいてみなさい、なんならそのへんの氷でものぞけばわかるはずよ。それに、結界が消えてるでしょう? さっきの結界はどちら側からの圧力にも強く別々の者が同時に破壊を試みても無理。そこで、私は契約したことによってあなたとの繋がりを得たの。繋がったあなたを通して、あなたの中の私と結界の向こうにある私との存在を強めた。両側に強い結界でも、高位精霊である私の存在自体を打ち消せるほどの力はなく、弾けて消えたってわけね」
難しいことを説明された気がするが、ルシードの言うべきことは一つだ。
一言で何もかもが解決する、父から授かった魔法の言葉。それは――
「なるほど」
とりあえずわかった振りをしておけばいいのだ。父もそれですべて解決すると言っていた。
あとは少女の言うように瞳の色が変わっているかを、確認すればいい。
その言葉に少女も例に漏れず、ルシードの返事に満足したようだった。
「あとは剣を抜くだけよ。封印は簡単なものだから、剣を抜くだけで解除できるわ」
ルシードは少女に促され、一歩前に出て剣の柄を握る。本当に結界は消えていた。
力を込め、一気に剣を引き抜く。意外にあっさり抜けた剣を持ち、これでいいのかと少女に目をやると――少女は妖美に微笑んでいた。
ルシードは血の気が引く。もしかして騙されたのだろうかと焦る。剣を抜いたら用無しと殺される展開なのかもしれない。背中に冷たい汗が流れるのがわかった。
少女は――
「おめでとう。レナード様のもとへたどり着くその時まで、その剣はあなたのものよ……それじゃあ、私も名乗らないとね」
優雅な動作で、黒いドレスの裾を軽く広げていた。
「私の名前はアルマリーゼ。その剣の名前でもあるわ。短い付き合いかもしれないけれど、あなたの剣よ。アルマでも、リーゼでも好きに呼ぶことを許すわ」
それで満足したのか、姿勢を戻し、
「こんなところかしらね。私も若いから作法には詳しくないの。間違っていたらごめんなさい。それじゃあ、行きましょうか」
一言を残して広間の出口へと歩き出した。
「……え?」
ルシードは自分自身の間抜けな声で我に返り、少女――アルマリーゼの背中に視線を送ることしかできないでいた。
そんなルシードに気づいたのか、アルマリーゼは出口へと進めていた足を止めて振り返る。
「どうかしたの? 村に帰るんでしょう?」
どうやら勘違いだったようだと、ルシードは察した。アルマリーゼも封印から解かれて嬉しかったのだろう。あの笑みがアルマリーゼの最上級の笑みだったのかもしれない。
「あ、ご、ごめん、今行くよ。それと、こちらこそよろしく、アルマ」
好きに呼べとは言われたが、ルシードはアルマと呼ぶことにした。
アルマリーゼは気づかないだろうが、先程疑った意味を込めて謝り、アルマリーゼと並んで氷山の入り口へ向けて足を進めた。
「見た目より軽い剣だね」
横穴から出たところでルシードは剣を掲げるが、重さをほとんど感じない。
「私と契約しているからよ。普通の人間には重く感じるし、錆びた刀身より斬れないでしょうね。……ああ、本当は必要ないのだけれど、抜き身じゃ危ないわね」
そう言ってアルマリーゼがパチンと指を鳴らすと、一瞬にして剣に鞘が追加された。これも黒い。ルシードは最初、アルマリーゼが悪い精霊なのではないかと疑ったが、アルマリーゼは黒が好きなのかもしれない。もう気にする必要もなかった。
それよりも、今のが魔法なのだろうかと考える。それとも、アルマリーゼは剣の精霊だからセットみたいなものかもしれない。気にはなったが、それ以上に知りたいことがあった。精霊の剣には特殊な効果があるのだ。その効果が知りたい。
「この剣にはどんな効果があるの?」
「ふふっ、それはね――」
ルシードは尋ねるが、アルマリーゼは何やら説明しようとした途中で言葉を切ると、テオの小屋の方へ視線を移し、指差した。
「何かしら? 向こうの方で、誰かが争っているわ」
「え? あっちはテオじいの小屋が……争い? 誰かと……戦ってる?」
「ええ、この感じは一人相手に複数ね」
「そんな……テオじい!?」
アルマリーゼの言葉を聞き、ルシードはテオの小屋に向かって走り出す。
争い。更にはアルマリーゼは複数と言ったのだ。父たちはまだ帰っていないはず。ならば、テオの身に何かが起こっているに違いなかった。
◇
封印の確認を終え、小屋へと戻っていたテオは、一息つこうと椅子に座ろうとして――動きを止めた。
複数の殺気だった気配が近づいて来ることに気がついたのだ。
テオはゆっくりとした動作で剣を手に取り、小屋を出る。少しの間を待って、その男たちは現れた。村の者たちではない。三十近くはいるだろうか。
「何じゃお前らは? ここに何か用か?」
テオは男たちの中で一人だけ、纏う雰囲気の違う男に向かって尋ねる。
「おう、爺さん一人か?」
男は周囲を見渡し、確認が終えると、最後にテオへと顔を向けた。
「一人みてーだな。実は俺らは山の向こうから来たんだけどよ、ちょっとした噂が耳に入ったんだよ」
「……噂?」
小さな村だが、稀に山向こうの村から人がやってくることもある。
しかし、友好的な村だ。この村に男たちを差し向けるような悪い噂を流したとは思えない。
「なんでも村から外れた辺鄙なところに、爺さんが住み着いてるって言うじゃねーか。そんでその爺さんがお宝を隠し持ってるって言う噂なんだな、これが。こんな寒い山奥で、村から外れて一人で暮らし。確かに怪しいよな? で、俺自ら山の向こうから足を運んだってわけだ」
「そんな物はここにはない」
男の言葉を、テオは即座に否定する。男の言うような宝がここには存在しないことは、テオが一番よくわかっているのだ。おそらくはどこかで尾ひれでもついた話であることは、容易に想像できた。
いや、ただ一つ心当たりがあるとすれば、精霊の剣か。しかしそれさえも、悪人に渡すわけにはいかない。
「そう言うなって。わざわざ出向いたってのに、何もないじゃ、帰れねーしよぉ……おい、ちょっと遊んでやんな」
「へい!」
男に指示され、別の男が前に出る。右手に剣を持ち、テオへ無造作に近づいて来る。
「へへっ、爺さん悪く思うなよ」
男は薄ら笑いを浮かべ、更にテオとの距離を縮める。何も考えていないような足取りだ。
テオは間合いに入った瞬間、右足を踏み込むと同時、袈裟斬りに男を叩き斬った。
「……あ?」
左肩から右腹へと斬られた男は、自分が斬られたことに気づかなかったのか、声もむなしくその場に倒れた。自分が死んだということにも気づいていないかもしれない。
「おー! やるじゃんか! なかなか良い動きだ。ただの爺が一撃で人殺せるのはすげーことだぜ? こりゃ噂に信憑性が出てきた。おい! お前らどんどん行け!」
男に指示され、後ろに控えていた男たちが前に出る。
テオはこの老いた体でこれだけの数を相手できるだろうかと自問するが、やるしかない。
そう考えている今も、男たちが距離を詰めてくる。
待ちを得意とするテオだったが、今この時ばかりは戦い方を選んでいる余裕はない。
テオは一人目が間合いに入るより前に、自分から近づき喉を突く。その勢いのまま更に歩を進め、左手で相手の持つ剣の柄を掴むと、そのまま男と密着した。
喉を突かれて死んだ男を盾に、テオは二人目との距離を詰める。
これを嫌ったのか、二人目の男は自分でも気づかぬうちに三人目の男がいる方へと逃げた。
しかし、それはテオが絶妙な歩幅で動くことにより誘導したものだ。
テオはやはりたいした男たちではないと、盾にした男を蹴り飛ばす。予定通り、蹴り飛ばした男を避けようと二人目の男が横へずれたところで、三人目の男とぶつかり重なって倒れた。そこへ逆手に持ち替えた剣を、二人同時に腹へと突き立てる。
次に一人目から奪った剣を投げ、四人目の頭に命中させた。
足元にいる二人目と三人目の剣をリーダー格の男へ投げたが、躱され後ろの男たちへと命中。
四人目の後ろにいた男たちは躊躇したのか、足が止まる。
これで最初の男を含め七人。やはり老体には堪えるが、問題はない。問題はないが、男たちのリーダーらしき男だけは別格だとテオは判断する。一対一なら負ける気はしないが……。
「おいおい、何やってんだ。誰がホントに遊べっつったよ? 稽古つけてもらいに来てんじゃねーんだぞ? 囲め、囲め、正面から行くな」
男に声をかけられた男たちが広がり、テオを囲むようにして包囲を作る。
テオは完全に囲まれる前にと、まだ人の薄いところへ走り、そこにいた二人を難なく斬り殺した。
後ろから追いかけて来た足の速い者の剣を躱し、これも斬り捨てる。
十、十一、十二。テオは心の中で数を数え、近づいた者から順番に斬っていく。
正面、横からと同時に斬りつけられても、慌てはしない。テオの本来の持ち味はカウンターだ。目の良さには自信がある。テオは相手の剣をよく見て躱し、相手の剣を同士討ちさせるように誘導、味方を斬るまいと剣を止めた隙に両方を斬り殺す。
後ろからの攻撃にも対応は問題ない。目で見ずとも難なく躱し、攻撃が当たらず通り過ぎていく背中に一撃を入れる。
全て一振りで斬り捨てていく。
二十四。テオは一人、また一人と斬り伏せ、二十四人もの男たちを斬ったが、どの男も問題にはならなかった。残すはあと四人。これなら一人でやれる。そう安堵した時、テオの体に異変が起こる――
「お、お頭ァ! もう二十人以上殺られちまってますぜ!?」
「ちっ、何だよ、全然なってねぇじゃねーか。アジトから使えるやつだけ見繕って来たつもりだったのに、レベル低すぎんだろ。こんな田舎で盗みやってるやつらじゃこんなもんなのかねぇ……。しょうがねぇ、俺が……あ? おいおい、どうした爺さん。やけに苦しそうじゃねーか? 老骨に鞭打つのはいいが、無理はよくねーよ」
男は苛立ったように剣を手にしたが、テオの様子を見て、笑みを深めた。
テオは発作で苦しんでいたのだ。思うように動けなくなり、咄嗟に片膝をついて倒れそうになる体を剣で支える。
最近は長時間動くと、上手く体が動かなくなるまでにテオは衰えていた。最後の戦いでかつての力を失い、慣れない土地と寒さの中、五十年も生活できたことの方がおかしかったのだ。
しかし、それでもここで死ぬわけにはいかない。せめてあの男だけは倒しておかなければ大変なことになる。
テオは決意を新たに立ち上がるが、立つのがやっとの状態だ。とても剣を振れるような状態ではない。
「ハハハッ、老人は労わってやらねーとな。今楽にしてやるよ」
男が剣を手に慎重に近づいてくる。その動作に隙はなくとも、普段のテオならば正面から叩き伏せることができるだろう。
男の剣は他の者たちの物よりも長く、間合いも広い。それでも、たとえテオの剣が届かない位置だろうと、普段のテオならばものともしない距離だ。
男はテオに斬りかかろうと動く。テオには男の剣筋が見えている。見えているのに――体が動かない。
一度で良い、一瞬でも良い、本気で打ち込める力が欲しい、とテオは願う。それさえあれば、この男を倒せる。この男さえ倒すことができれば、村にいる老人たちでも男の部下たちなら倒せるはずだ。自分がここで死のうとも、この男だけは道連れに――
「ぐッ!」
――だが、テオの祈りもむなしく、テオが反撃に出ることも、男の剣が誰かに邪魔をされることもなかった。
テオは腹を割かれ、地面に倒れこむ。わざと急所を外したのか、すぐさま死ぬには至らないが、出血は酷い。
「流石にその体じゃ動けんだろ? 俺の勝ちだな。おい! 小屋の中を調べろ。お宝探しだ」
男は倒れたテオを一瞥しつつ、部下たちへ指示を送る。
ほどなくして部下たちが小屋から出てくるがその顔は不満気だ。
「ダメだ、お頭。何もねぇ」
「だ、だから言ったじゃろ、ここには何もないと。ワシは何も隠しておらんし、宝など知らん」
男はテオの瞳をしっかりと覗き込み、
「ちっ、マジかよ。無駄骨じゃねーか」
その瞳から嘘は言っていないと判断する。
「お頭、コイツ嘘言ってんじゃ……」
「俺はこんな田舎に来る前からこの商売やってんだ。目を見りゃ、嘘かどーかくらいわかる。くそっ、参ったな、これじゃ大損だが……あっちはどうだ?」
男の言葉に、テオはまさかと当たりをつける。ここには自分の住む小屋だけではないのだ。先程もそのことを危惧して男を倒そうとした。
テオは男の言葉を確かめようと動かぬ体で必死で口を開こうと思ったその時、男の部下であろう二人組みが、その場へとやって来た。
「な、なんだこりゃあ!」
新たに現れた二人組みが驚く中、男はなんでもないといった感じで口を開く。
「おう! お前ら戻ったか。まあ、気にすんな。使えねぇやつが死んだってだけだ。それで、どうだ? ……村の方は」
「きっ、貴様!」
テオの悪い予感が当たり、体の痛みも忘れて叫ぶが、それを無視して男たちは続ける。
「へ、へいっ! それが村は男連中が狩りに出ているのか、今は女と子ども、それと老人ばかりです。男は入り口に門番が二名」
「おー、いいね、いいね。こいつはいい時に来たもんだ。んじゃ、村行くか。流石に手ぶらじゃ帰れねーしな」
そう言って男は村への道を歩き出す。
「ま、待つんじゃ、村もここと同じじゃ! 何もない!」
「あん? ああ、お宝? へへっ、あるじゃねーか? 女とガキは売れるぜぇ? まあ、イキのいいガキはお前が殺した部下の代わりに俺が飼ってやるから安心しなよ。ハハハハハッ!」
「ぐっ、ま、待て」
剣はどこかに蹴り飛ばされて近くにはない。
それでもテオは両足に力を入れ、立ち上がろうと踏ん張る。
踏ん張るが、普段の数倍にも感じるほど重くなった体は持ち上がってはくれない。
「お頭、コイツ生かしておいていいんですかい? 仲間の仇ですぜ」
そう言って部下の男はテオへ剣を向ける。
「あー? お前、俺の趣味知ってんだろ? 俺は死にかけてるやつを嬲るのが好きなんだよ。おい、爺さん! 帰りもここを通る。それまで死なねぇでくれよ? 戦利品見せてやっからよ。おら、何ぐずぐずやってんだ、行くぞ」
「へ、へい!」
「行かせるものか! たかが腹を割かれただけじゃ、ワシはまだ戦えるぞ!」
村の男たちが狩りから戻るまで少しでも時間を稼がなければならない。テオは言葉だけでもと叫ぶが、男たちは足を止めない。
「元気良いねぇ。んじゃ、村まで来られたら相手してやるよ。待ってるぜぇ?」
言い残し男たちは去って行く。目的地は村だ。
テオは追いかけようと足を出そうとするが、聞いてくれず、前のめりに倒れ込む。
何故こんな時に体が動かないのだと嘆く。何故今なんだ、と。
あとは村の男たちだけが頼りだが、帰って来る気配すらない。早く帰ってくれと強く願うことしかできない自分を、テオは悔やむ。
今も腹から流れ出る血は止まらない――。