017 あの日見た夢の終わり
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「――シード、起きろ! ルシード! マーカスさん! オークウッドまではまだ遠いのか!?」
「――さん! ルシードさん!」
「もう少しだ! それまで呼びかけるのを止めないでくれ!」
ルシードはあまりの騒がしさに目を覚ました。何かあったのだろうか、と上体を起こす。
「んっ……キース、さん? クルトさんも、どうかしたんですか?」
「なっ! ……あ、え?」
「ルシードさん、大丈夫ですか!?」
「おお! よかった、目を覚ましてくれたか!」
いったい何が、とルシードが周囲を確認するも、馬車は走っている。荷台から馬車のうしろを見ても、何かが追ってきている様子もない。
「えっと、何かあったんでしょうか?」
「い、いや、大丈夫なのか?」
「大丈夫とは……僕のことですか? 僕は怪我もしていませんが」
「心配しましたよ! そろそろ村が近いとのことで起こそうとしたのですが、一向に目を覚まさないものですから」
「ああ、聞いたことはないが、魔法を使った影響で昏睡状態になってるのかと思ったよ。お、村が見えたぞ」
ルシードはどうやらまたやってしまったようだ、と申し訳なさそうに頭をかいた。気のせいか、遠くにアルマリーゼの笑い声が聞こえる。
「あ、いえ、すみません。僕は眠りが深いのか、一度寝たらなかなか起きないもので……体の方はなんとも」
恥ずかしそうに言うルシードに、キースとクルトはその場でドカッと腰を下ろした。
「そうだったのか、いや、こちらが悪い。早とちりした」
「今日一番の驚きでしたよ」
「はははっ、心配して損したぜ。よーし、到着だ」
馬車が停車する。
「マーカスさん……か? どうしたんだ、こんな夜遅くに。ん? うしろの三人は……あれ? クレッグ村の警備隊長やってるキースさん? クルトさんもいるじゃないか。もう一人は見かけない顔だが、怪我をしているのか?」
「ああ、ちょっとあってな。キースさんが怪我をしてるが、ルシードは怪我人じゃないから大丈夫だ。それよりもドミニクさんはいるかい? 話があるんだが」
「ドミニクさんか……なら村長のところだろう」
「ちょうどいい。通ってもいいかい?」
「あんたならいつだって歓迎だ、ゆっくりしていってくれ」
マーカスは門番に許可を取り、村の中へと馬車を進ませる。
オークウッド村の広場なのだろう、そこの隅に馬車を停車させて降り、マーカスを先頭に、ある一軒の家の扉を叩くと、中から中年の男が出てきた。
「どうした? 何かあった……ん? マーカスさん? どうしたんだ、一昨日ここを発ったばかりなのに戻って来たのか? うしろの三人は誰だ? 怪我をしているのか?」
「詳しい話は中でしたいんだが、いいかね?」
中年の男性に許可を取り、中へ入ろうとするマーカスを制するようにして、キースが口を開く。
「すまない、マーカスさん。彼も我々が誰かわからなければ中に入れにくいだろう。先に挨拶だけでもしたい」
「そういや面識はないんだったか、気がつかなくて悪い」
マーカスが扉の前から一歩横に退き、道を開けた。そこへ入れ替わるようにしてキースが前に出る。
「本当は先頭に立って訪ねるべきだったんだが、ここへは来たことがなくてな……クレッグ村で警備隊長をやってるキースだ。こちらは補佐のクルト。彼が今回同行してくれたルシードだ」
「クレッグ村のキース? あんたが? ははっ、お互い村の警備隊長だと村から出ないからな。話には聞いていたが、会えて嬉しいよ。そっちの二人もよろしく頼む。ここじゃなんだ、中へ入ってくれ、歓迎するよ。ん? 腕に怪我をしてるのか?」
「たいした傷でもない。それも含めて中で話すよ」
ルシードたりはキースを先頭に家の中へと入り、奥の部屋へと案内される。
部屋の中には老人と中年の女性が並んで地べたに座っていた。
照明もランプではなく、蝋燭を使っていることから部屋全体が明るくはない。
「椅子がなくてすまないが、適当に座ってくれ。――ユッタ、彼らに何か飲み物を用意してくれ。それとキースさんが怪我をしているようだ。替えの包帯と傷薬も頼む」
「わかりました」
ドミニクの言葉に従い、それぞれが開いている場所に座ると、ユッタと呼ばれた女性が部屋から出て行った。
「よく来てくださった。私がこの村の村長やっとります、ドメニコです」
「俺が――あ、いえ、私はクレッグ村警備隊長のキースです。こちらが補佐のクルトで、こちらがルシード。こんな夜遅くに押しかけて申し訳ない」
キースの紹介に、それぞれが会釈で挨拶する。
「いえいえ、気にせんでください。言葉遣いもいつも通りで構いません」
「はい、ありがとうございます」
「ドメニコさん、一昨日まで世話になったな。今夜も宿を借りたいんだが、いいかな?」
「マーカスさんにはこちらの方が世話になっとります。気にすることはない、いつでも歓迎しますよ。あとで部屋を用意させるので、ゆっくり休んでってくだされ」
「はははっ、助かります。商売は好きでやってますんで、そのことこそ気にせんでください」
それぞれの挨拶がすんだところで、ドミニクが口を開く。
「それにしても、ちょうどよかったよ。明日にはクレッグに誰か使いに出そうかと親父と話してたところだったんだ」
「うちの村に? 何かあったのか?」
キースの質問に、ドミニクはニヤリと笑う。
「ここ数日野盗が大人しいだろう? うちの村でも護衛を雇ったんだが、その中の一人がアジトの位置を探り出したいと言ってな。危険だとは言ったが経験があるそうで、昨日の深夜に出て行き、今日の昼頃、無事に戻って来てくれた。そこで報告を聞いて驚いたよ。理由はわからんが、盗み聞きした限りじゃ何人か連れて出てったヴィーノが戻って来ないらしい」
意気揚々と話すドミニクに、四人はなんの話をしようとしているのかすぐに察した。どこも考えることは同じらしい。
「それで良い機会だと思ってな。出てった連中が戻って来る前にできる限り数を減らしたいと思って討伐隊を組もうと考えてたんだ。それで明日にはクレッグとオークウッドに応援を頼もうと、相談してたってわけさ」
「はははっ、それならこちらも良い話ができそうだ」
ドミニクの話を聞き終えたところで、マーカスも笑う。
「ん? そっちでも情報を掴んでたのか? それで応援を頼みにこの村へ?」
「いや、そうじゃない。最初はその予定だったんだが、ここへ来る途中で野盗をすべて退治した。その報告がてら、一晩宿を借りようとここへ来たってわけだ。できれば明日にでも野盗どもの死体を処理する手伝いが欲しいという算段もあるがな」
ドミニクもドメニコも、キースが何を言ったのか理解するのに時間がかかったようだ。呆気に取られたようにキースを見つめ、腰が浮き上がるほどに前のめりになる。
「ほ、本当か!?」
「本当さ。ヴィーノはそこにいるルシードのミレット村を襲って死んだ。連れて行った連中も一緒にだ。それを聞いて俺たちは野盗のアジトを探し出そうと、マーカスさんに手伝ってもらって連中を誘き出そうとしたんだが、全員出てきてしまってな。大変な目にあったが、ルシードの活躍で全員退治することができた」
「そいつはすげぇ! 大ニュースじゃないか!」
「どうしたんですか、大声出して。村の外にまで聞こえてしまいますよ」
先程部屋から出て行ったユッタが、飲み物と治療道具を持って戻って来た。
「ユッタ! 聞いてくれ、大ニュースだ!」
「少しはお茶でも飲んで落ち着いてください。はい、皆さんも……え? あ、あなた血だらけじゃない!?」
最後尾で部屋に入り、更には暗い位置に座ったせいだろう。今にしてルシードの姿に気づいたユッタが驚いて大きな声を出す。
「い、いえ、大丈夫です。怪我はしてませんから」
「ああ、それはルシードの血じゃない。返り血だから怪我はしてない」
ルシードに続いてキースも弁明してくれるが――
「何を言ってるんですか! 自分の血じゃなくても、いつまでもそんな格好でいるもんじゃありません! これだから男連中は! さぁ、お風呂へ行きましょう。今ならまだ温かいはずです。冷めてるようなら言ってくれて構いませんから」
ユッタの剣幕に、誰一人として口を挟めない。ルシードは風呂場へと案内された。
◆
ルシードは風呂から上がり、カバンから着替えを出しながら考える。
村を出てからまだ三日と経っていないというのに、一着ダメにしてしまったのだ。風呂に案内された際にユッタが洗濯してくれると言うのでその言葉に甘えてしまったが、もう着られないかもしれない。汚れてから時間もかなり経った。厳しいだろうと。
ルシードは着替えをすませ、先程の部屋へと戻ろうとして、外が騒がしいことに気づく。
窓から様子を窺うと、こんな時間だというのに、村人たちは大勢広場に集まり、酒盛りの準備を始めているようだった。
外が気になりながらも、ルシードは部屋への道を戻り、扉の取っ手に手をかけたところで、外まで聞こえるほど大きな声で会話する室内の様子を耳で拾う。
「そこでルシードが剣を手に、野盗どもをどんどん斬り飛ばしていってよ!」
「お、おい、マーカスさん。あんた飲みすぎじゃないか? 顔が真っ赤だぞ」
「大丈夫、大丈夫! こんな楽しい席で飲まずにいられるかってんだ。ドメニコさんやドミニクさんにも見せてやりたかったぜ。今までルシードみたいな強いやつは見たことがねぇ!」
「ほう、それは見てみたかったですな。あの若さでそれほどの強さとは、まだ信じられません」
「俺もこの目で見たわけじゃないから、さっき村の連中に伝えるのにも苦労したぜ。マーカスさんに一緒に来てもらえばよかったよ。まあ、今頃村中で大騒ぎだ。すでに広場で宴会してるやつもいたぐらいだ」
「はははっ、それにしてもルシードのやつ、おせぇな。あいつにも解説して欲しいとこなんだが」
ルシードはマーカスたちが今日の顛末を話しているのようだと理解したが、自分のことを褒められてるところへ戻るには勇気がいるものだ。
どうやって部屋に戻ろうか考えていると――
「彼は長年にわたって苦しめられてきたこのあたりの村すべてを救ってくれました。きっと英雄とは彼のような人物のことを言うんでしょうね」
「ああ、今まで大勢の犠牲者が出た。ルシードには感謝してもしきれん。英雄と呼んでも差し支えなかろう。ふっ、彼の英雄レナードもあんな人物なのかもしれんな」
「はははっ、我らが英雄様の誕生だな!」
部屋の中から聞こえてきた言葉に、ルシードの思考が止まる。
扉の取っ手から手を離し、誰にも気づかれないようにゆっくりと歩き出す。
家を出て、大勢の村人に紛れて村の入り口へ。宴会へ行っているのか、門番はいない。
ルシードは村を出たところで、全力で走った。誰にも見つかりたくなくて、森へと入る。
どれだけ走っただろうか。
息を切らせても走ったが、何かに足を取られた拍子に転んでしまう。
「急に走りだして、どうかしたの?」
ルシードの影からアルマリーゼが現れる。ルシードの突然の行動が理解できないと言いたげだ。
「違うんだ……」
ルシードは自分への嘆きと怒りで、声が震えた。
「違う? 何が?」
「僕は英雄なんかじゃない! 僕はキースさんが死ぬんじゃないかと必死だっただけだ! ただ怒りに任せて人を殺しただけだ。そんな、そんなやつが英雄なわけがない! ただの、ただの……人殺しだ」
かつて村にいたころ。英雄を夢見た日を思い出す。
「何が『いつか自分も』……だ。あの時最後まで口に出さなくて本当によかった――僕には英雄を目指す資格すらない」
自分を糾弾するルシードに、アルマリーゼは溜め息を一つつくと、ルシードの頭を胸元へ引き寄せ――
「大丈夫。あなたのことは私が一番わかっているわ。気に病む必要はないの。今は前を向きなさい」
耳に優しく囁いた。その声に、ルシードは不思議と落ち込んだ心に、平静さを取り戻す。
次にアルマリーゼは、そっとルシードから離れて言う。
「ふふっ、若いわね。英雄は人を殺したことがないとでも? あなた……レナード様が人を殺したことがないとでも思っているの? レナード様だって戦争で多くの人間を殺したわ」
諭すようなアルマリーゼの声に、ルシードは驚く。
「何を……? だって戦争は魔族としたんでしょ? なんで人を……」
「勘違いしているようだけれど、あなたの言う魔族は、本当の魔族とは違うわ。あなたの言うところの魔族は……ただの人間よ。ただ魔素の乱れが多く、人間の生き辛い大陸で生まれただけの、ただの人間。魔素の乱れが多いと、強力な魔獣やその上に位置する魔獣が生まれやすい。そんな大陸で生まれた人間が、新しい土地を求めてこの国を目指した」
英雄レナード物語にも、魔族と記されていたはずだ。ルシードはテオが事実を隠そうとしたのかと考えたが、すぐに考えを改める。テオのことだ。レナードを気遣い、いたずらに広めようとしなかったのだろうと。
「けれど、その大陸はこの国の領土じゃあない。この国の人間からしたら、他国からの侵略よ。魔素の乱れが多い大陸を魔大陸と呼び、そこから来たから人間を魔族と蔑称した。戦争になるのは必然であり、レナード様がいたのは最前線よ。たとえレナード様でも、誰も殺さず戦争を終わらせるなんてこと、できるわけがないわ」
呆然とするルシードに、アルマリーゼはなおも続ける。
「それに、あなたが英雄? 笑わせないでよ。こんな田舎の小さな村で呼ばれたくらいで英雄になれるなら、誰も苦労はしないわ。レナード様と比べるなんてもってのほかよ」
ルシードは言われて気づく。確かにその通りだ。田舎の片隅にある小さな村での出来事だ。この程度で英雄になれるなら、世界中が英雄であふれるだろう。
ルシードは転んでうつ伏せのままだった状態から、あお向けに寝返りを打つ。
小さなことで悩んでいた自分が馬鹿らしくなって笑った。
「ありがとう、アルマ。僕が間違ってた」
森の隙間から見える星空を見て、ルシードは思う。
変わる必要がある。少しずつでもいい。いつまでも世間を知らないちっぽけな子どもではいられないのだと。
「アルマ。僕は……俺は変わるよ。大人になる」
「……一人称を変えただけで大人になれると考えているのなら、まだまだ子どもね」
「こ、こういうのは気構えが大事なんだよ」
ルシードは痛いところを突かれ、赤くなったであろう顔を背ける。
「ふふっ、わかっているならいいわ。さぁ、立って。まだ旅は始まったばかりよ。こんなところで立ち止まってなんていられないわ」
ルシードは転んだままの自分を見る。せっかく風呂に入って着替えたというのに、転んで土まみれだ。あまりにも無様な姿に、自然と笑った。
差し出されたアルマリーゼの手を取って立ち上がり、土を払う。
いつしかアルマリーゼへの感謝と、母の外套をアルマリーゼに預けたままでよかったと思う気持ちの方が大きくなっていた。
「これからどうする? オークウッドに戻るの?」
アルマリーゼに言われてルシードは考える。
今はどのあたりだろうか。南に向かって走った気はするが、現在地はわからない。
そこで地図を広げる。
南に行けばキュール村があるようだった。何よりオークウッドには戻りにくい。
「いや、キュールに向かおう。南に走ったから、キュールの方が近いかもしれない」
「わかったわ。それでどうする? もう深夜だけれど、ここで一夜を明かす?」
アルマリーゼの声に、ルシードは頭を振る。少し歩きたい気分だった。
「このまま向かうよ。オークウッドに向かう時に眠ったから、眠くもないしね」
「そう、それならそうしましょう」
ルシードはキュール村へ向けて、新たな一歩を踏み出した。