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バルバロイ  作者: ずかみん
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酸っぱい匂いの汚物

 目を覚まして、自分が酸っぱい匂いの汚物であることに、唯斗は気がついた。


 汗びっしょりのスウェットは、台所の雑巾と大差ない微生物のコロニーと化している。肌に張り付いて、つまみ上げることもできない。


 なんだ、この惨めな感じは。昨日と同じことを繰り返しているだけなのに。


 細菌の培養基から人間に戻る為には、おそらくシャワーを浴びる必要がある。

 淀んだ部屋を出て、キッチンを通りかかると、自分と唯斗の弁当をつくる、父の姿が見えた。


 出ていった母が残したイチゴ柄のエプロン。ドブネズミ色のビジネススラックスと合わせると、かなりシュールな光景だった。

 鼻歌交じりで卵焼きをつくる父の後ろ姿を眺めていたら、どうしてだかわからないけれど、涙がにじんできた。


「父さん……」


 確かに父、楠耕平(くすのきこうへい)には得体のしれない所がある。

 陰鬱な人間ではないが、飄々というか、おとぼけというか、いわゆる人間らしい喜怒哀楽の感情が薄いのだ。


 母の談話によると、もう無理かもしれない、と切り出した時の父の反応は、


 ん?


 だったそうだ。


 いったいどうしたんだ、でもいいし、なにを馬鹿なことを言ってるんだ、でもいい。そんなことは許さんと声を荒げてもかまわない。返事が、ん? でさえなければ、今も夫婦でいられたかもしれない。と、後に母は語っていた。


 父の行動に困惑することはしばしばだったが、不気味だと感じたのは、今朝が初めてだった。


「おお、唯斗、起きたか。珍しいな」

 父は、抑揚の薄い声で言った。

「たまには朝飯でも食え。今日はタコさんウインナーを作ってみた」


 テーブルに座ると、美人キャスターが朝のニュースを伝えていた。


『七月二十五日、イスラム過激派グループのテロ行為が続くリジエラ連邦共和国北東部で、人権擁護団体ハルシオンと過激派グループの武力衝突が起きました。ハルシオンの実力行使部隊は、教会に幽閉された市民を救出するため――』


 昨夜の作戦についての報道だった。


「多いな、最近。ハルシオンだっけ? おまえも参加しているのか?」

「……なんで、興味ないよ。日本は平和だしね。あんまり接点がない」

 父は、覇気はないが論理的(ロジカル)な人間だ。時々、妙に鋭い時がある。とぼけて返事をしたが、一瞬のためらいで、なにかを感じ取られたかもしれない。でも言えるわけがない。


 ぼくがハルシオンの戦闘員(アタッカー)だよ、父さん。過激派のアジトを地中貫通爆弾(バンカーバスター)でクレーターに変えたのは、ぼくだ。


 言えるわけがなかった。たぶん、言ったって信じない。


 父が、参加しているのかと聞いたのは別の意味だ。

 『ハルシオン』は、実際には団体名ではなく、誰もが利用できる、世界中に星の数ほどある、ソーシャルネットワークサービス(SNS)の一つだ。

 SNSのいくつかがそうであるように、『ハルシオン』も、また志を同じくする人たちの集まりだった。


 『ハルシオン』の場合は、人道と友愛に特化したコミュニティだ。

 参加した善意にあふれる人々は、世界の憂うべき現状について真顔で語り合う。


 唯斗も利用したことはあるけれど、正直ついていけない、というのが、唯斗の素直な感想だ。


 唯斗は、自分のことを善意溢れる人間だとは思っていない。唯斗が『ハルシオン』の構成員として作戦に参加するようになったのは、SNSからではなく、別のルートからだった。


 フェイスブックほどではないけれど、『ハルシオン』は、地球上でも有数の会員数を誇る、巨大コミュニティに成長している。

 世界は完璧には程遠いけれど、善意だけは、掃いて捨てるほど転がっているのだ。


 SNSとしての『ハルシオン』の特徴は、定期的に、システムからの質問に答えなければいけない所だ。質問は、だいたいこんな感じだ。


①あなたは、日本で行われている外国人についての人身売買を、重大な人権の侵害だと考えますか? 

Yes or No


②あなたは、日本で行われている人身売買が、これまでに多くの人命を損ない、また今後もより多くの人命を奪うものだと考えますか?

Yes or No


③上記②の質問にYESと答えた方のみご回答ください。あなたは今後も人命が奪われる根拠を、マスコミの報道やネット情報ではなく、自分の言葉で説明することができますか?

Yes or No


③の質問に YESと答えた方は、その理由を記入してください。

 (テキスト入力フォーム)掲示板へのリンク。

 

④上記の掲示板を確認した方にのみ質問いたします。あなたは、日本で行われている人身売買を抑止するために、なんらかの形での実力行使が必要だと考えますか?

Yes or No


 さいわい、日本の外国人労働者受け入れ団体は、『ハルシオン』の攻撃目標にならずにすんだ。


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