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界渡り決行が3日後に迫った日に、ジークは宰相である父の執務室に呼ばれた。
「ジーク、今でも聖女様の事を想い続けていると言うのは本当か?」
「・・・は?」
思ってもみなかった質問に、虚を突かれたジークの思考は一瞬、停止した。
徐々に動き始めた頭の中で、この質問の意図がようやく分かり、口角が上がった。
おそらく、カンナが義父である宰相に、先日のやり取りを告げ口したのだろう。
告げ口など、カンナらしくないとは思いつつも、二人のやり取りが部外者に筒抜けになっていることに苛立ちを覚えた。
「えぇ、本当です。私にとって彼女以外は道端の石と変わらない。ご存知でしょう?3年前にも同じ答えを申し上げたはずです。」
「・・・道端の石?おまえにとってカンナも道端の石だと?」
「えぇ。何を今更。」
冷やかな笑みを浮かべる自分の息子を見つめ、後悔の念が浮かぶ。
カンナはこんな男の何処に命を懸けるだけの価値を見出したのだろうか。
本当は、今から、伝えるつもりだった。聖女の召喚が決まり、その聖女を召喚するカンナが犠牲になると。
だが、この男は、その事実を知らされても、止めるように進言するどころか、邪魔者が居なくなったと言って喜ぶのだろう。
可愛い我が子のそんな醜い姿を見たくない。
宰相は黒く塗りつぶされて行くココロに蓋をし、腹を括った。
「・・・分かった。ジーク、聖女であるユーリ様の再召喚が3日後に行われる。」
「は⁈ 父上、それは本当ですか?召喚は100年に一度しか出来ないのでは無かったのですか?」
「・・・ラークスター家の力があれば界渡りは可能らしい。当代一の魔力量を有している方が一度だけ力を貸してくださる。」
「・・・アレックスですか?」
王国の魔術師長の彼以外に考えられない。いや、彼の父の侯爵も素晴らしい魔力を有している。
「・・・それは、言えない決まりになっている。」
二人の間に沈黙が降りる。
「召喚の名目は何ですか?」
「それについても、最機密事項だ。・・・ジーク副団長。あなたに、聖女様の護衛隊隊長を命じます。人選は任せます。近衛から引き抜きなさい。聖女様の滞在は短くて24時間です。」
二の句が告げないジークをよそに、父親の顔を消した宰相は次々に指示を出した。
「・・・最後に。一つだけ。大切な人の手は決して離してはいけません。忘れないで下さい。」
「は?」
つぶやくように告げて、悲しげに俯いた父の姿にギョっとした。何かがおかしい。最近のカンナも父も、どこかいつもと違うように感じるのに、上手く言葉にならない。
「話は以上です。すぐに準備にかかりなさい。」
ジークは何か言いたそうにしていたが、諦めたようにため息をつき、一礼して退出して行った。
--*--
それからは、聖女の再召喚に関する業務に忙殺され、自邸に戻れたのは、聖女を召喚する日の明け方だった。
単騎で自邸を目指しながら、この話をカンナにするべきかどうか、悩んでいた。
カンナもラークスター家の人間だから、召喚についての連絡が行っているかもしれない。
カンナは自分と聖女が一緒にいる様をみて、嫉妬するだろうか?
暗い悦楽を覚える胸を鎧の上からそっと抑えた。
ユーリに会ったら、伝えよう。心から愛する人が出来たと。
ユーリは笑ってくれるだろう。
良かったねと言いながら。
それと、この任務が終わったら、カンナと向き合おう。
愛しているのだと告げて、今までの許しを乞おう。
そう考えると、不思議とココロのモヤモヤが晴れて行くような気がした。
自邸へと着き、玄関の扉を開くと、カンナが立っていた。
「お帰りなさいませ。」
「あぁ。」
ジークはいつも通り支度をし、カンナと朝食を食べた。
カンナも、いつも通り、庭のバラのつぼみが膨らんできたことや、ゼラニウムで染色した糸の出来が良かったことなどを楽しそうに話している。
結局、カンナに聖女が呼び戻されることを伝えられなかった。
「・・・ 今日は帰らない。先に休むように。」
「・・・はい。」
馬に跨り、公爵家の優美な庭を抜けていくジークの後姿をカンナは見えなくなるまで見送った。
その後、執事のアルフォンスに今夜はラークスター家で過ごすことと、昼前に兄が迎えに来ることを伝えた。
自室に戻り、自分が持ってきたものをすべて、転移陣を使ってラークスター家の自室に移動した。
ジークからもらったものは彼の瞳と同じ輝きをもつアメジストが繊細に散りばめられた結婚指輪だけだった。
きっと、ジークが選んだものではないけど、それでも薬指に通してもらったときは舞い上がりそうなほど嬉しかった。
その指輪に一度だけキスをし、ドレッサーの上にそっと置いて、自室を後にした。
お昼頃、迎えに来たアレックスと共に、転移陣で宮殿のアレックスの執務室まで移動し、召喚の準備を急いだ。
カンナのローブはアレックスと同じ漆黒だが、袖口や合わせの辺りに、赤い糸でとても繊細で美しい刺繍が施されている。
これが自分の死装束になるのかとぼんやり考えていると、扉をノックする音がして、扉が開いた。
現れたのは、陛下だった。
「アレックスの部屋は、防音の魔術が施されているから、密談にはもってこいだからな。」
「陛下。」
「カンナ、気は変わらないのか?」
「はい。」
「何か、望むことはないか?」
少しためらった後、カンナは顔をあげて、国王の目を見据えた。
「・・・一つだけ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「よい。」
「では、どのような結果になっても、2回目の門が閉じた時点で、私とジーク様の婚姻契約を解消して下さい。」
陛下とアレックスの息をのむ音がした。
「とうとう愛想が尽きたか…。」
「いいえ。私の気持ちは、何があっても変わりません。この身が滅びるその瞬間まで、ジーク様をお慕いします。
しかし、この術を使って何も失わずにいられるとは思えません。魔力だけで足りなければ、身体を失います。命も例外ではありません。
聖女様とジーク様が結ばれれば、私との婚姻は邪魔になりますし、例えお二人が結ばれなくても、壊れた身体で妻としての勤めは出来ません。どうか、最期の願いをお聞き下さい。」
「分かった。アレックス、お前はどうだ?」
「…魔術師長を辞めさせていただきたい。後任に第一魔術師団団長を推薦します。」
アレックスの魔力量は、カンナに匹敵するほどで、彼が、王立の魔術師長を辞めるということは、王家がラークスター家の庇護を失うという事になる。
「…すぐに退任というわけにはいかん。しばらくは休暇扱いとする。よいな?」
「はい。」
健闘を祈ると言い残し、国王はアレックスの部屋を出て行った。
「兄様。ごめんなさい。私のわがままに付き合わせてしまって。」
悲しげに俯いたカンナの肩をそっとだいて、アレックスは最愛の妹の顔をあげさせた。
「カンナ。後悔はしていないのでしょう?何を謝る事があるのですか?あなたの愛した人の幸せを見届けるのでしょう?顔をあげていなさい。胸を張って。泣き言や謝罪は後でいくらでも聞きます。いいね?」
「はい。」
蚊の鳴くような声で返事をしたカンナの頭を撫で、彼女の無事を初めて神に祈った。