【カブレラ・ストーン】
「あ、アリー、アリーまずいよ。いま父さんは仕事でいないし……」
「いたら、もっとマズいことなると思うけど」
それもそうだ。
「せまい。なんなのこれ? 日本人はこれで普通なの?」
「普通だよ、べつに貧困家庭じゃない」
ていうか、〈アリー〉が金持ちすぎるだけだ、と唯斗は思う。
「ヌエの部屋はどこ?」
「……部屋はやめて」
「なによ。隠すことないでしょ。見てみたいの。年頃の男の子の部屋」
〈アリー〉の瞳は、らんらんと光っていた。
「スケベ親父かおまえは……おい、ちょっと……やめ……やめてぇ!」
西部劇みたいに仁王立ちでドアを開け放った〈アリー〉は、戸口で立ち尽くしたまま動かなくなった。
「信じられない」
〈アリー〉は、ぽかんと口を開けていた。
部屋が少し片付いていないのは、唯斗自身にだってわかっている。床には古本や雑誌が積んであるし、脱いだ洗濯物も少しだけ、貯まってないこともない。机にはカップ麺とかカップ焼きそばとか……カビが生える前にはキッチンに移すようにしているし、DVDとか、まあ、エッチな雑誌も、ぜんぜん持っていないわけじゃない。
〈アリー〉が、床に落ちたDVDのパッケージを、指先でつまんで拾い上げた。
「アリー! それを床に置くんだ。怪我をさせたくない。今すぐにだ!」
「人妻とか……ありえない。あんたマザコンなの? エロガキ」
初等学校の少女に、マザコン呼ばわりだ。唯斗はうつろな目で、天井を見上げた。
なんだろう……犯されているみたいに恥ずかしい。
「ほんとうに信じられない。ヌエは食用鶏なの? くさいし、歩くこともできない」
「うるさいな、勝手に押しかけといて。嫌なら帰ればいいだろ」
「ふーん、そういうこと言うんだ」
〈アリー〉は唯斗のベッドで、足を組んだ。大人の女性みたいに。
「なにしに来たんだよ」
「あたしを負かした男の顔を、見に来たの」
〈アリー〉は腕組をして、まじまじと唯斗の顔を眺めた。目を合わせると、吸い込まれそうになるような、澄んだ瞳だった。値踏みされるような感覚は、唯斗を落ち着かなくさせた。
「なんだか、がっかり」
「余計なお世話だよ。べつに負かしたつもりなんかないし」
「なにがあったの?」
「なにって」
唯斗は心の中で首を縮める。なに? とか、どうして? とか、人間の使う言葉は、デリカシーがなくて残酷だ。
「冷静沈着が売りでしょ。八つ当たりなんて、らしくないから、なにかあったなって思う。普通じゃない?」
「べつになにもない。虫の居所が悪かっただけだよ」
〈アリー〉は、中古ショップで買ったジャンク品のモニターと一緒に、床のがらくたの中に紛れている古いゲーム機を、見つけた。
「それ【カブレラ・ストーン】じゃないの?」
〈アリー〉の声は、四年に一度のビッグウェーブを前にしたサーファーみたいに上ずっていた。
【カブレラ・ストーン】は【ネブラ・ディスク】より三世代前の機種で、ハイスペックゲーム機の先駆けになった機種だ。ゲーマー伝説のマシン。
VR装置も感覚入力デバイスも装備していないけれど、その輝けるソフト群は今も色褪せない。唯斗は、運よくネットで入手した。バイクが買えそうな金額だったけれど、安い買い物だったと、唯斗は思っている。
「お、気がついた? お目が高いね、お客さん」
「すっごい。なつかしい」
「なつかしいって……発売された時、まだ生まれてないだろ?」
「ずっと昔に、雑誌の記事で見たの。欲しかったけどお金だけでは手に入らないから……少しだけやってもいい?」
「べつにいいよ」
返事を聞いて、華やいだ顔の〈アリー〉は、年相応に幼く見えた。