運命を信じますか?
通う高校の弁論大会のテーマが『運』でした。
そこから少し発展させて、自分の書きたいことを書きたいように書いたものです。
小説というか、作文になってないといいのですが…。
_____運命を信じますか?
運命、或いは宿命とは、元から定められている巡り合わせのことを言います。実験などで、「原因が同じであれば必ず同じ結果が出る。」と言うことからこれは、「過去の姿、原因が決まっているならば、未来の姿結果も決まっている。」と言い換えることができます。この考え方が、「運命論」と言われるものです。
すべての出来事、選択を自らの運命だと言うのなら、私が両親のもとに生まれてきたことから始まり、今ここにいることも運命であると言えます。ですがそれは運命などという一言で括れるものではなく、自分が選択、行動、或いは挫折をしてきたことによる結果だといえませんか。何の選択もなく生きている人はいないように、全ての人は運命などという見えない力で動いているのではないのです。
「これが運命だったんだ」と簡単に言ってしまえる人は、目に見えず確かでないこの言葉で逃げ、自分に言い訳をしているにすぎないと私は思います。心のどこかに「ああすれば良かった」という後悔や、「これくらいでいいや」という妥協があり、そのことにも気づいているけれど、認めたくないという思いがあるから。または、立場や地位など大きすぎる壁を前に、行動することや、努力することを諦めてしまっているからではないでしょうか。自分の歩んできた過去の果てに今の自分がある。つまりは、過去の自分がこうであるから今自分はこうなっている。これが「運命」という言葉の正体であると私は思います。
また運命は自分次第で変えることができると言いますが、私はそうして運命を変えたある人達が大好きです。
新撰組。きっと誰もが聞いたことのある名前でしょう。新選組は、江戸時代末期に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織です。彼らの生き様に私は酷く心を奪われます。なぜなら彼らは自らの「運命」を己の力で変えたからです。新撰組をまとめた近藤局長、土方副長をはじめ新撰組の隊士の大半は生まれは武士ではありません。農民や商人など名前など残らないはずだった「運命」を彼らの努力、志、行動が変えたのです。彼らは池田屋事件や禁門の変など多くの功績を残しましたが、息もつかぬ間に時代は大きく動き戊辰戦争へと発展していきます。活躍できた月日はとても短く、儚いものではありました。しかし、憧れ続けた武士になり、国のため、幕府のためと尽くしていた彼らが「こうなることは運命だった」などと思ったでしょうか。きっと全ては自分たちの歩みの成果だと思ったはずです。ただひたすらに自分の信じる道を選び進んできた結果であると。
私は運命というものを信じていません。それなのに、「運命」という言葉に私自信は逃げてしまいがちです。誰のせいでもないものを誰かのせいだと自分を誤魔化したり、どうにもならないと投げ出してしまう。そうした自分の行いが繋がって、自らの未来となるのを、運命だったと見て見ぬふりをしたこともあります。
自分の行動の責任を、目に見えない頼ることのできないものに押し付けてきたのです。
私は運命というものを信じていません。けれど、ここでは運命が存在すると仮定するなら、運命とは自分の歩む人生の先に待っているものです。「これが運命だから」と投げ出す前にもう一度、もう一歩だけ頑張ってみる、向き合ってみることで自分の運命はいくらでも変えることができる、今はそう思えてなりません。動乱の時代にあって尚、自らの手で「運命」を切り開いて生き抜いた彼らがそうであったように。私も、「運命」だからと逃げたり、諦めるのではなく、自分の意志、行動が「運命」を作るのだという思いを持って生きていきたい、そう思います。
____皆さんは運命を信じますか?
________運命の正体は何でしょう?
前書きにも書きました通り、書きたいことを
書きたいように書かせて頂きました♪( ´▽`)
書きたいことの其の一は、自分の考えをつらつら書くことでした。
そして其の二は、大好きな新撰組について少しでも触れて書くこと!!
うまい感じに取り入れることができて良かったあo(^▽^)o
好きなように書かせてもらった為、かなり幼稚な文面であったと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました(=´∀`)人(´∀`=)