011 君と見た星空
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ルシードとアルマリーゼが村を出てから数刻が経った。
現在は村からアルマリーゼがいた方角とは反対――南へと向かっている。
英雄レナードの現在の居場所を知る術がないことからも行く先々で情報を集めながら移動するが、当初の目的地は王都だ。国を救った英雄ならば、王都にいる可能性が高いと、ルシードたちは判断した。途中で情報が入れば、目的地を変更することになるだろう。
おそらくはルシードのいた村が最北端で、封印の場所以降は氷の大地しかないからも、行く必要はない、とアルマリーゼは言う。
ルシードは少し休憩しようと手ごろな岩を見つけ、上に乗った雪を払い落とし、座りながら影の中で休むアルマリーゼに話しかける。
「少し休憩しようか。先はまだまだ長そうだ」
「そうね。村を出てから歩き詰めだし、そろそろお昼かしらね」
アルマリーゼはルシードの影から姿を現し、空を見上げ、太陽の位置から現在の時刻を推測する。太陽はルシードたちの真上にあった。
ルシードはカバンから干し肉を取り出し、齧る。
「僕は村から出たことがないからこの方角で合ってるのか自信がないんだけど、アルマは次の村までどのくらいかわからない?」
「私もこのあたりは知らないのよ。私は故あってレナード様とは別行動をすることになったのだけれど、東からレナード様の――王都より南で起きている戦争の最前線へ向かっていたわ。……でも、途中で戦いに破れ、眠っている間に封印されていた場所まで運ばれていたの。まあ、王都がここより南にあるのは間違いないから、南へ向かっていればどこかで人間に会えるはずよ」
ルシードは周囲にある村を知らないかとアルマリーゼに尋ねたが、アルマリーゼの言葉で彼女が封印されていたことを思い出す。しかし、そうなると当然、封印した人物がいるということになる。
「……ところで、アルマを倒した人ってどんな人なの? 会ったら戦いになる可能性とかは?」
ルシードの問いに、アルマリーゼは少し考える素振りを見せ――
「会うことはないわ。……もう死んでいる」
断言した。
「死んでる?」
「……ええ、あれから五十年よ。種族も人間だし、男で魔法も使えず、不死とは縁遠い」
アルマリーゼは不機嫌そうに言う。自分を封印した相手ならば、良い感情はないのだろう。
ルシードはアルマリーゼの見た目に忘れそうになるが、彼女は五十年前の戦争時からこの姿だったことを思い出す。
しかし、これ以上不機嫌になられても困る。アルマリーゼの弁を信じ、相手が人間で、現在の年齢が六十八を迎えたテオよりも年上だったなら、死んでいてもおかしくないか、と勝手に解釈した。
「そっか。それなら問題なさそうだね」
「ええ、戦争は終わったし、時も経った。私を知る者は少ないわ。誰にも邪魔はされないでしょう」
「了解。それがわかれば十分だよ。それじゃあ、そろそろ行こうか」
ルシードは干し肉をカバンに戻し、水筒の水を飲む。
「あら? それだけで足りるの?」
「まだ先もわからないから、食料は大事にしないと。最初は動物でも取ればいいかと思ったけど、全然姿を見かけない。狩りで遠出するって意味がわかったよ」
「ふふっ、流石にこの寒さじゃ、このあたりに居つく動物はいないでしょうしね。それじゃあ、私はまた影の中にいるから、何かあれば呼びなさい」
「うん、何かあれば言うよ」
ルシードはすべてを終えた時に、アルマリーゼから記憶を返してもらうつもりでいた。彼女が影に入ることで特に自分の体が重くなることもない。早く回復してくれるのなら、影の中くらいお安い御用である。
カバンを背負い、ルシードは再び歩き出す。
◆
どれだけ歩いただろうか、ルシードは昼を取ってから休む間もなく歩き続け、直に陽も沈む。
既に山越えは終わり、平地に入っているが、道という道はない。このあたりは木が多く、遠くまでは見渡せそうになかった。
ルシードは一つ大きな息を吐き、アルマリーゼに声をかける。
「アルマ、だいぶ暗くなってきた。今夜はここで野宿にしよう」
「かなり歩いたわね、疲れてない?」
ルシードの呼びかけに、アルマリーゼはすぐに影から現れた。
「大丈夫、こう見えても鍛えてるからね。夜はかなり冷えるし、魔法で体温を保ってもらっていいかな?」
「ええ、任せておいて」
ルシードはアルマリーゼに魔法をお願いする。日中は母が作ってくれた外套があることからも魔法は遠慮したが、夜は一溜まりもないだろうという判断だ。
アルマリーゼは影から姿を現し、ルシードに手をかざす。実際には体温も上げられるそうだが、直接体温を上げて調整を誤れば大変だ。服自体を温めることにより、体温を保てるだけでもありがたい。
「ありがとう。それと、少し上空を飛んで周りを見てもらってもいい? どこかに灯があれば、人がいる可能性が高い」
「そうね、探してみるわ」
ルシードはアルマリーゼが空へと登って行くのを見届け、停止したところで声をかける。
「どう?」
「あったわ。向こうの方角……灯の数からして村でしょうね。けれど、まだ距離があるわ。今からじゃ無理そうね」
村までの距離を確認したアルマリーゼは空から舞い戻り、地に足を着く。
「そうだね。夜目は利くほうだけど、夜は動かない方がいい。朝になったら向かおう」
「ええ、そうしましょう」
アルマリーゼの許可を得たところで、ルシードは背負っていたカバンを置き、干し肉を取り出して齧る。村を出て一日と経ってないというのに、一日同じ物だと味気なく感じてしまうのは人間の性か。明日は温かい物が食べたいと、口には出さないが思う。
そんなルシードの隣にアルマリーゼは腰掛け、空を見上げる。何を見ているのか気になり、ルシードもそれに見習うと、満月を少し過ぎたあたりだろうか、大きな月が見えた。
そのおかげかあたりは十分明るく、アルマリーゼの魔法で寒くないことからも、焚き火をしなくてよさそうだ。
「ここは星の数が多いのね」
隣から聞こえるアルマリーゼの声に、ルシードは空を見上げていた顔をアルマリーゼへと向ける。
「王都の方は違うの?」
「見ようとも思わなかったわ。……けれど、紛争地帯ですもの。松明の火や、焼け跡の煙でほとんど見えなかったでしょうね」
「そっか。こんなに綺麗なのに勿体無いね。みんなで星空を見上げてたら、戦争なんて馬鹿らしくなりそうなものなのに」
ルシードの言葉に、アルマリーゼは呆れたようにルシードを見て、
「そう考えるのはあなたくらいよ」
バッサリ斬り捨てた。
これにはルシードも黙ってはいられない。
「む、アルマは星を見てどう思うのさ?」
「そうね……」
アルマリーゼは再び空を見上げ、
「ふふっ、確かにこんな綺麗な星空を見ていたら、戦争なんて馬鹿らしくなりそうね」
笑いながら言う。
その笑顔は、ルシードが今まで見た、どの笑顔とも違って見えた。心の底から笑っているふうに感じられ、歳相応の少女のように見えたルシードは、不覚にも見惚れてしまった。
何も返さないルシードを不思議に思ったのか、アルマリーゼはルシードに視線を移す。
「どうかしたの?」
「あ、いや、初めてアルマの笑顔を見た気がして……って何言ってるんだ僕は。そうじゃなくて、今まで見たどの笑顔より良かったからさ、その……ちょっと見惚れてしまった」
アルマリーゼは一瞬、ルシードが何を言ったかわからなかったのか、きょとんとしていたが、再び笑う。
「ありがとう、嬉しいわ……でも――」
「わかってる。そんなつもりじゃない」
ルシードはアルマリーゼの言葉に対して食い気味に言う。どうしてあんなことを言ってしまったのか、ルシード自身にもわからなかった。ルシードの顔は真っ赤だ。恥ずかしくてしばらく一人になりたいところだったが、そうもいかない。
「そうね、私たちはきっとそんな関係にはならない。……でも、今夜のことは忘れないわ。あなたと見た星空も」
「そうだね。僕も忘れないよ」
アルマリーゼの言葉に、ルシードはもう一度空を見上げ、今の光景を心に焼き付ける。
「ふふっ、あなたの真っ赤な顔もね」
「くっ、弱みを握られてしまった気分だ。それじゃあ、明日も早く出たいし、今日はもう寝るよ。おやすみ」
ルシードはまだ眠くはなかったが、これ以上触れられまいと話を切り上げて寝ることにし、近くの岩場から綺麗な場所を選んで横になる。布団はないが、我侭は言えない。
「ふふっ、おやすみなさい。よい夢を……」
アルマリーゼはそれ以上、何も言わなかった。ルシードはアルマリーゼの声を最後に、ゆっくりと眠りに落ちていく。
◆
目が覚め、ルシードは目をこすりながら体を起こすと、すぐにアルマリーゼ声が飛び込んでくる。
「おはよう、よく眠れたみたいね。もう目を覚まさないかと思ったわ」
アルマリーゼの言葉に若干の棘を感じ、目を開いてアルマリーゼを捜すが、理由は聞くまでもなく、すぐにわかった。
「おはよ……いや、ごめん。朝は弱いんだ」
すでに陽は高く、昼にはまだ時間があるかもしれないが、昨夜体を休めた時間を考えると、かなりの時間を睡眠にとっていたようである。
「まあ、昨日は歩き詰めで疲れたでしょうしね。けれど、ピクリとも動かないんですもの。起こしても起きないし、息はしていたけれど、本当に死んでいるのかと思ったわ」
「昔から寝相はいい方なんだ。木に登って寝ても、落ちないかもね」
ルシードは水筒から少しだけ水を出して顔を洗う。冷たいが気持ちいい。
そんなルシードの言葉に、アルマリーゼは呆れ顔で口を開く。
「それで、今日は昨日見つけた村へ行くってことでいいの?」
「うん、そうしよう。すぐに準備するよ」
「あら、ご飯は?」
ルシードは荷物を片付けるべく、いそいそとカバンに詰め込み、干し肉を取り出す。
「歩きながら干し肉を齧るよ。お昼ごろに着ければ、何か食べさせてもらえるかもしれないしね」
「そうね。昨日のペースを考えると……あの距離ならお昼か、少し過ぎたあたりで着けると思うわ」
「よし、行こう」
ルシードはカバンを背負い、アルマリーゼが影に引っ込んだのを確認すると、村の方角へと歩き出した。
◆
遠目で村が見えると、アルマリーゼが姿を現した。
「ここからは歩くわ。このあたりに魔法を使える人間はいないでしょうから、私みたいなのは怪しく思われるかもしれないしね」
「そうだね。ああ、ちょっと待って」
ルシードは歩き出そうとするアルマリーゼを止め、着ているコードを脱いで手渡すが、アルマリーゼは意味がわからないと見返すだけだ。
「何? 別に寒くないわよ?」
「いや、この寒い中でドレス姿も十分怪しいから」
「ふふっ、そういえばそうね。借りておくわ」
アルマリーゼは自分の姿を見下ろすと、それもそうだと外套を受け取り、身に纏う。アルマリーゼには大きいが、問題はないだろう。
「よし、行こう」
村の入り口へと歩みを進める。
「そこで止まれ! この村に何の用だ!?」
ルシードたちが村に近づいたところで、門番であろう二人組みのうちの一人が声をあげた。
手に持った槍をルシードに向け、威嚇までしている。
槍を向けられたルシードは、どうやらすんなり村に入ることはできないようだと、眉をひそめた。