愛 \cap 理解 = 痛み
ああ、機関誌の記者さんですか。
ええ、組合長から話は聞いてますよ。
はい、大丈夫ですよ。
こんな天気だと客足も鈍いので。(笑)
どうぞこちらへ座ってください。
で、なんの話をすればよろしいのでしょう?
はぁ、たしかに患者さんの痛いところはわかりますが。
そうですねぇ、たとえば、記者さんの左腕、前に手術か何かしてますよね。
で、カメラとか構えるときにつっぱったりしませんか?
あと、こんな天気だと痛んだりとか?
何でわかるかといわれると、なんと言っていいやら。(笑)
まぁ、ほら、東洋医学は、顔色や舌、脈など遠隔や非接触での診断も重要視してるんですよ。
そうですねぇ、私が少し変っていることは認めますよ。
ああ、やっぱり左腕は事故ですか。
多分、こういうふうに手首を内側にひねる動作が一番辛いと思いますね。
ふむふむ。
うーん、そうですねぇ、なんで分かるかというと、なんというか・・・
これでも科学者のつもりなんで、眉唾で聞いて欲しいのですが、
簡単に言うと、相手の痛みが伝染るんですよ(笑)
だいたい半径5mぐらいで自動的に感知するみたいですねぇ。
かなり正確にコピーされるらしくて、間接の可動域も5度と違わずにわかりますよ。(笑)
あー、心霊療法とかじゃないので、相手の痛みを奪ってきて、相手の痛みが減るなんて便利なことは無いです。(笑)
そうだと少しは楽なんですけどねぇ。
はぁ、きっかけですかぁ、そうですねぇ、少し長くなってもいいならしゃべりますが。
ああ、こんな天気だから、患者さんも家を出たくないでしょう(笑)
私は、とある大学の文系とも理系ともつかない学部にいまして、
そのぉ、科学が好きなんですが、困ったことに数学の才能がまったく無くてですねぇ。(笑)
そんなことは、どうでもいいんですが、
2回生の時に生物学概論の講義を取ってましてね。
そこに教えに来てたのが、近くの国立大の脳科学が専門の教授だったんですよ。
レポートで質問しに行ったり、雑談をしたりしているうちにその教授と仲良くなりましてね、
近いし、ちょくちょく教授の研究室に遊びに行くようになったんですよ。
で、夏休み明けで、遊びに行ったら、バイトをしないかと誘われましてね。
こっちも野外調査をしてて交通費やら足りなくて、渡りに船とばかりにバイトを始めたんですよ。
その研究室は、私にとってとても居心地がよいところでした。
多分、2,3回生の頃は、自分の研究室よりも長く居たんじゃないでしょうか、部外者なのに。(笑)
研究内容は、脳の働きをマッピングしたり、情動反応と脳の活性の関係とかがその当時の主流でした。
よく科学番組で見る、頭にレーザー端子を沢山くっつけて脳の血流量から活性領域を探知するとかもやってました。
で、私のアルバイトは、特定周波数の脳波を傍受できる端子を頭にくっつけて反応を調べる為の被験体でした。
いろいろやりましたよ。
端子だらけの被り物をつけたままで、室温を変えたり、湿度を変えたり、音楽を聴いたり、
眠むったり、本を読んだり、映画を見たり。
ある時エロ本をもってきた院生がいまして、私と好みが違って論争みたいになりましたが、その人とは今も友達です。(笑)
そんな情緒とか生理環境の変動で、脳波がどんな変化や違いをあらわすのかというデータを集める基礎的な実験でした。
そんなことを2ヶ月ぐらいやっていたあるとき、実験データに特異な反応が出たことがわかったんです。
データは、ロガーという情報を貯めておく装置に一度保管されて、後で院生が暇なときに解析していたんですが、
その特異なデータでは、波形が非常に大きくぶれていて、私の脳に何か衝撃的なことが起きていたようでした。
まぁ、私にはまったく覚えがなかったんですが。
でもロガーには波形しか記録されていなくて、実験票には『読書(SF)』とだけ書いてありました。
何を読んでいたかは覚えていましたが、そんなに衝撃的な内容や反応をしたという記憶はありませんでした。
で、器具を付けてもう一度その本を読んでみましたが、やはりそんな波形は出なかったんです。
それで、ただの機械の不調ということにしようとしたんですが、通りかかった助教授が 『それはおかしい、不調だとしたらその後やその前のデータも信用が無くなってしまう』なんてことを言い出しまして、もう一度細かく検証してみることにしたんです。
研究室内には、高価な機材が沢山あったので、普通に監視カメラが備えてありました。
それで、監視カメラのデータを教授に口ぞえしてもらって調べたんです。
監視カメラの時計とロガーの時計のタイミングを照らし合わせてその時の映像を見ると、
ちょうど画面の端で院生が一人、派手にすっころんでいる時でした。
それ以外に、変ったことは映っていませんでした。
で、私がその様子に驚いたんだろうということで決着すると思ったんです。
が、転んだ当人がその場に居まして、そんなに派手に転んでないし、大きな音を立てても居ないし、 被験体の私の視界にも入っていないし、私はスカートじゃなくパンツだった、と言い出したんです。
残念ながら、彼女が何を穿いていて、どんな音がしたのかは、映像に音が無いのと解像度が低いので、 検証ができませんでした。
研究室では、『彼女が転んで僕が興奮』事件と呼ばれました。(笑)
で、この話はそのままうやむやになると思っていたのですが、
次の日、研究室にその院生から呼び出されまして、
特異点の検証をしたいから、手伝って欲しいといわれたんです。
その時は、研究室の実験の一環だと思っていたので、気軽に承諾しました。
で、通常の実験の後に、彼女、Aさんの実験を手伝うことになりました。
その実験は、その、なんというか、通常の実験に比べると、派手でした。
今までは、環境音楽程度の音しか実験に使用しませんでしたが、
Aさんの実験では、大音量の実験になったし、私の嗜好を加味した歌謡曲やロック、
はたまた、味覚や今ならびっくりのピカチュウフラッシュまで使用するし、
触るや触られる、なども含まれました。
要は、五感と衝撃をより広範囲に調べたかったということだと思います。
あるとき、Aさんが、私の腕をつまみなさいと言ってきまして、
軽くつまむともっとつねるぐらいに!と少しつねったら、つねり返されました。(笑)
で、この強度は、同一にならないから、実験としては使えないんじゃないかと言うと、
あたしだけつねったら、平等じゃないでしょ!と怒られました。(笑)
で、追加実験を1ヶ月続けた頃に、実験の後で、彼女に近くのファミレスに連れて行かれまして、
バイト代がまとまって払えないから、今後は実験の後の夕食をご馳走することで許して欲しいと言われました。(笑)
どうも、彼女の実験は、研究室のプロジェクト実験とは別な会計になるらしく、
彼女は、その年の科研費に受かっていなかったので貧乏だったんです。(笑)
その後は、実験の後に一緒にご飯を食べるようになりました。
まぁ、学食だったり、いびつなおにぎりだったり、ご飯サービスデーのトンカツだったりでしたが。(笑)
その年の冬頃には、いろいろな環境からの変化を捕らえるために脳波受信機を小型・携帯化する研究も平行していて、 研究室のみんなでぞろぞろ動物園や美術館に行ったりと、研究費はこういう風に使うんだと教わりました。(笑)
卒論生の発表が終わる頃には、携帯受信機、我々がスキャナーと呼んでいた代物は、
小さな箱が3方に付いた少し大きなサングラスと言える位の大きさになっていました。
なんでも、多数の受信機で偏在を見るより、波形そのものやブレのほうが、変動を察知しやすいので、 受信機の数をばっさり減らしたとかなんとか。
まぁ、今でも何がなんだかわかっていないのですが。(笑)
で、春休みは、研究室に人が居ないし、アルバイトも休みということになったんですが、
Aさんは、データを取るよい機会だと言って方々連れ回されました。(笑)
休み明けには、一緒に居るのが普通になってしまっていて、周りからは彼氏彼女みたいな扱いになってました。
私としては、餌付けされた犬みたいな状態だったんですけどね。(笑)
その頃、私が被験体になった基礎研究は、当時の博士課程の院生が博士論文にしまして、今でもネットで見られます。
その後、準教授になられて、たまに脳研究を扱った番組でおみかけしますね。
夏には、普通に自分の研究が忙しくなり、向こうの研究も一段落したってことでアルバイト自体が終わりになりました。
でもまぁ、隙を見てAさんの実験は続きました。
その頃には、科学や実験の何たるかやら、彼女の部屋に散乱してるデータの読み方なども分かるようになっていたので、Aさんの実験の相談にも乗れるようになっていました。
で、結果を解析すると、どうも私の脳は特に『痛み』に関して感受性が高いってことがわかってきました。
この『痛み』というのは、分かりやすくするための便宜的な言葉なのですが、
実際は、急で衝撃的な感覚器の興奮や強力な感覚入力全般を指していて、
大きな音や転んだときの痛みや急な寒さなどの大きな変化量に対する神経興奮も含みます。
まぁ、物理的な痛みが一番効くんですけどね。(笑)
で、彼女の研究を『痛み』を中心に据えて実験しようかという話もあったんですが、
これは、なんというか、『人体実験』なんですよね。
科学研究と言うのは、追試に耐えなければいけないので、万人が追試できる内容が望ましいわけです。
『痛み』に関する研究分野は、残念ながら、これのせいで進まないのです。
じゃぁ、今実際に痛い人からデータ集めればいいじゃないかと思うでしょ?。
そうすると、今度は、痛くないときと痛いときの差がわからないと意味が無いという話になるんですよ。
『物理的に、今から痛いスイッチを入れます、スイッチを切るまでの変化は、痛いということに対する変化です』
これが言えないと実験にならないのです。
だんだん治る人を観察する手もあるのですが、どこで痛みが消えたかはどこで痛みが発生したか、よりも難しいのです。
研究室の機材は使っているけど、非公式に進めてきた実験を論文にするには、『痛み』は非常に使いづらい項目だったんです。
もう一つの問題もありました。
それは、私の痛みに対する反応が、周囲の反応を拾っている可能性があるということです。
私個人の感覚では痛くは無いのですが、データを読むと周囲で誰かが怪我をしたときや
近くでAさんが転んだ時に『痛み』の波形が記録されているのです。
彼女は、なんでもないところで転ぶという特技の持ち主でした。(笑)
これにはもう一つの可能性も考えられました。
スキャナーが、周囲の『痛い』という脳波をある程度の範囲で拾ってくる可能性です。
私と彼女は、『痛み』の科学的人道的問題はとりあえず脇に置いて、スキャナーによる『痛みの伝播』に関する実験を続けました。
それは、論文を書くためというより純粋に科学者としての興味からでした。
実験によると、範囲も確度もばらばらでしたが、ある程度距離を置いても『痛み』は伝播するようでした。
また、スキャナーの受信機には数メートル離れた脳波を感知する性能はありませんでした。
これにより、我々は、この実験の元になった『彼女が転んで僕が興奮』事件の一応の解釈ができるようになりました。
つまり、彼女が転んだ痛みを『私が』なんらかの方法で感知し脳波に乱れを生じた、ということです。
ここまで来て、我々の研究は頓挫しました。
なにせ、ここからは、超能力の実在実験という、人体実験どころではない非科学の検証という、
科学者生命を危うくしかねない領域に入ることになるからです。
一介の学生には重い研究課題でした。
季節は秋になっていました。
その頃の私達は、暖房費を節約するために少しはマシな彼女の部屋で過ごしていました。
その日は、二人で酒を飲んで布団に倒れこんでいました。
で、それまでにも何度か肌を合わせていましたが、いつも真っ暗が彼女の前提だったので、
初めて明るいところでしてみたくなったのです。
よっぱらいは困ったものです。(笑)
でもまぁ、当然のようにひっぱたかれ、怒られました。
電気を消して、不貞寝することになりました。
ですが、一向に男の本能が収まらず、やけくそでスキャナーをつけて、寝込みを悪戯することにしたんです。
いや、まったく痛くするつもりはありませんでした。
もちろんエロが1番の目的で、彼女の機嫌を直すことが2番目の目的でした。
本当は、スキャナーなんてどうでもよかったのです。
寝ている彼女の隣に潜り込み素肌を触っている時に違和感を感じ始めました。
下腹から内股にかけて妙に痛いのです。
自分が痛いというのとは何かが違い、急に彼女の身体が心配になって、布団を剥いで電気をつけてました。
そこで見た彼女の下半身は、やけどか何かでケロイド状になっており衝撃を受けるには十分でした。
彼女は、いつもパンツルックでしたし、太ももや股間を明るい中で見たことはなかったのです。
気づいた彼女は、パジャマを戻し、玄関を指差し、頭から布団を被ってしまいました。
何を言っても布団からは反応はなく、私はしかたなく自分の部屋へ帰りました。
連絡が途絶え、なんども部屋と研究室に行きました。
どちらにも不在で、時間だけが過ぎました。
彼女の実家の住所は知っていましたが、私がたずねる権利は無いと思っていました。
彼女から連絡があったのは、町にそろそろクリスマスソングが流れる頃でした。
大学近くの入ったことも無い高級喫茶店が待ち合わせ場所でした。
店内は落ち着いた内装で、彼女は奥の窓際の席に座っていました。
彼女は、長い間外を見ていました。
「もう会わないようにしましょう」
彼女の傷を見たことが重要な別れる理由になるとは思わなかったので、理由を問いただしました。
「だってあなた子供好きでしょ?」
何を言っているのか理解はできましたが、言うべき言葉はありませんでした。
「じゃぁ、ね」
そう言って彼女は席を立ち伝票を手に取りました。
私は彼女の腕を取りましたが、ふりほどかれました。
落ちた伝票を拾っている間に、彼女は店の外へと駆け出していきました。
財布からお札を2枚出して伝票ごとカウンターへ置きつつ扉を開けて店を出ました。
あとから考えると、あれは¥11000だったと思います。(笑)
彼女は、コートをなびかせて次の路地を曲がる所でした。
あちらはインドア研究者で、こちらはアウトドア研究者、追跡は長くは続きませんでした。
河沿いの歩道で彼女の肩を掴んで止めました。
「私は、あなたの子供が産めないのよ!」
多分、そのときの私の顔はニヤケていたと思います。
言葉が思いつかなかったので、ただ抱きしめました。
彼女は泣いていました。
しかしまぁ、天国は長く続かないどころか、平均化するためか、ただ運が悪いのか。
横からトラックが突っ込んできました。
後から聞いたのですが、突っ込んできたとき運転手はすでに意識がなかったらしいです。
よく走馬灯とか言いますが、私にとってはあっと言う間でした。
バンパーと河の柵、そして運が悪いことに不法駐輪の自転車が私達と一緒になってつぶされました。
悲鳴は、出せませんでした。
ただ、ザックの中のスキャナーのスイッチが入ったビープ音がしていました。
彼女は、目をつぶっていました。
弱い息遣いでした。
私は、彼女に話しかけようとしましたが、声は出ませんでした。
潰された圧力で肺に空気が入ってきませんでした。
足には失禁した時のような生暖かい感覚がありました。
動かそうとした足から声も出ないほどの痛みが上がってきました。
その時です、自分の痛みとなったく別な痛みを感じ始めました。
彼女の痛みを共に味わっている気がしました。
自分の体内や動きと連動する痛みとは別の痛みを感じました。
私の左足と肋骨の骨折や彼女の身体から生えたスポークが横隔膜を邪魔する感覚、つぶれた内臓の痛み。
次には、その痛みがさらにコピ-されたような痛みを感じました。
まるで、合わせ鏡の間に入ってしまったように、痛みの連鎖が無限に広がるような、そんな感じでした。
私が感じる私の痛みを感じ、私が感じる彼女の痛みを感じ、彼女が感じる彼女の痛みを感じ、彼女が感じる私の痛みを感ました。
まるで私達が、自分と相手の二つの痛みをコピーしあっているみたいに。
彼女が目を開けました。
血だらけの手で僕のほほをつねりました。
僕も、彼女のほほをつねりました。
彼女は、ニヤリと笑いました。
僕は、キスをしようとして意識を失いました。
次に目覚めたのは、病院のベッドの上でした。
彼女のお葬式は終わった後でした。
ベッドの脇で私の母が泣いていました。
歩けるようになるまでに6ヶ月掛かりました。
病院は、『痛みの伝播』実験には実に好都合で、 毎日スキャナーを身に付け病院中を徘徊しました。
『痛み』を感知し、それらしい患者さんに寄って行って理由を聞くと答えが返って来ます。
回答付き問題集を解いているようなものでした。
最終的には、患者の入院用件と違う部位が痛い時に看護師さんに通報できる程度になりました。
さて、退院して彼女の実家へ仏壇を拝みに行き、お墓参りの帰りに研究室へ寄りました。
それで、スキャナーと病院での実証実験のメモを親しい院生に渡し、ログを解析してくれるよう頼みました。
彼は、何の得も無いのに快く引き受けてくれ、ログの吸出しとスキャナーの点検を始めてくれました。
世間話をしているうちにスキャナーの点検が終わり、
スキャナーの受信機が作動していないことがわかりました。
ビープ音は、受信回路とは独立しており、受信確認ではなく、ただのスイッチ確認のためにあったそうです。
そのうちにログの吸出しも終わりました。
結果は、何も入力されていないということでした。
スキャナーがいつの時点で壊れていたのかも分かりません。
私は、ただ音が鳴るだけのへんなメガネを掛けて実験をしていたのかもしれません。
つまり、私にも私が他人の『痛み』がわかるようになったのがいつなのか正確にはわからないのです。
もしかしたら、私が過敏なだけで誰にでもある能力なのかもしれません。
その後、私は、この非科学的な能力が生かせる仕事を探しました。
彼女が残してくれたのは、このアホな能力だけでしたし、これを使って生きてゆきたいと思ったのです。
あと、彼女の研究成果というか副産物をみんなに伝えたいってのもありますしね。
私自身はこの能力で彼女に感謝しないけど、患者さんが良くなった時に私にくれる感謝は彼女に捧げられた感謝と思ってもいいじゃないですか?(笑)
で、あなたの左腕なんですが、鍼を2箇所ぐらい刺させていただくと、痛みが軽くなると思いますが?
私の実験に付き合ってくれる気はありますか?(笑)