吐き気がするくらい素敵
ゆらめく影が突進してくる。
アリシアは〈カイト〉の機体を間に割り込ませた。
盾としてでもあるし、センサ系を混乱させる妨害手段としてでもある。
アリシアは視点で座標を決定し【フランキスカ】を発射。
〈ヌエ〉の発射した弾頭が、〈カイト〉機を破壊した。
アリシアの発射した弾頭は、影の頭上を通り越して自爆した。近接リミットだった。〈ヌエ〉の機動が、シーカーの作動より早く距離を詰めたのだ。
ゲームパッドで操作する機体は、どんなコマンドでも受けつけるけれど、物理的に機体の安定性を損なう操作はキャンセルされるようになっている。でないと自分の操作で機体がバラバラになってしまう。
どうして? どうしてそれができることがわかるの?
〈ヌエ〉の機動を観察すると、地面のうねりやグリップの高そうな岩盤をたくみに利用していることがわかる。それでも普通のプレイヤーが同じことをやったら、きっと何回も転倒、自滅している。
言うのは簡単だけれど、それは、自転車に乗って飛び石の上をジャンプしていくような、危うい操作だ。
〈ヌエ〉のことは、正直、地味なプレイヤーだと思っていた。操縦技術は高いけれど、堅実、凡庸、退屈。
アリシアは、ようやく今、気がついた。退屈なのは当たり前だ。だって戦況は〈ヌエ〉の考える通りに進んでいたんだから。
もしかして……。
認めたくない事実が、アリシアの脳裏に浮かんだ。
アリシアはこれまで、自分より優秀な人間を、父以外に見たことがない。身体能力でも知性でもそうだ。でも、もしかして……。
あたしより、上かもしれない。
アリシアは唇をかんで、視覚野に集中した。
そんなわけない。
そんなことありえない。
〈ヌエ〉は、アリシアの側面にピタリと機体をはりつかせた。
この状態では、お互いに相手を攻撃することはできない。
「な、なにを」
ヌエ機のアクティブ防護システム発射筒が旋回する。
「うそ」
放たれた無数のタングステンの矢が、アリシアの火器統制センサをバラバラにした。
数えきれないほどのシステムの警告で、視覚野が真っ赤に染まる。
アクチュエータ動作不良。電圧降下。センサ群応答消失。砲塔動作角検出不能。けたたましいアラーム音で聴覚野がフリーズしそうだった。
ほら、やっぱり。殺したんじゃない。
〈ヌエ〉は自分で証明して見せた。人間業とは思えないけれど、アクティブ防護システムで、なにかを攻撃することは可能だ。
猫を被っていたのね。ほんとは大人しくなんかない。
なにもかも喰い散らかしちゃったじゃない。まるで、飢えた獣みたいに。
切断されて、視覚野には、ゲーム機の終了時に表示される【ネブラ・ディスク】のロゴアニメーションが流れていた。簡単な生体反応のレポートと、最近、話題になったゲームの告知。
ヘッドギアを外して目を開くと、そこは少女趣味に飾られた自分の部屋だった。今でもよく覚えている。三年前の誕生日に、父が雇ったコーディネーターが、勝手に模様替えをしたのだ。
母が亡くなったのは、アリシアがとても幼い頃なので、実際には記憶に残っていない。
けれど、アリシアは母の気配がする子供箪笥や、囲い付きの子供ベッドや、汚れたぬいぐるみを、とても大事にしていた。
そういったアイテムは、死んでしまった母がどんなにアリシアのことを思っていたかを、確かに知らせてくれる物だった。
コーディネーターは、そういったアリシアの宝物を、全部、がらくた扱いで捨ててしまった。
それは誕生日のサプライズで、どうだね、気に入ったかいという父に、アリーは、とても素敵、と笑顔で答えた。
明かりを消していたので、部屋にはモニターの光しかなく、エアコンが効きすぎていて、自分の体は冷え切っていた。
アリシアはゲームパッドから、こわばって固まった指を引き剥がした。
ほんと、吐き気がするくらい素敵。
眠る気がしなかった。アリシアはパソコンに向かい、父からもらったクレジットカードで、ユナイテッド航空のチケットを予約した。
日本行きのチケットは、アリシアが思っているより、ずいぶんと高額なものだった。