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兄が帰った後、カンナは付きっ切りでジークを看病をした。
「ユーリ…」
聖女の名前を呼んで、うなされているジークの手をギュッと握って、カンナはそっと囁いた。
「…傍にいます。」
カンナを聖女だと思ったのか、苦しそうだった寝顔が安心した表情に変わっていく。
彼はもう限界だろう。このままでは、彼のココロが壊れてしまう。
カンナは自分にしか出来ない方法でジークを幸せにするのだと決意を新たにした。
明け方、目を覚ましたジークは枕元にカンナが居るのを見ると、盛大に顔を歪めた。
「出て行ってくれ。」
「…―旦那様。私は、聖女様と旦那様の仲を邪魔したいわけではないのです。」
ジークは唐突に話し出したカンナの話の意図がつかめず、困惑した目をカンナに向けた。
「詳細はお話できませんが、お二人のために、私にしか出来ないことがあるのです。」
聖女は還った。次に異界への門が開くのは100年後だ。この世界の誰もが、聖女は2度と現れないと思っている。
この女は何を言い出すんだ?
「気休めのつもりか?たとえユーリが再び現れても、お前の存在がある限り私に幸せは訪れない。」
言いすぎだとわかっていても、一番触れられたくない話題に余裕がなくなったジークはとめられなかった。泣くだろうか?
しかし、カンナはふわりと微笑んで、心配ないと告げた。
どんなに口汚く罵っても、彼女は凛として優しく微笑む。
「…― 何故、笑っていられるのだ?」
カンナは一瞬キョトンとしたが、満面の笑みで「ジーク様が大好きだからです!」と答えた。
心臓を鷲掴みにされたような衝撃がジークを襲った。
「…そうか。変なやつだな。」
「はい!」
クスクスと笑いだしたジークにカンナは驚き、一瞬固まったが、ジークが笑ったところをはじめて見れた喜びで、ニヤニヤしてしまうのを隠すので必死だった。
--*--
それ以来、ジークは毎日邸に戻り、朝食をカンナと食べるようになった。
仕事量をセーブせよという団長の命令があったから仕方なくだとカンナには説明していたが、ジークはカンナと過ごすこの時間が好きになっていた。
穏やかな時間に癒されていく自分に気がついた。
ニコニコと微笑んでくれるカンナと二人でこの先もずっと一緒に居たい。
本心ではそう思うのだが、彼女をあれだけ拒絶し、深く傷つけた自分を思うと、なかなか素直に告げられずにいた。
カンナとの会話は、他愛のないものが多いのだが、時折、聖女の話になる。
今では、聖女の話が出ても、胸の痛みはなく、穏やかな気持ちで話すことが出来る。
聖女帰還から3年たってやっとそう思えるようになった。
ある朝、カンナが緊張気味にジークに問いかけた。
「ジーク様、今でも聖女様に逢いたいですか?気持ちは変わりませんか?」
「…――あぁ。そうだな。」
「……を失くしても、ですか?」
呟くように発された彼女の言葉はジークにはよく聞こえなかった。
「突然どうしたのだ?」
「…いえ。あのっ…私では、いけませんか?聖女様の代わりにはなれませんか?」
「彼女の代わりなど、誰にも勤まらない。むしろ、お前の代わりが彼女であったらと思うよ。」
意地の悪い微笑を浮かべてカンナを見据えた。
「…そうですよね。すみません。出すぎたことを申しました。」
本当は、カンナの代わりこそ誰にも勤まらないと思うのだが、いつもの調子で彼女をいじめてしまった。
どんなに傷つけても、カンナは自分から離れていかない自信がジークにはあった。
その目に一瞬悲しみを浮かべたカンナを珍しいなと思いつつも、結局、本心を告げなかった。
いつも通り、ジークを見送った後、カンナはもう何度目になるか分からない決意を胸に、父と兄へ「決行する」と一言だけ書いた手紙を書いた。