風変わりな生き物
でも、ほんとうのことを言うと、人道とか、正義とかは、あまり唯斗には興味がない。
『ハルシオン』の存在は、これまでの人類が経験したことのない奇妙な現象には違いないけれど、地球上には、他にも不可解な現象がたくさん存在している。
たとえば生命とはなにか、と聞かれて答えられる人はいない。
自分を保ち、自己複製をする存在だ、と回答すれば、広義ではコンピューターウイルスだって生命に該当してしまう。南米の謎の生物、チュパカブラも正体はわかっていないし、UFOの存在はいまだにニュースを騒がせる。
そういった理解できないものの全てを否定したって、そんなこと意味がない。
だって、人間は、なにかを信じてないと息をすることも出来ない、風変わりな生き物なんだから。
「ね、ヌエは、麻薬って使ったことある?」
〈アリー〉が、また変な質問をした。なんにでも好奇心がいっぱいだけど、実は臆病なので、何一つ自分の体験にすることは出来ない。簡単に言うと、お子様だ。
「アリー、ぼくの生活知っているだろ。通販で手に入るなら試したかもね」
「おまえら、オフでどんなことしてんの?」
〈カイト〉が、やや当惑気味の声で言った。
リジエラの重要な経済基盤のひとつは麻薬ビジネスだ。貧困から抜け出す為、一族を養う為、リジエラの野心ある若者は、違法な薬物で財をなそうとする。南米の麻薬組織は活発な市場に注目して、ずいぶんと昔から大量の薬物をリジエラに持ち込んでいた。
そんな外来コネクションのいくつかは、軍隊みたいな武装をしていて、地元の警察では手を出すことができない。今回の任務はリジエラ麻薬取締局からの打診が、スタート点だった。
結局、〈アリー〉は搭乗資格を剥奪されなかった。
”アーキタイプ”システムは人間感情が引き起こすノイズには関心がないみたいだ。情報漏洩の件は、関係者が誰も口外をしなかったこともあって、うやむやになった。
どちらにしても、〈アリー〉はシステムにとって貴重な才能だ。簡単にはお役御免にしてもらえない。
はやく戦績を回復して、リーダーを代わって欲しい、と唯斗は秘かに願っていた。作戦指揮なんて唯斗の柄ではないし、いちいち、考えなしだの狂犬だの言われるのも、もう、なんだかうんざりだ。
結果オーライで、〈キオミ〉や唯斗たちも逸脱行動の責任を問われることはなかった。もともと『ハルシオン』は軍隊じゃない。厳格な軍律とは無縁の団体だ。
『作戦のおさらい。目標は薬物の集積倉庫、焼夷弾頭で建物ごと焼き払う。障害はカルテルの戦闘車両と戦闘員。RPG装備。注意が必要。座標を確認』
キオミは最近、子供と話をしたらしい。裁判所の執行命令は翻らないけれど、別れた夫が、黙認したみたいだ。子供の前では饒舌になるのだろうか? それとも、いつものままなのだろうか? 唯斗は、それを考えると眠れなくなりそうだった。
マップには、協力者の情報で判明した目標位置が、アイコンで表示されている。侵攻コース、攻撃位置、離脱ルート。でもこれはあくまで設計図で、この通りにはならないことも多い。
〈予定座標に到着。投下、一分前〉
オスプレイのパイロットから、声が聴覚野に届いた。
『システム再起動。降下手順チェック』
〈キオミ〉は降下ソフトの動作チェックを要求した。降下手順は、降下装置の方で完全自動化されている。【ピクシー】は飛行機械じゃないので、空中での姿勢制御とかは不可能だ。
「各機ステータス異常なし。生体反応、グリーン」
これはお約束の安全確認だった。右よし、左よし、と意味的にはかわらない。
〈投下三十秒前。人として君たちの行動を誇りに思う。神のご加護を。カウントダウン開始〉
ゼロカウントで、分離ボルトが爆発し、自由落下が始まった。爆発は二段階だ。ワイヤーがローターに絡まないように、カーゴフック付近で爆発し、次にドラグシュート開傘の邪魔にならないように、【ピクシー】の懸垂ポイントで爆発した。ワイヤーは蛇みたいによじれながら機体を離れてゆく。
インターフェースは、ちゃんと自由落下の無重力を運動野にフィードバックしていて、油断をしていた唯斗は、うっかり夕食をもどしそうになった。次に襲ってきたのは強烈な減速Gだ。ドラグシュートが開いて空気を掴んだ。
着地の瞬間、降着補助推進剤が点火され、機体はVTOL機みたいに少し弾んでから、しなやかに褐色の地面に降り立った。
「各機、状態確認。うぇっぷ」
返事の必要はない。どちらにしても僚機のステータスは視覚野に投影されている。
「シーカー起動」
FCSが動作し、視覚野には注意喚起マークや、対象認識を示すカーソルが、ちらちらし始めた。
「言うまでもないことだけれど」
唯斗は、『ハルシオン』の作戦ではお約束の『おまじない』を口にした。これは伝統的に、リーダーの仕事になっている。
「人体への攻撃は、許可できない。人と人の営みに祝福を。キオミ」
『全機、必要な攻撃を許可する』
キオミの感情の薄い声は、それでも、どこか誇らしげだった。
終わり