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精霊再起の簒奪者  作者: 芹沢歩
第一章
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004 母の想い

 ◆


 家までは特に何もなく、ルシードは帰ってきた。村人とすれ違って挨拶した程度だ。カルロたちが無事村に帰ったことも、すでに聞いている。

 しかし、すぐに家に入ることはせず、扉の前で立ち止まり、窓に顔を寄せて確認する。


「泣いたって、わからない……よな?」


 ルシードが窓に映った自分の顔を見ていると、扉の向こうの母と目が合った。

 ゆっくりと扉が開き、母が顔を出す。


「一人で窓とにらめっこなんてして、どうしたの? ……あ、もしかして、お母さんが反対側からやるの待ってた? ごめんね、気づかなくって。やり直そっか?」


「い、いや、別に遊んでたわけじゃないよ」


「そう? 外は寒いでしょ? 早く入って暖まりなさい」


「うん」


 どうやら気づかれなかったようだ、とルシードはホッとして家に入り、外套を脱いで玄関横の外套掛けに掛ける。


「あら? ……何かあった?」


 そこで母が何かに気づいたように言う。

 外とは違い、家の中は明るい。ルシードは涙の跡が残ってたんだろうか? それとも目が赤くなっていたか? と憶測するが、それでも理由を聞くまでは納得できないとばかりに、問い返すことにした。


「な、なんで?」


「ふふっ、今日家を出てった時より、良い男になったかな。大人の顔になってる」


「な、なんだよそれ!? 何もないよ!」


「……好きな子でもできた?」


 母の言葉に、ルシードは子を見る親には成長がわかるものだろうかとも思ったが、見当違いなことを聞かれたおかげで母が自分の様子から邪推したのだろうとわかる。


「何もないって言ってるだろ! お腹が減った! 今日の夕飯は何!?」


「もう、隠さなくたっていいのに。……今日は肉野菜炒めよ、アマンダさんからお野菜を頂いたから、お野菜多め。手を洗ってらっしゃい」


 母はにこやかに軽い感じで言うが、騙されてはいけない。多め――とは例の野菜のことだろう。今日の昼食、テオが野菜を出すと言っていたのも、アマンダが育てている野菜のことに違いないのだ。だから子どもたちは断った。


 村人がアマンダを恐れる理由はここにもある。

 アマンダの作る野菜の中には、とても苦い野菜があるのだ。この野菜が村で採れるようになってからまだ数年だが、今まで作っていた野菜の中でも格別に苦い。

 もちろんアマンダの作る野菜には美味しい物の方が多いが、『この苦い野菜は要らない』などと言えば『この野菜を食べれば風邪を引かなくなる。黙って食いな』と一蹴され、その日のうちに苦い野菜が追加で家に届けられる。文句を言えば拳が飛んでくるかもしれないが、現にこの野菜を食べだしてから風邪を引いた者はいないのだ。みんな我慢して食べていた。

 基本的に新種の野菜の種は、狩りに出た際に商人に出会えれば手に入れてくることが多く、病気などに効く場合は効果を覚えていても、野菜の名前まで覚えている者は少ない。この苦い野菜もそうだ。

 名前がわからない場合はアマンダが適当につけることが多いのだが、『そうだね、名前をつけるなら……ニガイ菜かね』と言った。その場は完全に静まり返ったが、突っ込んではいけない。むしろアマンダもやっぱり苦いと思ってたんだ、という感想の方が大きい。

 皆も苦いと思っていることもあり、あっさりその名で定着した。ルシードは、一度テオに本当の名前を聞いたが、すぐに忘れてしまっている。それほどアマンダのつけた名前には、衝撃があった。


 当然のことながら、ルシードの母もこの野菜が苦手だ。野菜が多めなのは早く消費したいと考えているのかもしれないが、簡単に育つ上、年中採れる。なくなれば、どこからともなく嗅ぎつけたアマンダがやって来るだろう。

 それでも、腐らせてしまってはアマンダに悪いとはいえ、小出しにして欲しい、とルシードは思うが口には出さない。母なりに子どもに腹を空かせまいと考えてのこと……かもしれないのだから。


「明日はお父さんも帰って来るから、お父さんの好きなシチューにするわ。ルシードも好きでしょ? 狩りの結果がよければ、お肉多めよ」


「それは楽しみだ、明日が待ち遠しいね」


「お父さんには、息子は父親の帰りよりもシチューを楽しみにしてたって言っとくわ」


「……何でそうなるんだよ」


 母は冗談のつもりだろうが、この母ならやりかねない、とルシードは思いながらも、父ならそれに気づくはずだと、それ以上は言わない。笑い話ですむなら、少しくらいの冗談は歓迎だった。

 ルシードは手を洗い、うがいを済ませて椅子に座る。食卓の上に並べられた料理を見て――思ったとおり、ニガイ菜が多いことがすぐにわかった。

 しかも、いつもは大皿一つで出される料理が、今日は二皿にわけてあるではないか。どういうことかとルシードが母の皿を見ると、ニガイ菜は全然乗っていない。そこまでするかと、ルシードは突っ込みをいれる。


「今日はお皿が二つなんだね」


 ルシードの声に、母は配膳の手を止めて固まり、ルシードを見た。


「何? その『どうして気づかれたの!?』みたいな顔は。普段大皿から自分の小皿に取り分けて食べるのに、急に個別の皿になってて気づかない方がおかしいでしょ」


「お母さんね、実は今まで誰にも言わなかったのだけれど……」


 ルシードの声が聞こえていないとばかりに無視した母は、頬に手を当てて目を瞑り、深刻そうな顔になった。


「このお野菜が嫌いで、今までは我慢して食べてたの。こっそりお父さんのお皿をよそってあげる時に、ちょっぴり多めに盛りつけてたんだけれど……もうお父さんはいないでしょ?」


 母の動作はかなり芝居がかった仕草に見えるが、そんな自分に酔ったのか、勢いあまって父が死んだ。


「ニガイ菜が嫌いなのは知ってるよ。世間で言うところのてんこ盛りが、母さんの中ではちょっぴりって言うのは、今初めて知った。せめてお肉や他の野菜も乗せてあげようよ、ニガイ菜だけてんこ盛りのお皿を受け取った父さんの『何か怒らせるようなことでもしたか?』って顔が見るに堪えない。僕に被害が及ぶと困るから、その場では何も言わないけどね。……白状すると、僕が自分で取り分けるようになったのは、それが原因だよ。それと、父さんは明日帰って来るってさっき話したばかりでしょ。勝手に殺さないであげて」


 ルシードは一応、突っ込んでおくことにする。このままでは知らない間に殺された父が、あまりにも不憫だ。


「……ちょっと待って、少し言い訳を考える時間をください」


 ルシードの言葉に、母は目を瞑り、左手を額に当てて右手をルシードに向けて制するが、ルシードはこのままでは長引くと思い、話を切り上げることにする。


「……もういいよ。言い訳って言っちゃってるし。食べる。食べます。このままだと話が終わらない気がするし、料理が冷めちゃうよ」


「ふふっ、親孝行な息子に育って、お母さん嬉しいわ」


 ニガイ菜を代わりに食べるだけで親孝行とは、とルシードは思ったが、すぐに思いなおす。

 もし自分に子どもがいて『おとうさん、おやさいきらいなの? かわりにたべてあげるね』などと言われ、食べたあと、苦くて顔をしかめるのを見てしまったならば、馬鹿にできない。いや、間違いなく、なんて親孝行な子なんだと思う自信がある。その場で抱きしめてあげるかもしれない。

 そこで、相手もいないことを棚に上げ、何を考えているんだと気づいてしまい、頭を振って考えを振り払う。

 今は育ち盛りだ。体を動かしたことも重なり、お腹はかなり減っている。苦いとはいえ、食べ物は食べ物。腹に入れてしまえば同じだ。

 ルシードは嫌いな物から食べようとニガイ菜を口に入れる。苦い。先人は何故こんなにも苦い野菜を食べようと思い、風邪の予防に良いと気づいたんだ、と恨めしく思う。

 水で無理やり喉に通しながら、気を紛らわせるのに何か話すことはないかと、ルシードは考える。

 今日、テオと話したことが頭をよぎるが、今日は何もなかったと言った手前、あと数年は村を出て行かない、とは言い出しにくい。言えば喜んでくれるだろうが、明日には父が帰って来る。その時でいいだろう、と今日は話さないことにした。

 何か他の話題は、と考え……父のことを思い浮かべる。明日、父がいる時に聞くと、言いたくないことは、はぐらかされるかもしれない。それに、いない間に過去話を聞いてみるのも良い機会だ。聞いてみたかったこともあった。


「父さんのことで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「どうしたの? いきなりかしこまって」


 ルシードの様子に、母は不審に思いながらも、話を聞く態度を取る。


「父さんは、村を出たいと言ったことはなかったの?」


 ルシードは今日まで自分のことばかりで周りが見えていなかった。

 父は村を出たいと言い出したことはないのだろうかと、気になったのだ。


「お父さん? そりゃあるわよ! 急に村を出る! なんて言い出して」


 母の返答はちょっとした驚きだった。そんな様子をルシードは見て取ったことがなかったからだ。


「どうして父さんは村を出なかったの?」


「そうねー、あれは確か……テオさんのところへ行った帰りだったかな? テオさんに呼び止められて、村に帰って来た時に様子が変だったから話を聞いたら、しばらく村は出ないって言ってたわ」


 どこかで聞いた話だ。


「なんでも、テオさんが疲れた様子で『この老い先短いお爺ちゃんに最後まで付き合って』ってな感じの話しだったはず」


 どこかで聞いた話だった。


「まあ、決め手は私なんだけどね」


 母は両手を腰に当て、えへんと胸を張って誇らしげに言う。


「母さんが?」


「お父さんとは幼馴染でね。お父さんとお母さんも、ルシードと同じ十四歳だったわ。お父さんのことが好きで行って欲しくなかったから言ったの『お腹にあなたの赤ちゃんがいるの!』って。一緒にいたくて必死に考えたわ。まだキスもしたことなかったのに、お父さんすっかり信じ込んじゃて。まあ、そのあとすぐにルシードができたわけなんだけれど。子どもを置いて村を出る、とは流石に言い出さなかったわ」


 ルシードは何気にさらっと凄いことを言われた気がした。

 もう子どもではない。子どもの生まれ方も当然のように知っている。

 キスもしたことないのに子どもが生まれて来るなど、信じはしない。

 信じはしないが考える――


 あれは誰だったかと思い返すが、名前も顔も思い出せない。誰かは忘れてしまったが、九歳の時だったのは覚えている。ルシードはある人に赤ちゃんはどうやって生まれて来るのか聞いたのだ。そしてある人も答えてくれた『子どもとは好き合う者同士がキスをすると生まれてくる』と、名前は忘れたが『鳥が運んできてくれるんだ』とも言っていた。

 そこまではいい、それまではいいが、そんなことよりも気になることがあった。

 母は《お腹に赤ちゃん》と言った。赤ちゃんはお腹を破って出てくるのだろうかと考えるが、そんなことになったら母親は死んでしまうのではないのだろうか。それに、お腹を破って出て来るような事態になれば、みんな母親がいないはずだ……また母が冗談を言ったのかもしれない。そうなると、やはり鳥が運んできてくれることになる。

 そこで他の動物はどうだったかと、ルシードは考える。人間と他の動物が同じかどうかはわからないが、参考にはなるはずだ。

 鳥は卵から生まれて来るのを見たことがある。だが、人が卵を温めているのは見たことがない。人は卵から生まれてはこないだろう。そもそもその卵自体、どこから来るのかが不明だ。

 次に牛を思い浮かべるが、牛の卵は見たことがない。毎日見に行ってるわけでもなく、気がつけば子牛が生まれていた時があったのは覚えている。それに牛はキスをするだろうか。犬もそうだ。やはり人間と他の動物は違うのかもしれない。

 そこでルシードは思い出す。この間、近所に住むケイトのところに子どもが生まれていたことだ。その前のはタニアが。その時はどうだったかと思い起こそうとするが、思い出せない。二人とも子どもが生まれる半年くらい前から、急に会わなくなったのだ。少し太ったかな? と思っていたから、恥ずかしくて家から出ていないのだと、ルシードは思っていた。そのあと子どもが生まれたと聞き、お祝いに行った時は、ベッドに横になり、少し痩せたように見えたが、普通に元気そうだった。そうなると、母が冗談を言った可能性が高くなる。

 だが、今思えば子どもの生まれ方を教えてくれた人は、挙動不審だったように思えてならない。何故か周りを気にしながら、小声で教えてくれたのだ。そうなると、キスで生まれるも嘘なのかもいしれない……。

 ルシードは足りない頭を何時になく高速で働かせて考えるが、答えは出ず、考えれば考えるほど、混乱してくる。頼みの綱である本でさえ、今まで読んだどんな内容も、気づけば子どもが生まれていたりしていた。今回ばかりは、役立ってくれそうにはなかった。


「どうしたの? 急に黙り込んじゃって」


 母に呼びかけられ、ルシードは我に返る。

 直接聞いた方が早いだろうか。しかし『そんなことも知らないの?』と、どや顔でこれみよがしにいじって来るのは目に見えている。はぐらかすべきだと判断した。


「い、いや、母さん今まで、歳は内緒って言ってたけど、十四でその後に僕が生まれたなら、今二十八か二十きゅ」


「お野菜のおかわりあるわよ?」


 母の目が細く、そして鋭くなった。本気だ。


「いえ、なんでもありません」


 これ以上はいけないと、ルシードは口を噤む。


「よろしい、今夜ぐっすり寝て忘れなさい」


「はい」


 母の反応からすると、二十九だということが、ルシードにはわかった。しかも三十に近い二十九。別に若いとは思うが、女性に年齢を聞くのは危険だと覚えておいた方が良さそうである。

 しかし、先程の赤ちゃん云々の話しで流してしまったが、テオの話を忘れてはいけない。


「ところで、母さんは僕が村を出るのには反対だったよね? テオじいの話のところはしてもよかったの? テオじいが同じことをするとは考えてない?」


「……ぁ」


 ルシードの言葉に、母は小さく声を出した。どうやら考えていなかったようだ。


「ま、まあ、テオさんも親子二代にわたって同じことは言わないでしょ」


 言うかもね。とは、テオの名誉のためにも、ルシードは声には出さない。


「それに……コホン」


 母がわざとらしい咳払い一つ、珍しく真面目な話をします、といった感じで、姿勢を正した。


「確かにお母さんは反対だけれど、ルシードが本当にそうしたいなら止めないわ。子どもが本当にしたいことを、親が止めてどうするの。応援してあげなくっちゃ。お父さんだって、きっとそう思ってるはずよ。考えたくはないけど、もし……もしルシードが村を出て、私たちより早く……死んじゃって、『村を出たせいだ』なんて言う奴がいたら、『自分の息子はやりたいことに向かって精一杯頑張ったんだ、それの何が悪い』って言ってぶん殴ってあげる。自分の選んだ道だもの、ルシードも後悔しちゃダメよ? 私はちょっぴり泣いちゃうかもしれないけど、それは許してね? まあ、会えなくても元気でいてくれるのが一番だけどね」


 いつも以上にやさしい声で、そんなふうに言われてはどうしようもない。

 今日は泣きたくなることばかりだ。

 いつもは子どもみたいな人なのに……母さんには本当に敵わないな、とルシードは思う。


「ありがとう、母さんのちょっぴりはてんこ盛りだからね。僕も悲しい思いはさせたくない。じっくり考えて、明日には答えを出すよ」


「ふふっ、待ってるわ」


 本当はもう決まっているのだが、やはり父がいる時に言うのがいいだろう。

 それに、今日は色々ありすぎて疲れてしまった。母の会話がトドメとなったが。またとんでもない話題になるのは避けたい。そのあとは無難な話で夕飯を終えた。



「ごちそうさま、今日は疲れたから、お風呂に入って寝るよ」


「あら? 今日は早いのね。待ってて、すぐに用意するわ。お風呂のお湯の番はお母さんに任せなさい。ルシードが上がったあと、お母さんもすぐに入っちゃうから、今日は気にしなくていいわよ」


「……ありがと、母さん」


 この地方は寒い。誰かが薪を足さなければ、すぐにお湯が冷めてしまうのだ。

 だが、それでも今日は母に気づかれぬよう、ありがとうに別の意味を込めて言った。


 ◆


 ルシードは寝る準備を終えて部屋に戻り、ベッドに大の字になる。気を抜くと今にも寝てしまいそうだったが、今日あった出来事を思い出し、考える。

 テオのことだ。まさか父にも同じ話をしてたとは驚きだった。テオの演技には、ルシードもすっかり騙されてしまっていた。いや、ルシードの場合はラウルが成人を迎えるまでだったはずだ。その点は違ったが、母も話を全部聞いたわけではないだろう。それに、テオも父の時のように、ルシードに何かあって、結局村を出ないと期待したのかもしれない。

 最初のテオが亡くなるまでという話で考え、ルシードは頭を振る。テオのことだ。なんだかんだと百歳まで生きるかもしれない。そうなると約三十年だが、それも悪くないだろうという考えに至る。その時にまた考えればいいと……。


 ルシードはそこで限界を迎え、眠りに落ちていった。今夜はよく眠れそうだった。

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