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ガルア王国の外れにあるなだらかな丘の上に、煌びやかな集団がいる。
今にも雨が降りそうな重い鉛色の空。遠くの雷鳴がこの丘にも聞こえてくる。
あの日、聖女が自分の世界に還っていった日と1つを除いて何もかも同じ。
違うのは、魔術師長であるアレックスの横に、アレックスと同じ漆黒のローブを纏った小柄な人間がいることだ。
その漆黒のローブには、袖口や合わせに赤い刺繍が施されている。
フードを目深に被っているため、顔は一切見ることが出来ない。
「――――…… 刻限です。」
アレックスが召還の時を告げるのと同時に、叩きつけるような雨が降り出した。
赤い刺繍の魔術師が詠唱を始めると地面に赤い光の環が浮かび上がった。
一瞬の閃光の後、環の中央に聖女が佇んでいた。
黒髪の彼女はまっすぐジークを見つめ微笑んでいる。
急激な魔力の放出で、貧血のような症状になったカンナは片ひざを地面についた。
その状態でノロノロと顔を上げると、ジークが優しい笑顔で、聖女を抱きしめているところだった。
……やっと見れたわ。ジーク様の笑顔。
やっぱり私ではダメね。
ずっと見ていたいのに、視界が滲んで、見えなくなってしまう。
次に門を開くときには、ジーク様と聖女様を一緒に向こうへ渡すことになるかもしれない。
ココロが痛い。
でも、最後まで頑張らなくては…決めたことだから。
このまま、聖女の世界との道を24時間維持し、24時間後に再度門を開かなくてはならない。
「――――…… 聖女様。お還りになる場合は、24時間以内にこの場所にいらしてください。」
アレックスの言葉に、頷いた聖女は、赤い刺繍の魔術師をじっと見つめて、にっこりと微笑んだ後、ジークとともに丘を下って行った。
護衛の騎士数名と二人の魔術師だけになった丘の上で、アレックスは道を絶やさないよう、魔力を放出しているカンナに話しかけた。
「大丈夫か?」
「兄様。お願いがあります。明日、門を閉じ終わったら、私をラークスター家に転移させて下さい。どんな状態になっていてもよ…。お願い。」
雨はどんどん激しくなり、地面に叩きつける雨粒が泥を跳ねあげる。カンナのローブはその泥に塗れている。
やがて辺りは暗闇に包まれた。
魔術で手元を照らす程度の灯りをつけ、繋いだ道を離さないように、時々細く長く、呪文を紡ぐ。
雨に打たれる身体は徐々に力を失っていく。
カンナは気を紛らわすために、ジークと過ごした日々を思い出していた。
ジーク様にとっては本当に不本意だっただろうなぁ。だって、ずっと眉間に皺が寄っていたもの。
妙に笑えてきた。
……もうすぐ、それも終わる。
「ジーク様。幸せに、なってね。」
カンナはそっと呟いた。
明け方、隣で一緒に道を繋ぎ止めているアレックスの気配が揺らいだ。
「兄様っ⁉」
地面に激突する直前、アレックスの身体が止まった。
「……父様?」
そこには、ラークスター侯爵である父が兄を支えて立っていた。
「カンナ、よく頑張っているね。アレックスは大丈夫だから、集中を切らさないで。」
アレックスが護衛騎士の手で天幕に連れていかれるのを横目で確認し、安堵の息を漏らした。
「アレックスが回復するまで私が代わろう。」
「父様、お城を出ていても良いのですか?」
「娘の晴れ舞台を見ないわけにはいかないからね。今日はお休みをもらったよ。」
いつも通り、穏やかな笑顔を浮かべておっとりと話す父親を見て、カンナは、やっと肩の力を抜く事が出来た。
「うん、上手い上手い。出来るだけ魔力を抑えて、細く長くが鉄則だよ。」
「ふふふっ。はい!父様。」
「こうしていると、カンナに魔術を教えいた頃の事を思い出すな。」
「えぇ。懐かしいです。」
「父様。」
「何だい?」
「わがまま言ってごめんなさい。ありがとう。」
「……あぁ。」
それっきりどちらも話さず、昼前に復活したアレックスと交代して、侯爵は笑顔で自邸に戻って行った。
馬に跨り、カンナに背を向けた侯爵の肩は微かに震えていた。
--*--
聖女は予定通りの時刻に丘の上に姿を現した。
「ジーク、ありがとう。ねぇ、本当に大切な人は、離しちゃだめよ。」
「分かってる。」
二人の会話を聞いて、アレックスは真っ青になった。
ジーク様の大切な人は、聖女様ではなかったのか?だとしたら、カンナは何のために命を懸けているのだ!
魔力の消耗が激しく、もう立つことすら出来なくなったカンナをそっと伺うと、ローブ越しで分かりにくいが、苦笑しているようだった。
「聖女様、ご自身の世界に戻られるのですか?今を逃すと、二度とこちらには渡れません。本当に良いのですね?」
「……えぇ。」
「ジーク様、本当に良いのですか?」
「あぁ。」
苦虫を噛み潰したような表情のアレックスを怪訝に思いながらも、ジークは頷いた。
「――――…… 刻限です。」
アレックスが召還の時を告げるのと同時に、雨足が強くなった。
「ジーク、これを。」
聖女が渡したのは、エメラルドのような石がついたペンダントだった。
「これは?」
「ふふっ。たいした効果は期待できないけど、お守りってところかな?」
「ありがとう。」
「本当にありがとう。今度こそ…サヨナラ。」
「―――…ありがとう…。ユーリ。」
赤い刺繍の魔術師の詠唱と同時に地面に浮かび上がった赤い光の環。
その中に立つ黒髪の彼女は幸せそうに微笑んでいた。
彼女の輪郭がぼやけ、一瞬の閃光の後、赤い光の環ごと散霧した。
雲の切れ間から、夕日が顔をのぞかせた。
赤い雨が、降る。
赤い夕日に照らされてキラキラと輝きながら。
幻想的な光景に、ジークは見とれていた。
「…―ぁぁあっ‼⁉…っ…うぅっ…。ごふっ…!」
呻き声のした方に剣を抜きながら振り向くと、赤い血を口から大量に吐いた赤い刺繍の魔術師が地面に倒れ伏すところだった。
ローブの右肩あたりが焼け落ち、赤黒く変色した右腕が見えた。
フードからは、蜂蜜色の髪がこぼれている。
アレックスがとっさに転移陣を発動し、二人は丘の上から消えた。
護衛の騎士やジークには何が起こったのか分からず、どよめきが起こった。
襲撃の可能性を考えて、神経を研ぎ澄ませるが、異常はなかった。
どうしたんだ?
剣を鞘にしまいつつ、2人が消えた場所を見ていたジークは、血だまりに腕輪が落ちている事に気付いて拾い上げた。
何処かで見た事のある腕輪だ。
まただ。
きっと何かを見落としている。
嫌な予感がする。
言いようのない不安が胸に広がる。
無性にカンナに会いたかった。
何故か分からない。
何かに突き動かされるように、馬に跨ると、全速力で自宅へと向かった。
何か言っている執事を無視し、カンナの自室に飛び込んだ。
「……これは、どういうことだ?」
侍女たちも真っ青になって立ち尽くしている。
部屋は、もぬけの殻だった。
カンナが持ち込んだ大量の本や飾り棚のガラス細工などが何も無かったのだ。
慌ててクローゼットを開けてみるが、中には何も入っていなかった。
ふと目に留まったドレッサーにアメジストの指輪が置かれていた。
震える手でそっと指輪を握りこみ、ラークスター家に向かおうと玄関まで駆け下りた。
玄関では、執事が王城の伝令から書状を受け取っているところだった。
「ジーク様、陛下からの親書でございます。」
それどころではないが、渡された手紙をその場で開封し、目を通す。
そこに書かれていたのは、すぐに王宮に来いと言うものだった。
しぶしぶ執事にラークスター家への言伝を任せて、王宮へと向かった。