ほんとは神様なんて信じていない。
ほんとは神様なんて信じていない。
もし、神様がほんとうに存在するのなら、きっとこんなことにはなっていない。改宗しなかったのは、父と母の教育を侮辱したくなかったからだ。
アビサは、リジエラでは比較的裕福な家庭で育った。父は雑貨商として成功した敬虔なキリスト教徒だった。汚職で私腹を肥やすことも、貧しい人を踏みつけにすることもなく、自分の才覚だけで成功した父を、アビサはいつも誇りに思っていた。
幼い頃から大事にされて、何不自由ない生活だったけれど、あの夜に、何もかもが変わった。
騒々しい音で目を覚ますと、窓の外が赤く染まっていた。窓を開けると学校が燃えていて、寄宿舎のレンガの壁に、炎が映っていた。
銃声が聞こえて、男子生徒が頭に手を乗せて、銃で殴られたり、大きなナイフで切り付けられたりして、追い立てられるのが見えた。生徒たちを連れていくのは、軍服を着て、布で顔を隠した兵士たちだった。
アビサはずっと以前から続いている、ある暴力に関するニュースを思い出した。
先進国のような、神に敬意を払うことを知らない、野蛮な科学教育を憎む人たち。異教の教えを憎んで、受け入れることを知らない人たち。女性の権利を認めず、女性に教育を与えることなど、教義を逸脱した恥知らずな行いだと考える人たち。襲撃や誘拐、爆弾テロ。ぜんぶニュースの中の出来事だと思っていた。
校庭にはなにかが積み上げられ、火がかけられていた。
異臭で、その正体がなんであるか気がついた。
あれは、たぶん、クラスメートたちだ。
最初、裕福なアビサをねたんでいたクラスメートたちだけれど、そのうち、何人かの生徒はアビサに優しくしてくれて、友達もできた。
アビサは、偶然、アビサの手にふれて、はにかんでいた少年の顔を思い出した。
みんな、死んでしまう。
アビサはパニックに襲われて、窓の下でしばらく泣きじゃくっていた。
しばらくして落ち着くと、このままここにいたら、間違いなく殺されるということに気付いた。泣いていてもなにも解決しない。死にたくなかったら、頭を使うしかない。
靴を履いて部屋を出ると、寄宿舎の通路には、何人かの女の子が棒立ちで集まっていた。
怯えているだけで、どうしたらいいか分からないのだ。
「だめよ、ここじゃダメ。ランドリーの方に行って、裏から逃げよう。あそこなら林まですぐだから、速く走れば、きっと見つからない。」
生徒たちは、アビサより年下で、泣きながらアビサの手を取った。
この子たちを死なせるわけにはいかない。
夢中で階段を駆け下りて、いくつかのドアをこじ開けた。鍵がかかっているドアもあって、壁の消火器を使ってガラスを割ったけれど、手元が狂って手が血だらけになった。
寄宿舎の裏手には、まだ、兵士の姿はなかった。
「走って!林に入ったら、そのまま町へ行くの。あいつらは林の中の道を知らないから、きっと逃げられるわ」
「アビサ! 一緒にきて! こわいわ」
「最後に行くから。頑張って」
少女たちを、少し間隔をあけながら、三人ずつ林の方へ走らせた。
みんな無事に裏庭を渡ったけれど、最後の一組で兵士に見つかってしまった。
兵士たちは走る少女に銃を撃った。オレンジ色の光が木を照らした。
殺されてしまう。わたしの目の前で。
そんなのダメだ。
アビサは、足元に転がっている大きな消火器を拾い上げた。
夢中で植木の陰を走る。兵士たちはまだ、アビサに気付いていなかった。
いたぶるようにパラパラと銃を撃つ兵士に向かって、アビサは消火器を浴びせた。火災訓練で、一度使ったことがあるのだ。
兵士たちは、なにか罵り声をあげながらせき込んだ。
少女たちは無事に林の中に逃げ込んだ。一人は足を引きずっていたけれど、大丈夫、きっと逃げられる。
アビサは、消火器を捨てて、少女たちの後を追おうとした。
走り出す前に、アビサは背中に衝撃を感じて地面を転がった。
銃の台尻で、背骨を殴られたのだ。
覆面を消火剤で真っ白にした兵士が、覆いかぶさるようにして銃を構えていた。
怒っているみたいだった。たぶん、殺される。