自分と、獲物と、関係ない奴ら
いつの間にか陽は傾いていて、道路は帰宅の車でぎっしりだった。
先に立って歩道橋を歩きながら、〈カイト〉は唯斗を振り返った。しきりに眼鏡を押し上げているのは、たぶん、少しナーバスになっているのだ。
「なにが喰いたい? ヌエ。おごってやるよ。べつに悪気はなかったんだぜ」
「○ッパーランチ。そこのショッピングモールにある」
はああ?と〈カイト〉は憐れむような声を出した。
「おまえ、金は持ってるだろう? ピクシードライバーなんだから。なにが悲しくて、3Dプリンターで成形したオキアミを喰わないといけないんだよ」
確かに○ッパーランチで提供する肉は、二〇二五年から模造品だ。
「いや……マジで好きなんだけど」
「ついて来いよ。ほんとの飯を食わせてやるから」
〈カイト〉が先に立って入ったのは、テナントビルの最上階にある看板のない店だった。ビルのエントランスに入り、エレベーターに乗り込むと、どんどん人の気配がなくなってくるので、唯斗は不安になった。
店に入ると、調度品と料理の匂いで中華料理の店だとわかった。
高そうな店なので、未成年が二人だけで入ったら止められんじゃないかと思ったけれど、入口の給仕は〈カイト〉の姿を見ると、深々と頭を下げてから微笑んだ。
「お友達ですか?」
「ん、ああ、おれはそのつもりだけど」
案内されて勝手に座ると、〈カイト〉が、椅子を引いてくれるから次は待ってろよ、と言った。
「両親と来るのかい?」
「親父はただのサラリーマンだ。こんな店、たぶん入ったこともないよ」
〈カイト〉は少しだけ、不機嫌な感じだった。ひったくるようにしてグラスの水を飲む。やって来た給仕に暗号みたいな料理名をまくし立てた。
ちらっとメニューが見えたけれど、やけにゼロの数が多い。
給仕がいなくなると、〈カイト〉は窓の外を眺めた。もう暗くなり始めていて、窓の外は照明が煌めく夜景に変わっていた。
「おれの親父はゼネコンの管理職で、人の嫌がるプロジェクトを押し付けられて、世界中をたらいまわしにされてた。だから俺は、生まれたのはニュージーランドで、育ったのはインドネシア、物心ついてからは日本に置き去りで、親父の顔は、今でも年に三回くらいしか見ない」
ゼラチン質の前菜みたいな物と、小さなカップが運ばれてきた。唯斗がカップに手を伸ばそうとすると、〈カイト〉が制止した。
「おまえ、やめとけ。食前酒だ。アルコールはダメみたいだからな」
と言いつつ、自分は一息で飲み干した。
「子供の頃、俺は親父がどうしてそこまでして会社にかじりつくのか分からなかった。ヌエはどうしてだと思う?」
どうしてか? そんなことわからない。唯斗は現実世界で働いた経験はなかった。
「いまは分かるぜ。能力がないからだ。おれは今、親父の十倍は稼いでる。おまえだってそうだろ? 俺たちは他の人間ができない成果を実現する。でも、ほんとはな、それは個人の能力の問題じゃないんだ」
「能力じゃないならなんだよ。持ってるイメージとか、スポーツ科学っぽい話かい」
「違うね、血の話だ。科学的にこじつければ、保有する遺伝因子の話かもな。おれは、人間は三種類しかないと思っている。自分と、獲物と、関係ない奴らだ」
「そりゃ……簡単でいいね。じゃあ、ぼくは獲物なのかな。無関係じゃないしね」
「それも違う、おまえもおれと同じ種類の人間だよ、ヌエ」
「ぼくが? やめろよカイト、ぼくは草食動物よりも大人しい人間だ。さっきも、かよわい女の子に、捕食されそうになったくらいだ」
料理が運ばれてきた。熱々で湯気が立っている。食欲をそそる演出なのだろう、丸ごとの鶏に、目の前で煮え切った油が注がれた。うまそうな弾ける音がして、鳥の皮がぎゅっと縮んだ。
普通であれば、皮がぱりぱりでおいしそう、ということになるのだろうけれど、唯斗は焼かれた死体を思い出して、すこし気分が悪くなった。