父の所有物
送り迎えは、セキュリコ社で耐爆重装甲改造を施したレクサスだ。
軽機関銃の徹甲弾に耐え、クレイモア地雷を防御する。ランフラットタイヤ装備なので、パンクしても十分な距離を走行できた。
日本の高級車を、ドイツで改造してから北米に輸入した、びっくりするくらい金のかかった一台だった。
アリシアは、そういう偏執狂じみた父の用心深さが、嫌いではない。成功する人間には成功する理由がある。アリシアの父はあらゆる可能性を考え抜いていた。
当然。アリシアが誘拐の標的になることもありうる。アリシアの母は、実際に命を落とした。
アリシアはまだ幼かったので。その事件についての記憶はないけれど、見つかった遺体は、見せしめのようにひどい状態だったと聞いている。失敗したのはFBIだ。それからの父は、公安関係者を信用していない。
歴史のある学校なので、校舎は中世のお城みたいに、古めかしくてものものしい。
制服も堅苦しいもので、ブレザーの襟の形や、生地の色、ボタンや裏地にまで厳格な規定がある。
子供に大人の真似事をさせるのは、親のエゴだ。もし、好き好んでネクタイを締めたい子供がいたら、アリシアはその子とは友達にはならない。
放課後にはパーティでもどこにでも行って、せいぜい羽目を外せばいい。
どうしてだか分からないけれど、アリシアの脳裏には、ヌエの汚い部屋が頭に浮かんだ。
知らずに笑みが浮かぶ。
あいつ、この学校に通学させたら死んじゃうわね、きっと。人につかまった野生の鳥みたいに。
裏門で待っているレクサスに乗り込むと、クラスメートが笑顔で手を振った。
「じゃあ、また明日ね」
「きょうは楽しかったわ」
みたいな感じだけれど、誰もアリシアを家には誘わない。当り前だ。あの中に友達は一人もいないから。
車に乗り込むとボディガードに両脇を挟まれた。仕事だから仕方ないけれど、男たちのボディアーマーはちょっと汗臭い。
ケンドーをしているクラスメートの道着みたいだ。香水で誤魔化しているのは、アリシアに気を使っているのだ。だから、アリシアは、臭いについては文句を言わない。
レクサスは三トンもあるのが信じられない軽やかさで走り出した。父が注文したのは特別な仕様で、リショルム・コンプレッサを搭載して、戦車みたいなパワーを絞り出している。
家までのコースは決まっていない。帰宅ルートを固定すると、テロの標的になりやすいそうだ。とは言いつつ、どんなに工夫してもルートは五つくらいしかないし、だいたい、途中経過をどう変えたって、学校と自宅は一つしかない。
ボディガード達は、アリシアとは目を合わせない。プロだから、仕事に支障をきたすような接触はさけている。たぶん、いい人たちだと思うし、家ではいい父親なのかもしれない。
でも、アリシアには、レクサスと同じ、父の所有物でしかなかった。
「今日は行くところがあるの」
「お父様から、お伺いしております」
「場所はわかる?」
「はい、確認しています」
「父は……」
こんなこと聞いたって、本当のことは分からないのに。
「父は、ちゃんと義務を果たしていたかしら?」
「はい、おおせつかりました」
微妙な返事だ。自分で足を向けたのでないのかもしれない。
今日のルートは、街路樹の並ぶ住宅街を抜ける道だった。目的の場所までは十分ほど。
アリシアは、本革のカバンから携帯を取り出した。GPS機能で、アリシアの父はいつでもアリシアの所在を確認できる。
二の腕、皮膚の下にはICチップも埋め込まれている。これはセキュリティ大手ADT社のサービスで、携帯電話のインフラを利用し、対象の所在と生体活動を約三日のレンジですべて記録している。
たとえばもしアリーが年頃になって、ボーイフレンドの家で心拍と体温が上昇していれば、それはどこかのサーバーにちゃんと記録されていて、アリシアの父は、後から、その記録をグラフで確認することができる。
アリシアは、メモリーから父の名前を探し出して、ダイヤルした。仕事中の父は、いつもヘッドセットを身に着けて、ハンズフリーの状態だ。つながると同時に応答した。
『どうしたんだいアリシア。仕事中は極力、電話は控えるようにと、お願いしていたよね』
父の声は、とても穏やかで優しい。でも、その言葉は、優しさとは程遠い。
「わかってます。でも、今日は特別な日だから……」
『墓参りなら、私はもう済ませたよ。おまえのことを話してやってくれ。たぶん寂しがっている』
「どうして一緒に行けなかったんですか」
『お前には学校があるじゃないか。自分の都合でルールを曲げるなど、立場のある人間には許されないことだよ』
ねぇ、パパ。あたしにいったい、どんな立場があるって言うの?
パパの財力を利用して、思う存分のわがままを尽くせる立場? それともパパの代わりにおねだりを聞いて、なんのことかも分からないのに、見返りを約束する立場?
「あたしは――」
堰を切ってしまいそうな言葉を、なんとかアリシアは押しとどめた。
「あたしはただ、パパと一緒に行きたかっただけ、でもいいの。仕方ないわ」
『アリシアはいい子だ』
あたしは、いい子なんかじゃない。
レクサスが衝撃を受けて揺れた。金属製のなにかを撥ね飛ばしたような短い衝撃と金属音。
「被弾した!待ち伏せだ」
ボンネットが持ち上がり、視界をふさいだ。水蒸気が噴き出して、周りは真っ白になる。それでもボディガードはアクセルを緩めなかった。教科書の通りだ。足を止めれば、ただの的になってしまう。
両脇のボディガードが、アリシアを押しつぶすようにのりかかった。彼らには通常の対応だろうけれど、アリシアは内臓が口から出そうだった。
母の墓地まではもう少しだった。墓地はセレブ御用達のプライベートな地所で、待ち伏せするには持ってこいだ。




