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精霊再起の簒奪者  作者: 芹沢歩
第一章
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003 親の心子知らず


 ◆


 一人残されることとなったルシード。それを心配してか、カルロがテオの様子を窺うようにして尋ねる。


「話が終わるまで、待っていましょうか?」


「待たせるのも悪いし、先に帰ってくれて構わないよ」


 カルロは待ってくれると言うが、ルシードはそれも悪いと思い断る。通りなれた道とはいえ、陽が沈んでしまった場合、クララを連れて山道を通るのは少々危険かもしれないと判断したからだ。


「寄り道すんじゃねーぞ、ルシ兄!」


「それは僕のセリフだよ、ラウル」


「ルシードさんも帰りは気をつけて下さいね」


「ああ、クララもラウルが余計なことをしないように頼んだよ」


 それぞれ一言交わし、また何か言いそうになったラウルより先に、テオが先に口を開く。


「出んとは思うが魔獣に出会ったならば、すぐに逃げるんじゃ。周囲には気を配って帰るんじゃぞ」


 ミレット村が魔獣に襲われたことは過去に一度だけだ。テオも魔獣が出ることはないとは思うが、それでも言わずにはいられない。


「ええ、わかっています」


「はい、お疲れ様でした」


「へへっ、魔獣が出たって俺がやっつけてや――ぐぇ!」


 ラウルの頭にテオの拳が落ちるのはいつものことだと、誰も気にはしない。


「また明日の同じころに待っとるよ」


 そうして三人は帰っていく。

 ラウルは姿が見えなくなるまでルシードとテオに向かって手を振り続けていた。

 今日も無駄な動きが多いと注意されていたのに、まだまだ元気そうだ、とルシードは思う。


「小屋で話そう」


 テオはそう言ってルシードに背を向け、小屋に向かう。ルシードもテオを待たせまいと、その背を追って小屋へと歩く。


「座りなさい。お茶でも入れよう」


「はい」


 ルシードはテオに言われて椅子に腰かける。

 暖炉に火は点いているし、夕日もまだ出ているが、西日が入らない構造に加え、日が傾き始めていることもあって少し薄暗い。ルシードはランプは点けないのだろうかと考えつつも、見慣れた部屋をぐるりと見渡す。

 小屋の中は至って普通だ。村の一般的な家との違いはない。違うといえば入り口と風呂、トイレ以外に扉がないくらいか。特に変わった物もない。一人で暮らすには不自由しないだろう。


「飲みなさい」


「ありがとうございます」


 ルシードはテオに出されたお茶を受け取り、礼を言う。

 テオはルシードが一口にしたところで隣の椅子に腰かける。向かいの椅子ではなく、隣の椅子に座るのは、とても大切な話がある時だ。

 テオ曰く、『机越しで本音は出てこん。膝を突き合わせ、相手の目を見て話すことで、自ずと本音で語り合うことができる』とのこと。

 そこでテオが、湯飲みを口に運ぶ姿を見たところで、ルシードは気がついた。

 テオが大量に汗をかいているように見えたのだ。今日は久しぶりに体を動かすと言っていたので疲れたのだろうか。こんなに疲れた様子を見せるテオは、初めてだった。


「今も十五で村を出る決意は変わらんか? ……ワシもお前の両親のように賛成はできん。このまま十五まで成長し、村を出ても野垂れ死ぬのが関の山じゃろう」


「……え?」


 初めて目にするテオに気を取られ、ルシードは言われたことを理解するのに時間がかかる。


「今までも成人を迎えたら村を出たいと言い出す者はおった。当然反対したが、黙って出て行くのは止められん。……その誰もが、風の便りで道半ばに倒れたと聞く。戦争は終わったとはいえ、魔獣はおる、追い剥ぎを生業にしとる者もおるじゃろう。戦争が終わり、行き場をなくした者は特に危険じゃ。お前は物覚えは良いが、腕は至って平凡じゃ、死ぬとわかっている者を行かせたりはできん。残された者はどうする? お前が死んだと聞けば、両親はひどく悲しむじゃろう、あの三人もお前が誰かに殺されたとなれば、復讐に駆り立てられ、同じ道を歩むやもしれん」


「それは……っ!」


 ルシードは何も言い返せなかった。本当は自分でもわかっていたのだ。

 あの三人に対しても、兄貴分として少しでも格好良いところを見せようとしていただけに過ぎない。

 ただ英雄に憧れ、世界を夢想し、願望を抱いただけだ。

 このまま成人を迎えても、この村で生きていくんじゃないか……と、幾度となく考えたことがある。それでも理想を信じ、自分を奮い立たせてきた。

 しかし、かつて世界を見てきたであろう先駆者に真正面から現実を突きつけられたのだ。返せる言葉などなかった。

 ただ俯き、悔しさで歯を食いしばったが、目から溢れる涙は止まってはくれない。

 そこで、ふと肩に温かい物が触れた。テオの大きな手だった。


「だが、気持ちはわかる。ワシも若いころは世界を夢見て無茶したもんじゃ。既に戦争の火種は各地にあったが、ワシの住む王都は比較的安全じゃった。これから戦争が起こるなどと、疑問に思うほどにな」


 テオは王都で過ごした日々を思い起こす。


「ふふっ、ワシはこう見えてもそれなりの名家で生まれてな、定められた範囲から出ることもなく、外の世界を知らぬまま、ただ騎士になるために厳しく育てられた。外の世界には憧れたが……同時に恐れたよ、現実を知る勇気を、自分の夢見た世界が壊れる恐怖が上回った。騎士学園を卒業すれば、自ずと世界は見えてくる、今急いで見る必要はない。そう、自分に言い聞かせ、今の境遇を甘んじて受け入れておった」


 それはテオにとっても、退屈な日々だった。

 しかし、それも終わりを告げる。


「そんなある日、一人の男がワシの前に現れた。その男は騎士を目指す者たちが集う学園でワシと一、二を争う剣の腕を持っていた。ライバルではあったが、お互いに高めあえる良きライバルじゃった。特に会話をすることはなかったが、剣で語れるような仲じゃった。そんな中、男は何を思ったか『寮を抜け出して城下町へ行かないか?』とワシを誘ったのだ。ろくに話したこともないのに、一言目がそれだ。呆気にとられたよ。しかも、まだ返事をせんワシに背中を向け、歩き出しよった。ワシは何を思ったか、慌ててその背中を追いかけた。必死なあまり、外の世界を知る恐怖など吹き飛んどったよ」


 その時の自分はライバルと同じ顔をしていただろうと、テオは笑う。


「本当はただ、何か切っ掛けが欲しかっただけなのだ。ワシにはその何かが、あいつだった。気がつけばあっさりと寮を抜け出し、城下町におった。そして、初めて外の世界と己の愚かさを知った」


 何があったというのか。ルシードはいつの間にか、テオの話にのめり込んでいた。


「自分の住む街だというのに、想像以上だったよ。夢見た世界などとは比べようにないほど――素晴らしいところだった。今までこの程度のことも知らなかったのか、とな。……今でもあの時の光景は鮮明に思い出せる。そして、その場でその男……レニーと初めて語り合ったよ。ワシとレニーがお互いに親友と認めた瞬間でもあった。レニーもワシと同じ名家の出で、外の世界を知らずに育ったそうだ。外は気になるが、一人では心もとない。そこでワシを誘ったのだと言った。ワシの返事を待たずに歩き出したのは、緊張して居たたまれなくなったそうだ。ついて来てくれて助かった、と……今でもあの時のあいつの顔は忘れられん」


 テオはそう言って昔を懐かしく思い出し、笑っているようだった。

 だが、ルシードには今の話を聞いても、テオの言いたいことがよく理解できなかった。テオの昔話は数多く聞いたが、レニーという名も初めて聞く名前だった。親友だと言うのに一度もだ。いや、それよりも今は村を出るなと言うのに、何故世界を知った時の話をするのかが理解できない。ルシードに諦めろという話ではなかったのだろうか。

 そんなルシードの顔色を窺ったのか、


「ああ、いや、スマン、話が逸れたな。つい懐かしくなって、余計なことまで話しちまった。言いたいことはだな、村の外に出るのを諦めろ……と言うのではない、まあ、半々と言ったところか」


 テオは取り繕うように、続けた。


「それって……」


 ルシードはテオの言いたいことが更にわからなくなり、聞き返す。


「十五で村を出るのは諦めなさい。せめて期限は……ワシが死ぬまで、とは言わん。今ラウルが十一か…………後三年と七月。ラウルが成人を迎えるまで、ではどうだ?」


「……ラウルが成人を迎えるまで」


 やっとテオの言いたいことが理解できたルシードは、テオの言葉を反芻する。


「そうだ、ワシも年を取った。ラウルが最後の教え子となるだろう。ラウルはお前たちに引っ張られて一年早く来とる。お前たちが来ない週末は大人たちが小さな子どもたちを連れて来るので読み書きは教えてはいるんだが、武器は教えられん。武器の扱いは大抵十二からだ。ラウルの次の子が来るのは六年後になる。流石のワシも少々辛い。最近じゃ思うように体が動かん時もある。そう長くはないだろうが……何、ラウルが十五になるまでは生きてみせるよ。そしてその間に、お前が外で生きていく術を、できる限り教えよう。強者に勝てるまで強く、はなれんだろうが、なぁに、逃げ出すことくらい簡単にできるようにしてやる。命からがら逃げようが、生きてりゃこっちのもんだ。次は勝てるやもしれん。……そんなところでどうだ? この老い先短いジジイの最後に、付き合ってはくれんか?」


 ルシードは優しく語りかけてくるテオを見る。

 部屋が暗くてわかりにくい、がテオの汗はまだ引いていないようだった。

 テオは思うように体が動かない時があると言った。今も体調が悪いのだろう。もしかすると、ランプを点けないのも、体調の悪さを気づかれたくなくて点けなかったのかもれない。

 ルシードは恥ずかしさと感謝の気持ちで泣きそうになった。テオの気持ちなど露知らず、今日までやってきた。そんな自分にも気をかけてくれていたことが嬉しかったのだ。

 先程は泣くのを我慢できなかったが、今だけは泣く訳にはいかなかった。言わなければいけない言葉がある。

 そのためにも、溢れそうになる涙をこらえて言う。


「ありがとう、テオじい。テオじいの言う通りにするよ……これからもよろしくお願いします」


「ああ、よく決意してくれた。教えることは山ほどある。明日から忙しくなるぞ」


 テオはルシードの頭を優しくなでる。

 その瞬間、ルシードにはまだまだ言いたいことはあったが、それ以上はこらえきれずに涙が溢れ、何も言えなくなってしまった。


 ◆


 ルシードがひとしきり泣いて落ち着いたところで、テオは声をかける。


「そのままじゃ帰るに帰れんじゃろう、顔を洗ってから帰りなさい。ふふ、今日泣いたことは秘密にしといてやる」


「……テオじいが泣かせたんじゃないか」


 文句を言いながらも、テオが用意した桶に入った水で、ルシードは顔を洗う。水は心底冷たいと感じたが、今はそれが心地よかった。


「ありがとう、テオじい。さっきも同じことを言ったし、他にも伝えたいことがたくさんあるけど、今日はこれで終わりにしとく。次にまた、こうしてテオじいと話す時のために取っておくよ」


「そうじゃな、今日で終わりにするには勿体無い。それに、そろそろ日も落ちる時間だ。完全に落ちる前に帰りなさい。遅くなって心配させると、ワシが怒られてしまうわい」


 ルシードとテオはお互いに笑い、小屋を出たところで別れを告げる。


「テオじい、また明日」


「ああ、また明日」


 そうして小屋を離れる。

 そろそろ小屋が見えなくなる曲がり角で、ルシードがふと振り返ると、テオは同じ位置から動かず、ルシードを見ていた。更にはルシードが振り返ったのに気づき、手を振る。

 ただそれだけのことが、ルシードは無性に嬉しかった。

 けれど、体は大事にしてもらわなければいけない。まだまだ長生きしてもらわねば困る。明日帰る時に見送りは要らないことを伝えようとルシードは心に留め、手を振り返した。

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