もし殺されたら、ぼくのせいかもね
襲撃は十二時間前、ワシントン州シアトルのレイクビュー墓地で、通称アリーことアリシア・エバンスは、アフリカ系イスラム過激派グループに拉致、拘束された。
拉致より二十分後、アリシア・エバンスの皮下に埋め込まれたADT社のチップが摘出され、所在を知らせる信号は、海軍造船所付近で途絶えた。
それからの足取りはつかめない。
マスコミは、アリシアの父。ピーター・エバンスとFBIの衝突を伝えていた。
ピーター・エバンス経営最高責任者は、法執行関係者への協力を一切拒んだ。犯人グループからの要求も開示しなかったし、今後の捜査にも協力をしない旨を公言した。
激昂したFBIの担当者は、もしアリシアが命を落とすことがあれば、それはあなたが殺したのと同じだ、と指を突きつけたらしい。
エバンスCEOは顔色ひとつ変えず、もしそうなった時、わたしは娘の死を生涯忘れることはないが、君はキャリア上の些細なつまずきを一生気に病むのかね、と言ったそうだ。
ようは、法執行関係者など一切信用していないということだ。
報道は、アリーを誘拐したのは、アフリカ系のイスラム過激派グループのようだと伝えていた。リジエラの戦争が、ずっと遠く離れたアメリカまで腕を伸ばしたのだ。
もし、作戦中に唯斗がアリーの個人情報をうっかり洩らしたせいで、身元を突き止められたのなら、アリーが捕らわれたのは唯斗の責任ということになる。
通信の暗号解読自体は、量子コンピューターでも持ち込まないと無理のような気がするけれど、偶然にしては符号が合いすぎていた。もしアリーの父が『フォーブスの百人』の中にいると仮定すれば、アリーが唯斗の身元を突き止めて見せたように、アリーの個人情報を特定するのは難しくないように思う。
もし殺されたら、ぼくのせいかもね。と唯斗は冷え切った頭で考えた。
唯斗は、アリーの身辺について調べた。
アリーの父ピーター・エバンスは、ソーシャルネットワークサービス(SNS)大手、『アルカディア』の創設者であり、現状での最高責任者だった。
ピーター・エバンスはハーバード大学在学中に、“カインド”という現実世界の通貨とは直接リンクしない、仮想の流通単位を普及させることに成功した。
“カインド”とは、人の善意を流通するための単位で、利用者は生活上のささやかな手助けに対して“カインド”を支払う。手に入れた“カインド”は、自分が誰かの手助けを欲しい時に利用することができる。
たとえば、心が折れそうなときに誰かにハグしてもらうのは、相場では五カインド。外国語を習得する為、週に二時間の個人レクチャーを受けるのは、月に三百カインド。
カインドと現金の交換は固く禁じられていて、見つかった場合は、二年間の利用権凍結の処分がある。
このSNSサービスは広く受け入れられて、ピーター・エバンスは広告収入で、フォーブスの長者番付に載るほどの資産を、一代で手に入れた。
人より多くの者を手にする者は、えてしてまた、多くの物を失うと世間では言う。
八年前、アリーがまだ物心ついていない頃、ピーター・エバンスの妻であり、アリーの母親でもあるカーラは、東南アジア系マフィアによって誘拐された。
カーラの外見は完璧な白人だったけれど、カーラの祖父はインドネシアの出身者で、同郷人の共同体内での確執が、事件を引き起こした一因であると言われている。