そんなの異常者だ。
「あたしはピクシーに乗るのが好き。ピクシードライバーには年齢も家柄も関係ない。頑張ってレンガをひとつひとつ積めば積むほど、スコアはよくなった。ピクシーに乗っているのが、本当のあたしよ」
アリシアは覆いかぶさったまま、唯斗の目をのぞき込んだ。
「でも、あんたはそういうタイプじゃないでしょ。順位なんかどうでもいいって顔に書いてあるもの。じゃあどうして? どうして辛い思いまでしてピクシーに乗るのよ? アルゴリズムとかどうでもいいの。そんなものじゃなくて、なにか理由があるでしょ。」
「……どうしてだろう」
理由がないのに、人は頑張ったりできない。アリシアは自分の力を証明するために、【ピクシー】を着る。ヌエにだって理由がある筈だ。
金の為であれば、アリシアは納得する。お金は誰にとっても大事なものだ。ピクシードライバーに用意されている報酬は、世間の一般的基準から言うと、法外に高額なものだ。動機としては十分以上の理由になる。お金が全てじゃないって言う連中は、たいてい、お金のために惨めな思いをしている奴らだ。
プライドのためだっていい。実戦に加わったのは、世界でも一握りだけのトッププレーヤーだけだ。世間には知られていなくても、倍率で言えば、レーシングカーや戦闘機に乗る人間よりも、貴重な才能の持ち主だ。鼻にかけたっていいと思うし、アリシアは事実、そうしている。
スリルを楽しむ人間もいるし、キオミのように人類愛の為に、作戦に身を捧げる人間だっている。
ひとつだけはっきりしている事がある。
人には、なんでもいいから、理由が必要だ。理由なしで戦ったりできない。
そんなの異常者だ。
唯斗の返事は、アリシアの期待したものではなかった。
「ごめんよ、アリー。そんなこと考えたこともない」
アリシアは、部屋の空気が薄くなったように感じた。
理由がないのに、ヌエはやれるんだ。
とつぜんの敗北感が、アリシアの心を襲った。唯斗に対してというわけではない。
昨日までは、自分の力を疑ったことなどなかった。学校の成績でも一番だし、【ピクシー】を着ても一番だ。簡単なことではないけれど、当然のことだった。
なのに、なにかを望むということのないこの少年は、望まずにアリシアを打ち負かした。そうしようとさえ思わずに。
そんなの……ずるい。
背伸びをしていたつもりなどないけれど、アリシアは、自分のことを、やせっぽちの、人にすりよることさえできない、哀れなみすぼらしい野良猫のように感じた。
意地を張っても、やせ衰えて、いつかどこかでのたれ死ぬだけだ。
いろんなことが、一度に頭に押し寄せてきて、アリシアは張り裂けてしまいそうになった。
優しいけれどよそよそしい父親。
幼い時に死んで、写真でしか顔を見たことがない母親。
当り障りのない世間話をかわすだけのクラスメート。
学校や家では優等生で、礼儀正しくて聡明な女の子を演じる自分。
堅苦しい食事。
夜、パジャマに着替えたら、父が紹介してくれた大人たちのメールに返信を打つ。エッセンスにすると『あなたに好意をもっているのよ』と書いてあるだけのかみあわないメッセージに、人工知能が書いたみたいな文章を返す。
それが終われば、やっと自分の時間だ。
ヘッドセットをつけて、アフリカの戦場で、こつこつと人を殺す。
でも、終わったら部屋でまた一人きりだ。
なにも変わっていない。
息が、できなかった。
「アリー、どうしたの、アリー? しっかりしてよ」
アリシアは、溺れるように、唯斗のスウェットにしがみついた。
「大丈夫だよ。アリー」
唯斗は、アリシアを守るようにして腕の中に入れた。ちょっと汗臭いけれど、唯斗の胸は暖かで、なんとかアリシアは呼吸を取り戻すことができた。
「なにも心配ない。大丈夫だ」
落ち着くと、自分がとんでもない醜態をさらしていることに気がついた。
なんで、あたし安心してんのよ。こんなエロガキの腕の中で。
アリシアは戦慄した。
くたくたと力がぬけて、唯斗に体を預けてしまっている自分を、アリシアは不潔だと思った。
というか、ありえない。
「いや!」
アリシアは、唯斗の胸を力いっぱい突き飛ばした。
「なにすんのよ! 変態!」
「え……えぇぇ?」
部屋の隅に隠れ、アリシアは両腕で守るように肩を抱いた。体が熱いし、震えが止まらなかった。
「ご、ごめん……べつに怖がらせるつもりは……な、なんか成り行きで」
「近寄らないで!」
「ひっ……わかった。わかりました」
アリシアは、しばらく動かないで自分が落ち着くのを待った。どうにか震えはおさまったけれど、胸のどきどきする感じは収まらなかった。アリシアは立ち上がり、拳を握りしめた。
ヌエには感謝するけど、こんなのあたしじゃない。
「あんたに言っておくことが二つあるわ」
「はい……あの……どうぞ」
「一つ目に、あたしを憐れむのは許さない。あたしはあんたの助けなんか必要ない」
「アリー、ぼくはべつにそんな……」
「二つ目に、あたしに優しくするのはやめて、あたしはあんたみたいにぬるい所で生きてんじゃないんだから」
アリシアは唯斗と目を合わせずに、大股で部屋を横切った。ドアを閉める前に、一度だけ唯斗を振り返る。
「昨日のことだけど、こんどあたしに恥をかかせたら、次は殺すわよ。それだけ」
アリシアは呆然としている唯斗を部屋に残して、ドアを閉じた。