016 終局
◆
ルシードはあたりを見渡すが、いったい何が起こったのかわからない。剣を呼び出そうとしたと同時、突然世界が闇に塗り潰されたのだ。
まだ夕日は出ていたはずだ。それがいきなり夜に――いや、夜どころではない。何も見えず、何も聞こえなくなっていた。
《剣を抜いて投げても間に合わなかったわ。あなたの投げる剣が届くよりも先に、キースは死んでいた。……仕方がないから、少しだけ手伝ってあげる。ここでキースを死なせると、モニカが悲しみそうだしね》
静かな世界に、アルマリーゼの声だけがルシードの頭に直接届く。
(アルマ? これはアルマがやったのか? いったい何が……キースさん、キースさんはどうなった!?)
《落ち着きなさい、キースは無事よ。今、目と耳を貸してあげるわ》
その言葉とともに、ルシードの世界に色が戻り、音が響く。
「――だこれは!? 急に夜になったぞ!」
「誰かいないのか!? 誰か!?」
男たちは皆、目と耳が使えないのか叫ぶばかりだ。中には混乱のあまり、その場で剣を振り回している者までいる。
「キースさんどこだ!? 無事か!? 返事をしてくれ!?」
マーカスは暗闇の中、木から落ちないようしがみつき、キースを捜して呼んでいた。
キースは――
無事だった。倒れたままではあるが、襲いかかろうとしていた男も足を止め、叫んでいる。声は出さず慎重に周囲を探っている感じだ。
《あの男たちでは、この闇からは抜け出せないわ。魔法耐性が高いか……昔のテーオバルトのように体にオーラのようなものを纏わない限り、闇に阻まれて目も耳も使えない。ふふっ、さぁ、剣を呼びなさい、呼び出して――蹂躙を始めましょう》
アルマリーゼの笑い声がルシードの頭に響き、まるで自分の意識が遠くにあるように感じる。
今、ルシードの中にあるのは二つの感情。キースとマーカスを守りたい気持ちと、男たちへの殺意。
だが、もう守る必要はない。それはアルマリーゼがやってくれる。
ならば――残すは殺意だけ。
「来いッ! アルマリーゼ!」
ルシードは前方へと腕を突き出し、剣を呼ぶ。
自身の影は木々が投げかける影によって見えないが、影を探す必要はなかった。
手をかざした地面から自身の影がはっきりと浮かび上がり、まるで影を撒き散らすように、闇色の風と粒子を振り撒きながら剣が現れる。
ルシードは現れた剣を引き抜き、最後にキースを狙っていた男目がけて走り出した――。
◆
終わってみれば一瞬だった。
男たちはわけもわからず叫ぶばかりで棒立ちだ。防御すら満足にできない男たちを、ルシードは技術など考えない力任せの一撃で叩き斬った。
中には剣を振り回している者もいたが、周囲の味方に当てては死傷者を増やすだけだ。そういう者は後回しにして、目につく者から殺して回った。そして、最後に残った者たちを殺す。それで終わり。
《今ので最後……ね。もういいわ、剣を仕舞いなさい》
ルシードは頭に響く声に従い、剣を地面に沈ませていくと同時、意識が鮮明になる。
キースを殺そうとした男たちに、怒りで頭に血が上って我を忘れていたようだと、自分の姿を見るが、前回同様に男たちの返り血でひどい有様だった。
気がつけばすっかり夜だ。空には星が輝き、月の光が森の隙間から差し込んでいる。もう必要ないと、アルマリーゼが魔法を解いたのだろう。
「す、すげぇな、お前。ほとんど一人でやっちまいやがって」
ルシードの背中に声がかかった。マーカスだ。
その声にルシードが振り返ると、いつの間にか戻ったクルトが、キースの手当てをしていた。
今度は守ることができたのだ。そのことに、ただただ安堵する。
「はい、助けに入るべきかと思いましたが、逆に邪魔になるのではないかと思い、キースの治療を優先させていただきました」
「助かったよルシード。足を引っ張るような感じになってしまってすまない。お前たちが戻るのを待っている間に見つかってしまってな。このザマだ」
どのあたりからかはわからないが、途中で彼らも闇から開放され、目撃していたようだった。
「いえ、僕はキースさんが殺されるのではないかと必死で……」
「はははっ、おかげで助かったよ。ほれっ」
マーカスがルシードに近づき、手に持ったナイフを手渡す。ルシードが投げたナイフを回収してくれたようだ。
「あ、すみません。わざわざ」
「いやいや、俺なんて木の上で震えてただけだ。こんなことしかできなくてすまねぇな」
すでに刃についた血を拭われたナイフを、ルシードは腰とホルダーへと仕舞う。
「ありがとう、クルト。治療はもういい。それより、野盗は今ので全員か? 周りに隠れているかもしれん、注意しろ」
「はい」
注意深く周囲を探るクルトに習い、ルシードも野盗が隠れていないか意識を集中させる。
そこで何かを思い出したように、クルトが声をあげた。
「ルシードさん、確か尋問して聞き出した野盗の数は二十八で間違いありませんよね?」
言われてルシードは思い出す。尋問した野盗から数を聞きだしていたのだ。
そんな肝心なことも忘れていたとは恥ずかしい。
「あ、はい! そうです」
「数えてみましょう。キースは背後に気をつけて座っててください。マーカスさんはルシードさんと一緒にお願いします」
「おう、数を数えるなら俺に任せとけ」
クルトの指示に従い、数を数えていく。
「どうでした? 私は二十一でした」
「僕も二十一です」
「ああ、俺も二十一だったよ」
全員一致なら間違いはないだろう。
「先に倒した二人を入れても足りないな。……ってことは他に五人いるってことか」
「そうでしょうね」
「まだ隠れているんでしょうか? それとも逃げたのか」
三人で考えるが、答えは出ない。とにかく野盗の生き残りがいることはわかった。
「……いや、馬車だ」
「――そうか! あいつらは馬車を襲いましたが、馬には逃げられたはず。だとしたら荷物を守るために何人か残ったに違いない。今も森に入った野盗が戻って来るのを待っている可能性がありますね」
キースの言葉に、クルトがいち早く反応した。
「なるほどな、確かにあいつらが手に入れた荷物をそのまま残して全員で森に入るわけねぇ」
「よし、戻ろう。ルシード、まだやれるか?」
ルシードはキースの言葉に頷く。
「はい、いけます」
「よし、戻るぞ。クルト、馬車の位置は覚えているな? 森へ入った位置とは少しずれるようにして先導してくれ。俺たちが間でマーカスさんは左へ、すまないが俺は左腕が使えん、ルシードには背後とマーカスさんの方にも注意を払ってくれ」
皆はキースの指示に頷き、周囲に気を配りながら歩き出す。
◆
ルシードたちはクルトの案内に従い、ほどなくして馬車の側へと戻ることができた。
最初に森へ入った位置とは違う場所へと身を隠し、月明かりを背にして様子を窺うと、野盗五人が荷台の近くで焚き火をたき、森の方へと不安そうに視線を彷徨わせている。
「五人、これで数が合うな」
視線をルシードたちへと戻したキースが小声で言うので、全員が習う。
「ええ、こちらにも気づいていないようですね。月の位置が私たちの後ろなので、焚き火の灯りだけでは見えていないのでしょう」
「よし、気づかれるギリギリまで近づいて仕掛けよう」
「キースさん、あんた傷は大丈夫かい?」
槍を握り締め、移動を開始しようとするキースの傷を、マーカスが気遣う。
「ああ、左腕は使えんが、一対一なら問題ない。それに足手まといのまま帰ったんじゃ、アルノーとハンスに笑われちまうからな」
キースは冗談交じりに答えるが、ルシードは心配だった。アルマリーゼの助けがあったとはいえ、今回は助けることができたのだ。無理はしないで欲しいところだが、手を出さないでくれと言っても、キースは断固として聞き入れないだろう。
どうしたものかと考えていると、マーカスから声がかかった。
「ところでルシード、聞くタイミングを逃しちまったんだが、さっきの暗くなるやつはお前がやったんだろ? 何をやったかさっぱりだが、もう使えないのか?」
「あれは――」
ルシードはどう答えたものかと逡巡したが、アルマリーゼがこう言えと言っていたのを思いだし、口に出す。
「あれは魔法です。かなりの魔力を使うので、もう使えません」
ルシードは適当に辻褄を合わせて言うが、あの一帯を覆い尽くすほどの魔法だ。アルマリーゼが途中で魔法を解いていたことからも、魔力不足は本当かもしれない。
それに、アルマリーゼがあれから話しかけてこないことからも、眠っている可能性もある。軽々しく使えるとは言わない方が懸命だった。
「まっ! ……魔法? お前、魔法が使えるのかよ、そりゃすげぇわけだ」
大声を出しそうになったマーカスが慌てて口を押さえて小声に戻る。キースとクルトも絶句しているようだ。
「僕は少し使える程度ですが……」
「それでもすげぇよ、この領地内に魔法都市があると言ったが、あいつらは引籠もってて魔法使いなんて街でも滅多に見ねぇ。使ってるところなら尚更だ」
「あ、ああ、驚いたよ。あれが魔法か」
「しかし、もう使えないのなら正面から行くしかありませんね。ここは遮蔽物がありますが、馬車の近くには遮る物がありません。私が二人を相手にするので、ルシードさんも二人お願いできますか?」
キースはやる気だ。自分が三人やるから休んでてくれ、と言っても聞かないだろうと、ルシードは仕方なしに引き受ける。
「わかりました。僕がこちらから近い二人をナイフで狙います。キースさんが真ん中の男を、クルトさんは左の二人、僕がどちらもカバーできるように、うしろから追いかけます」
「私は構いません。ルシードさんなら任せられます」
「俺もそれでいい。すまんな、苦労をかける」
「俺はどうする? あいつらの正面に行って、囮にでもなった方がいいか?」
「いえ、野盗がマーカスさんの方へ行って人質に取られてしまえば厄介です。ここで隠れていてください」
マーカスの提案を、クルトが断る。
「それもそうだな。わかったよ」
「僕がナイフを投げるために、身を乗り出すのが合図です」
「了解だ」
「わかりました」
作戦は決まった。
ルシードたちは夜の闇に紛れ、五人の野盗が視界へ入る位置へとついた。
野盗たちはまだ不安そうに、仲間たちが森へ入った位置を見ている。
ルシードがキースとクルトへ視線を送ると、二人もルシードと視線を交わして頷いた。準備はできたということだ。
ルシードは懐から二本のナイフを抜く。
一度深呼吸をしてから身を乗り出し、こちらを見ていない一番右の男目がけてナイフを投げた――
焚き火が奏でる音により、風を切るナイフの音が響くことはない。ナイフは勢いを衰えることなく男の頭に突き刺さり、あっさりと倒れた。
「あ? お前どうし――」
次いで、二本目のナイフが二人目の頭へと刺さる。
「な、なんだ!?」
「敵が来たぞ! 二人やられた!」
「う、嘘だろ!? 中に入ったやつら、やられちまったのかよ!?」
動揺する男たちに、キースとクルトが迫る。ルシードは腰のナイフを抜き、前を行く二人を追いかけ、いつでも援護できるように注意深く動向を観察する。
キースの槍は仲間がやられたと知り、うろたえる男の心臓へと突き刺さり、抵抗もできずに死んだ。
クルトの方も同様だ。戦うどころか逃げ出そうとする二人の背中を追いかけ、その一人の背中へと剣を振り下ろし、逃げるもう一人へと剣を投げつけ、その背中を貫いた。
「はははっ、なんだよ。作戦なんかいらねぇくらいあっさり終わったな!」
マーカスが木の陰から現れ、ルシードたちへ走りよりながら大声で叫ぶ。
「ああ、まったくだ。こんなやつらに怪我を負わされたとなれば、どの道アルノーとハンスに笑われちまうな」
キースは笑っている。
「ですが、これで死んだ野盗は二十八人。数に間違いがなければ、野盗はすべて退治できたはずです」
投げた剣を回収し、男が死んでいるのを確認し終えたクルトも笑う。
そこで初めて、ルシードも深く息を吐いて笑う。
今回は誰も死なせずに終わらせることができたのが嬉しかった。
しかし、そこへ何かが走り寄る音が轟く。
「な、なんだ!? 何かが近づいてくるぞ!」
キースの声。
足音はルシードたちの方へ、ではない。だとすれば――
「お、お前ら!」
マーカスの声だ。
ルシードが急いでマーカスへと視線をやると――
「はははっ、なんだよ。お前らも隠れてやがったのか」
マーカスの喜ぶ声が、ルシードの耳に届いた。
マーカスの横には馬がいた。馬車に繋がれていた二頭の馬だ。その馬たちが、飼い主であるマーカスへと走り寄っていたのだ。
ルシードたちと同じように森で身を隠し、様子を窺っていたのかもしれない。マーカスが戻って来たことで、馬たちも出て来たようだった。
「……なんだ、馬か。それにしても、今まで身を隠して待っていたとは賢いやつらだ」
「野盗の他にも何かいたのかと思いましたよ」
「僕もです」
マーカスが馬たちと熱い抱擁を交わす姿を視界に、三人で笑い合う。
――もう何も出て来ることはなかった。
マーカスが荷台へと馬を引き連れてくると、ルシードは馬と目が合った気がして、見つめ返す。
「お、おい! 急にどうした!」
急に早足で動き出した馬は、飼い主であるはずのマーカスを引きずり、そのままの勢いでルシードへと近づいて、首を摺り寄せた。
「え、ちょ、ちょっと!」
「はははっ、お前に助けてもらったのをわかってるみたいだな。きっと礼を言ってるんだろう、軽くなでてやるといい」
ルシードはキースに言われて恐る恐るなでてやると、馬は落ち着いたのか、大人しくなる。
「やれやれ、さっきまでの主人との感動の再開はどこ行ったってやつだ。まあ、見捨てようとしたのに、戻って来てくれたことには感謝しねぇとな。これで街まで歩いて帰らなくてすむ」
千切れたロープを握っていたマーカスはその場で盛大に転んでいたが、戻って来てくれた馬に感謝の言葉を投げかけた。
「それは助かります、私なんか少ししか戦ってないのにヘトヘトですよ。……あ、荷台を見てきます。何も運び出されてないといいんですが」
「ああ、頼む。俺も気を抜いたら傷が痛んできた、早く村に帰って休みたいよ」
「それなんだが、キースさんも怪我してることだし、最初の予定通りオークウッドに向かわないか? ここからなら村へ戻るより、オークウッドの方が近い。ここじゃ簡単な手当てしかできてねぇから、オークウッドでちゃんと手当てした方がいい。無理してクレッグに戻るより、オークウッドで休ませてもらって、明日明るいうちに出るのがいいだろ? どの道こいつらの死体を処理するためにも応援が必要だ。オークウッドにも詳しい状況を説明しなきゃならん。キュールやメラーズまではオークウッドから人を回してもらおう」
「それもそうだな。ルシード、すまんがもう少し付き合ってくれるか? アルマリーゼを村に残したままで心配だとは思うが」
「はい、僕は大丈夫です。アルマも状況がわかればこっちに合流してくれるはずですから、問題ありません」
マーカスの提案にルシードも乗る。元よりアルマリーゼは影の中だ。急に村からいなくなったことを訝しむかもしれないが、この際仕方ない。マーカスが居住を構えるダンヴァースに寄ることができないのは残念ではあるが、オークウッドからメラーズ経由でエンバリーを目指すことにした。
「助かる。クルト、荷物はどうだ?」
「荷物は無事です。森に入った連中が戻るのを待ってから運ぶ手はずだったんでしょう」
「馬も繋ぎなおした、いつでも出られるぜ」
荷台の荷物を調べていたクルトが荷台から、マーカスが御者台からそれぞれ顔を出して言う。
「よし、それじゃあ、俺たちも乗り込もう」
「先に乗っててください、投げたナイフを回収してから行きます」
「わかった」
今回投げナイフにはかなりお世話になった。数が少ないのは心許ないが、クレッグ村でマーカスと出会えていたことは幸いだったと言えるだろう。今後も活躍してくれるであろうことから、忘れて行くわけにはいかないと、ルシードは死んでいる男たちの頭からナイフを引き抜く。
「あとは最初に投げた四本は――」
「こっちで見つけといた。地面に刺さったままだったよ」
「ありがとうございます」
ロープを切るために最初に投げた四本を回収しに行くと、すでにマーカスが回収していたようだ。ルシードは礼を言って受け取り、荷台へと乗り込む。
「全員乗ったな?」
「大丈夫だ、出してくれ」
馬車が動き出す。
少しして荷台の揺れとともに、ルシードを睡魔が襲う。
少しだけ、良いよな……。
ルシードはそう思いながらも全員の無事に安堵し、意識を手放すことにした。