005 運命の分岐点
◆
ルシードは目を覚めした。まだ眠いことからも、もしかしたらまだ夜半なのかもしれない。目を薄く開け、窓の方へ目を向けると――外は明るかった。
「う、これだけ眠いってことは、まだ早朝かな。それなら、もう一眠り出来そうだ」
もう少し幸せな気分を味わえる。ルシードはそう思い、目を閉じようとして、違和感に気づいた。
――窓から入る陽射しが、いつもとは違うことに。
ルシードは一気に眠気が吹き飛んだ。ベッドから跳ね起き、窓辺に駆け寄って空を見上げる。
「そんな……嘘だろ!?」
あまりの衝撃に声が出てしまう。
急いで着替えをすませ、部屋を飛び出した。
「母さん!」
ルシードは大声で母を呼ぶ。
母は――
今日も、暖炉の前で椅子に腰掛け、裁縫に勤しんでいた。
「あら、おはよう。よく寝てたわね。そろそろ……んー、夕刻かしら?」
ルシードが慌てたのも無理はない。朝が早いなんてものではなく、すでに夕方が近いようだったのだ。
「お裁縫はもうすぐ終わりだから、このまま完成させちゃうわ。終わったらお父さんお帰り会の準備しなくっちゃ! いつも通りなら普段の夕飯より帰りは遅いだろうけど、お腹は我慢出来る? それとも、朝も昼も食べてないし、何か食べる? お昼は置いてあるわよ?」
マイペースで進める母だが、ルシードはそれどころではない。昨日は色々あったとはいえ、決心した次の日にこれだ。流石にまずい。
「どうして起こしてくれなかったんだよ!?」
「ちゃんと起こしたわよ? 三人が迎えに来た時だってね。それでも起きないんだから、どうしようもありません」
母は両手を広げ、お手上げのポーズ。
「あの三人は?」
「先に行くって言ってたわ。でも、そろそろ帰って来るかんじゃないかしら……」
母はもう一度窓の外へと視線を送り、長年培った経験を元に、やはり間違いないと頷いてみせた。
「テオじいのところに行ってくる!」
昨日、テオとはあんな話をしたばかりなのだ。今日来ないとわかれば、呆れられるかもしれない。謝りに行かねば、とルシードはテオの小屋へ行くと決めた。
「今から? 遅くならない?」
「寝坊したのを謝りに行くだけだよ。すぐ帰るようにする」
「せめて何か食べて行きなさいよ」
ルシードは母の声に、朝も昼も食べていないことを思い出す。しかし、ゆっくり食べている暇はないと、テーブルの上に置いてある布巾のかかったバスケット、その中からパンを一つ手に取った。
「すぐ帰るんだし、これでいいよ。いってきます!」
ルシードはそう言い残し、パンを咥えて玄関へと走る。
「こら! 礼儀悪い!」
母の声を後ろに、ルシードは外套を手に取り家を出た。
◇
「今日もありがとうございました」
「また明日な、テオじい!」
「お疲れ様でした」
「ああ、気をつけて帰るんじゃぞ」
テオは子どもたちを見送る。
子どもたちの姿が見えなくなりそうなところで、
「バイバーイ! テオじいー!」
ラウルがテオまで届く声で、手を振りながら叫んだ。
「まったく、元気なやつじゃ。ワシにもわけて欲しいもんじゃわい」
テオはそうこぼしながらも、しっかりと手を振り返す。
この歳だ。子どもはいないが、村の教え子たちは我が子のように扱ってきた。可愛くないわけがない。
結局ルシードは来なかったが、昨日の今日だ。一日くらいは大目に見てやろうと、テオは笑う。村の男たちも今日には帰って来る。家族でゆっくりするといい、と。
それよりも、今はやっておかなければならないことがあった。
テオはルシードのことから、小屋から見える氷山の一つへと意識を移す。
「何もないと思うが、たまには様子を見ておかんとな」
テオは氷山を目指し、歩みを進めた。
◆
ルシードはテオの小屋までの道のりを急ぐ。
村の入り口でアンガスとニックスに笑顔で見送られ、村を出たところで近道して行こうと、いつもの道を逸れて近道に進む。
普段使う道とは違う。近道だが壁を登ったりもする、険しい道だ。
ラウルはともかく、クララがいる時には絶対に使わない道。
そんな近道を進み、そろそろテオの小屋が見える近くまで来た時、遠くの山道を歩くテオの姿が見えた気がした。
ルシードは、今のはテオじいだろうか、と考える。いつも小屋にいると思っていたが、普通に考えればそんなことはありえない。テオも人間だ。家から出ないはずはないだろう。しかし、姿が見えなくなったこともあるが、ここからでは声が届きそうにはなかった。
いや、そもそも気のせいだったかもしれないのだ。とりあえずテオの小屋へ向かおうとルシードは考え、止めていた足を動かす。
ルシードはそのままテオの目と鼻の先にある小屋を目指し、到着したが、人の気配は感じない。
扉を軽く叩いても返事はなく、窓から覗いても、テオはいないようだった。
「やっぱりさっきのはテオじいだったのか。どこに行ったんだろ?」
普段小屋を離れないテオがいないのだ。どこへ向かったのか、ルシードの好奇心がくすぐられる。
すぐに帰って来るかもわからない。それならば、追いかけてみるのも良いだろう、と誰にするでもない言い訳を考えたルシードは、テオの向かっていた方角へと、足を進めた。
◇
テオは周囲をよく観察し、確認する。
「……誰も来た形跡はないな。中の様子はどうだ?」
一人呟き、氷山の麓にある横穴へと入って行く。
通りなれた道は一本道だ。テオは真っ直ぐ奥へと進み、すぐに目的の場所へと到着した。
そこには一本の黒い剣が突き刺さっている。ただ、それだけ。他には何もない。
テオは剣には触れようとはせず、周囲を回って確認する。
「封印に変化はない……な」
確認を終え、考える。
戦争終結から五十年だ。もはやこいつの出番もない。五十年経っても、結局この地には誰も来なかった。そういうことなのだろう、と。
そう納得したテオは、自分の小屋への帰路につくことにした。
◆
「おかしいな、確かにこっちの方に向かったと思ったんだけど……」
ルシードはテオを追いかけたまではよかったが、道に迷ってしまったようだと、肩を落とす。
複雑な道ではない。帰ろうと思えばすぐに帰ることができるだろう。ただ、テオを見つけることができないだけだ。
ルシードはどうしたものかと、氷山を見上げる。
まさか氷山を登ったわけではないだろう。おそらくは先程の別れ道で、テオとは反対方向へと来てしまったのだ。戻った方が良いかと考えるが、それなりの距離を進んだ上に、それほど大きな氷山でもない。このままぐるりと回って元の道に戻るった方が早いだろうと結論を出した。あわよくば反対の道を行ったテオが歩いて来るかもしれないと考えて。
そのまま歩を進めたところで、ルシードは足を止めた。テオが現れたわけではない。氷山に横穴が空いているのが見えたのだ。
「へえ、ここ横穴空いてるんだ? 中は広いのかな? ……もしかしてテオじいは中か? この土地に来るまで氷山を見たことがなかったって言ってたし、珍しいのかもな」
ルシードはテオが中にいると考え、横穴の奥へと進む。
これだけ氷が厚いと陽の光は入らないかと思われたが、中は明るく、一本道なのも助かった。
そのまま奥へと進み、広い場所へ出たところで、足を止める。中央に気になる物はあったが、先にテオの姿を捜すべく周囲を見渡すも、発見できずに終わる。
しかし、このまま帰るつもりはない。
次に気になった物体、地面に突き刺さっている一本の黒い剣――少し幅広い片刃の直剣へと視線を送る。腹に模様が入った異様な剣だ。見る者を惹きつける、魅力があるようにも感じる。
「なんだこれ……なんで地面に」
「珍しいお客さんね」
ルシードはギョッとして数歩後ろに下がった。広場にはテオはおろか、誰もいないのを確認したにもかかわらず、声をかけられたのだ。
慌てて周囲を見渡し、最後に後ろも確認したが誰もいない。
「こっちよ」
今度ははっきりと正面から声が聞こえた気がしたルシードは、慌てて正面へと向き直る。
「――え?」
そこには地面に突き刺さった黒い剣を杖のようにして立つ、黒いドレス姿の少女がいた。