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2.Aチーム、特攻しないでじわじわ前進 (vol.2)

 鯖丸とピーターは、薄暗い通路を進んでいた。

 壁面に格納された軽装宇宙服には、番号が割り振られていた。

 非常用の小さく畳めるタイプで、宇宙船舶の国際規格に適合した性能の物が、頭部パーツのヘルメットより一回り大きいサイズに収納されている。

 非常時には、ここから上部の客室まで空気圧で押し上げられる様になっている。

 特に、破壊されていたり、別の場所に隠されたりはしていないので、ほっとした。

 足下にあるはずの非常用脱出艇も、細工されたり触られたりという人の残した気配は無い。

 最も、相手に能力の高い魔法使いが居れば、細工は出来るのだが…。

「今の所、白っぽいグレーだな」

 鯖丸が小声で言うと、ピーターは顔をしかめた。

「お前の英語、発音が分かりにくいんだよ。もっとはっきりしゃべれ」

「ハイブリットなんだから、ちっちゃい音でも聞き取れよ、くそガキ」

 口の中で、くぐもった発音でぼそぼそ言うと、ピーターは確実に聞き取ってローキックを入れて来た。

「何すんだてめー。都合の悪い事だけ聞き取る年寄りか、ガキのくせに」

「うっせー、たちの悪いコメディアンのコントみてーなコロニー訛り、聞き取れるかよ。お前だってガキのくせに」

 小声で罵り合っている図は、本気でコントなのだが、本人達は自覚症状が無い。

「待て、問題点は一つずつ解決して行こう」

 鯖丸は、ピーターを止めた。

「めんどくせーな、おい。いくら忍者でも、魔界でなら負けないぞ」

 忍者についてはもう、解決するつもりが全く無い鯖丸は、その点は無視した。

「先ず、俺はガキじゃない。確かに東洋人としても若く見られる方だが、ガキに見えるのは欧米系の人間が老け顔だからだ。俺の責任じゃない」

 国際的に色々問題のありそうな、すごい責任転嫁だ。

「知るかよ。ガキかどうかはともかく、本気で聞き取りにくいんだよ。もっとはきはきしゃべれよ」

「何んだとー、コロニー出身を差別するのか。学会でもそんなん言われた事ないのに」

「可哀想だから言わなかっただけだろ」

 おそらく正論だろうむかつく事実を指摘されてしまった。

 言葉なんて通じりゃいいんだ、クソが…と、内心悪態をついていた鯖丸は、立ち止まった。

 足下の、通路両側に設置された蓄光灯以外は明かりのない薄暗い空間で、急に立ち止まった鯖丸の後ろで、ピーターも歩みを止めた。

 暗がりで、ハイブリットの少年が聞き耳を立てているのが分かる。

 そのまま、声で合図されず、肘を掴んで壁際に引き寄せられた。

 ジョン太やフリッツの様な戦闘用ハイブリットではないが、原型タイプだ。

 聴覚や嗅覚は、普通の人間よりも遥に優れている。

 壁際の、構造上少し出っ張っている後ろに隠れ、様子を伺った。

 相手に感知出来ない程度に魔力を折りたたんで、センサーだけを前方に向ける。

 精度の高い魔法は、まだ手応えが心許なかったが、実用には耐える範囲内だった。

 通路の素材と、履いている靴の為か、相手の足音は普通の人間の耳には、ほとんど聞こえなかった。

 ただ、衣擦れの音と何か硬い物(おそらく、銃器)同士が接触する音が聞こえる。

 耳を澄ませると、電気系統のノイズと、空気の流れる音まで聞こえる様な気がした。

 魔力で感知しているだけで、耳で聞こえるのは気のせいだ。

 船体の動力系が発している振動も、規則正しく足下から伝わって来る。

 久し振りで、加減が分からない。

 相手は一人だった。

 動きやすいカジュアルな物だが、一般的な旅行者として不自然ではない服装。それに似合わない、アサルトライフルとアーミーナイフ。

 暗がりではっきり見えるはずのない映像が、頭の中に流れた。

 振り返ると、ピーターが勝手に、スーツのパネルから接続コードを引きずり出して、自分の首に繋げていた。

『大丈夫か? 何んでそんなに動揺してんだよ。さくっと取り押さえるぜ』

 あいつらの仲間に会ったら、冷静で居られるかどうか、疑問だった。

 自制出来なくて、あいつらを切り刻んでしまう可能性を危惧していた。

 怖くて体が動かないって…何の悪い冗談なんだ、これ。

 そんな事、もうずっと昔に克服出来ていたと思っていたのに。

 呼吸を整えた。

 呼吸を正せば、心も安定する。

 剣道の師匠、溝呂木先生に教えられた事は、魔界でも有効だった。

 有線コード越しに、ピーターに話しかけた。

『大丈夫だ。あいつを確保する。サポート頼む』

『何んだ、有線ならまともにしゃべれるんだ』

 魔界で有線接続していれば、言葉が通じなくてもある程度は意思の疎通が出来るから、会話で訛っているのとは別の話なのだが、ピーターには、いきなり対話がクリーンになった様に聞こえたのだろう。

 首筋からコードを外し、刀を抜いた。

 相手がこちらの存在に気付いた。

 壁を蹴り、加速する。

 銃を構えて引き金を引かれる前に見切り、アサルトライフルを両断した。

 そのまま相手にタックルし、うかつに0.16Gの軽さを忘れてバウンドした所で、重力操作を使い、床に相手を叩き付けて、更に重さを追加した。

 相手が気を失うまで重力を追加し、床に歪みが出始めた所で停止した。

 少しの間止まっていた呼吸が、再開されたのを確認し、目の前に倒れている男の脇腹に蹴りを入れてから、装備をはぎ取った。

 念入りに、下着まで取り上げてから、装備として渡されていた確保用のテープで倒れた男の手足を容赦なく縛り上げ、口も塞いで、やっと安心してその場に座り込んだ。

「悪い。こいつ、俺の目の前から消してくれ」

「いや、先ず話を聞こうよ」

 常軌を逸した行動に、少し引いていたピーターは、とりあえずそれだけ言った。


 ある程度は予想していたが、捕まえた男は口を割らなかった。

 十才近く年下の、しかもあんまり賢そうじゃない少年に諭されて尋問を開始した鯖丸は、あっという間に諦めた。

「ああ、何も話す事は無いんだ…そうなんだ。殺そう、こいつ」

「わぁ、待て。頭おかしいのか、お前」

「魔法使いは、大体皆おかしい。大丈夫だ」

 全く大丈夫じゃない寝言を言い始めた。

「おい、おっさん。魔法使いは大体おかしいが、こいつは破格におかしいランクSだ。俺から見てもまともじゃない。投降しろ」

 アホな少年の方が、まともな事を言っている。

 いや…こんな所まで連れて来られて、転送という特殊技能の所為もあるが、未成年なのに重要なポジションを任されているのだ。

 ピーターだってそれなりの能力も経験もあるはずだ。

 男は、閉じていた目を開いて、こちらを睨んだ。

「投降だと…我ら北ルミビア解放同盟は、汚された聖地を我が手に取り戻す為なら、たとえこの命が…」

「じゃあ、死ねよ。御託はいいから」

 鯖丸は、がっと全裸にむかれて無抵抗の男の頭を踏み付けた。

 そのまま、ぐりぐり踏みにじって、更に蹴りを入れた。

「拷問とかして吐かせるのもめんどくさいし、魔法で自白させる為に同調すんのも反吐が出るし、正味、触るのも口を利くのも気持ち悪い。やっぱりこれ、基地車に転送して厄介払いしてくれないか」

「いいけど…。こいつら、俺らみたいな裏家業の魔法使いから見ても非道い奴らだけど、あんたのやり口もちょっと引くよ」

 物怖じしない少年は、非難した。

「えー、自分から泣きながらもう殺してくださいって言わせても良かったんだぜ。この程度で済ませて優しいだろ、俺って」

「やってらんねぇ」

 ピーターは言い捨てて、一応転送ポイントをバミってから、確保された男を連れて基地車に移動した。

 残された鯖丸は、刀を抱えてその場にうずくまった。

「何やってんだ、俺」

 もう少しくらいは冷静で居られると思っていたのに。

 この先、あいつらの仲間が複数出て来たら、自分がどうなるのか分からなかった。


 ジョン太は、狭い通気口の中を匍匐前進していた。

 背後からは、レビンが不機嫌な感じで付いて来る。

 まぁ、レビンだって、狭い所で野郎のケツなんか拝みながら匍匐前進なんてしたくはないだろう。

 とはいえ、六分の一Gでの匍匐前進は、地球でやるのに比べれば格段に楽だ。

 でかい体を狭い空間にみちみちに詰め込むのは、快適とは言えないが…。

 何んで一番体格のいい俺が、このポジションなんだよ…と、心の中で悪態をつきつつ、目標地点まではあっという間に到達した。

 まぁ、本人が内心文句を言っている割には、元軍人で、宇宙軍の特殊部隊所属で、現役の魔法使いで、戦闘用ハイブリットだ。

 こんな所にみっちり詰まっている条件は、体格以外はほぼ適材適所だ。

 このポジションに一番適しているフリッツが、人質組になってしまったので、ちょっと拗ねてみただけだ。

 作戦の指揮官で、皆に連絡を出せるトリコと行動を共にしなければいけないという事実が無ければ、フリッツも別の判断をしただろう。

 あの、Vシネマみたいなヤクザファッションが、普通だと思っている感性はどうかと思うが(トリコは何んで止めないんだ?)その他の部分では、ほぼ安心して任せられる。

 四年前に、U08の事件で初めて会った時の、斜に構えた青年の事を思うと、フリッツも一人前以上の軍人で魔法使いになったな…と、感慨深く思う。

 大体、最初に会った頃は十代のガキだった鯖丸も、嫁も居て、もうじき子供も生まれるって、どうよ、これ。

 おっちゃんだという自覚はあったが、そろそろ年寄りのラインに近付いている様な気がして、何だかショックだ。

 まぁ、平均寿命も昔に比べれば格段に延びて、まだまだ人生の前半ではあるが。

 ダクトの中を前進して、目標地点まで来たので止まった。

 細かいスリットの入ったエアダクト越しに、やっと客室内を確認出来た。

 空気の流れは、ほぼ止まっていた。

 このダクトはエアコンディショナーで、生命維持には直接関係ないラインだった。

 だから、侵入経路に選ばれたのだ。

 内部の様子は、接近するまで分からなかった。

 むっとする空気が、漂って来た。

 狭い場所に閉じ込められて、恐怖で怯えている人々の体臭。

 最低限の空調で、呼吸可能な大気は確保されているが、快適とは程遠い密閉された空間。

 座席の並んだ客室には、四隅に銃器を構えた人影があって、快適な座席から追いやられた人達が、比較的広い空間のある客室後部中央通路に、まとめられてうずくまっていた。

 通常は、非常時の避難経路として開けられている空間だ。

 旅客宇宙船のレギュレーションとしては推奨なので、良心的な設計の船だ。

 乗客の人数分宇宙服を積んでいない様な、格安航路の船が問題になっている昨今、正味事件に巻き込まれたのがそういう船でなかっただけ、まだマシだ。

 しかし、地球で云えば小学校高学年にあたる子供達が、疲れた顔をしてうずくまっているのを見ると、心が痛む。

 子供達を庇う様に、教師らしい四人の男女が、子供らの外縁で周囲を見ていたが、彼らも多分限界だろう。

 そして、宇宙に慣れていない地球人の旅行者は、パニックを起こす様な段階はもう通過したのか、無気力にうずくまっていた。

 先程客室乗務員が配った軽食を、背中を丸めて食べている者はまだいい。

 それすら出来なくなって、ただ、体を縮めてうずくまっている者。そういう人から、どれくらい振りなのか分からない食事を取り上げて、自分の物にしてしまっている人。ぶつぶつと、何かつぶやき続けている人…。

 そんな中に、ひときわ目立つ人物が居た。

 体にぴったりしたパールカラーのボディースーツの上から、虹色で半透明のワンピースを着た、ライオンみたいなヘアスタイルの女。

 世界的に有名な歌手の、レディーUMAだ。

 おおっ、本物だ。やっぱ、かっこいいな。足長いし、頭ちっちゃい。

 彼女が、毅然とした態度を取っている事で、周囲はいくらか勇気付けられている様子だった。

 救出したらサインをもらおう…とか、おっちゃんのくせにミーハーな事を思いつつ、もう一人の重要人物、政治家のハストの姿を捜した。

 元から平凡な容姿のせいか、人混みの中に隠れてしまっているのか、確認出来ない。

 別の場所に監禁されているのかも知れない。

 特別な人質として利用される可能性もある。

 油断無く客室全体を見回してから、目の前の通気口を観察し、いざという時に瞬時に外せる様に、周囲を点検し、細工した。

 そのまま、楽な姿勢を取って待機しようとした所へ、反対側のドアが開いた。

 罵声と共に、投げ込まれる様に、トリコとアウラとフリッツが、客室内に放り込まれた。


 アウラは、俯いて泣いていた。

 魔法使いだって、皆が皆、汚れ仕事をしている訳じゃない。

 どんな扱いをされたのかは、何となく分かったが、トリコが空気を読んでウソ泣きしているので、アウラもどこまで本気なのか分からない。

 フリッツは、何となく殴られたり蹴られたりした様な気もするが、肌の色が黒いので良く分からない。

 まぁ、本来の姿でも、全身毛皮だから分からないだろうけど…。

 人質達の中に、無造作に放り込まれたので、作戦としては成功なのだろう。

 客観的に見ると、自分とフリッツのポジションを交替しないで良かったと思った。

 普通の人間バージョンになったフリッツは、あんまり強そうに見えない。

 これ、大丈夫なのか…? という表情で、レビンが後ろから覗き込んだ。

 大丈夫、そのまま待機という指示を軍用の手話で出した。

 詳細は通じなかったが、大人しく待てと云う意味は通じたらしい。

 レビンは、背後で気配を消して待機した。


 貨物室までの連絡通路で、鯖丸はピーターを待った。

 その間に、壁面から手動で宇宙服を二着取り出す。

 簡易服とは云え、意外とかさばるので、一つは酸素供給ユニットだけ取り外し、無理矢理上着のポケットにねじ込んだ。

 もう一つは、ハーネスを引き出してベルトに留めた。

 多少邪魔だが、重力が低いのでそれ程負担にはならない。これで両手も使える。

 ピーターは程なく戻って来た。

 面倒臭くなったのか、基本的にシールドは開けっ放しだったが、とうとうヘルメット部分も首の後ろに倒したままになっている。

 内部パーツに接続された首筋のジャックインプラグが、ちらりと見えた。

 通常の廉価なタイプだが、型番は最新型なのでレスポンスは良さそうだ。

 プラグの外装は、ちょっとイキがっている青少年が好みそうなデザインになっている。

 スーツちゃんと装備しろよ…と、内心思いながら、胸部パネルを勝手に開いて、コードを取り出し、自分の後頭部に繋いだ。

『ちょ…勝手に繋ぐなよ』

 抗議が、頭の中にクリアに聞こえた。

 通常の通信と違って、耳から聞く周囲の音と干渉しない上に、会話が外部には音として全く聞こえない。

 まぁ、聞こえない様に頭の中だけで会話するには、多少の慣れが必要だが。

『お前もさっき勝手に繋いでただろ。で、報告は?』

 ピーターがうろたえたのは、繋がれる直前まで油断し切っていて、ファニーメイって可愛いよな…という心の声と、微妙なエロ妄想がちらりと漏れていたからだろう。

『状況はあんまり変わってない。メッセンジャー二人は外界に搬送されたって。それと、さっきの奴はバット先生が尋問してたけど、全裸にむいたのは皆んなに引かれてたぜ?』

 引きたい奴は引け…と、やけくそで考えた。

 暴行を加えなかった(鯖丸基準で)だけマシだ。

 そのまま、貨物室への通路を進みながら、会話した。

『軍人て最低だな。要求は呑む振りして、ダミーの船を寄越すって。バレたら乗客がどうなると思ってんだ』

『まぁ、テロリストの要求は、呑まないのが基本だからな』

 バレる前に制圧すればいいだけだ。それに必要な面子は揃っている。

『急ごう。交渉が始まる前に、貨物室に居る奴を確保して、客室に突入する準備をしないと…』

 ちらりと、交渉役のドリー、危ないんじゃないか? という疑問が浮かんだ。

 ピーターも同じ事を思ったらしいが、そもそもこの船内に居る全員が危ないし…。

 それから、ちらりと意地悪な事を考えた。

『メアリー(ファニーメイ)可愛いよな。ところでピーターはロリコンなの?』

『三つ年下の娘を可愛いと思ったら、ロリコンか?』

 ちょっとむっとした感じが、セリフと一緒に送り込まれた。

『なるほど、先ずお前がガキだもんな』

 色々な抗議が、言葉にまとめられないで送り込まれたが、無視した。

 もしかしたら、見張りが確保されたのがバレている可能性もあるし、交代要員が来る可能性は、もっと高い。

 二人は、足下の蓄光灯しか照明のない暗い空間を、先に進んだ。


 トリコとアウラとフリッツは、客室の床に転がされた。

 何だか良く分からない言葉で罵られたが、分からない事は基本的に無視するトリコは、相手の意志が憎悪と、この場で大人しくしていろという意味だったので、その通りにした。

 無力でか弱い東洋人の女という自分の外見を、最大限に利用して、怯えた表情でフリッツにしがみついた。

 普段あまりそういう事はしないので、フリッツが内心ちょっと喜んでいるのが分かる。

『こんな時に何を』

『いや〜、こんな時ぐらいしか…』

 捕まった時にぼこぼこにされたくせに、嬉しそうなのが何かむかつく。

 アウラは呆れた顔をしたが、あっという間に非道い目に遭って可哀想な私アピールに戻った。

 ジョン太が目撃したのは、この時点だ。

 過去に色々あった元軍人で魔法使いでも、女の黒い部分は中々見破れない良い例だ。

 アーリア人の成人女性としてはかなり小柄なアウラは、自分の外見を利用する方法は良く分かっている様子だった。

 頼もしい。

 ジョン太とレビンの気配が、通気口の向こうに現れた。

 ボスとバニーがまだなのは、移動距離の所為だ。

 鯖丸とピーターは、もっと時間がかかるだろう。

 先ず、ジョン太、レビン組にチェシャ猫を送り出そうとした所で止まった。

 右サイド前方の扉が開いて、二人の男に左右から銃を突き付けられたドリーが、姿を現した。

 ああ、何んでこいつ寄越したんだよ、軍人丸出しだ…と、トリコは内心歯噛みした。

 軍服は着ていないが、普通の男より短く刈り込んだ髪も、ぴったりしたシャツと半ズボンの下に履いたスパッツから覗く鍛えられた体も、民間人には見えない。

 マクレーの部下にも、後から入るCチームの魔法使いと軍人にも、もっと素人らしく見える奴はいくらでも居たのに。

 いや…わざと軍人らしいドリーを交渉役に選んだのか…。

 マクレーも意外と非道い奴だな、さすがジョン太の戦友だ。

 チェシャ猫をするりと足下から送り出して、改めて周囲を確認した。

 この船は、比較的長距離を航行するので、座席にはプライバシーを確保出来る可動式のシールドと、個人で使えるマルチモニターや端末、快適なベッドに変形する座席が完備されている。

 乗客がそこから引き剥がされているのは、一纏めに見張りやすいのと、後は単なる嫌がらせだろう。

 不愉快な連中だ。

 フリッツと結婚して、日本を出てからは、色々と面倒なので表向きは仏教徒という事にしている。

 まぁ、自分的にはどうでもいい事だし、子供らがつまらない思想に巻き込まれないで、自分で判断出来る年頃になったら、自由に選択すればいいと思っている。

 フリッツはクリスチャンだが、名目上そうなだけで、大して熱心でもないし、教会に行っているのも年に二回くらいしか見た事が無い。

 宗教なんて便宜上の物だ。

 それを無気になって聖地がどうだの、指導者がどうだの、色々言って事件を起こす奴の気が知れない。

 実際は、信仰ではなく政治的な問題なのだろうとトリコは考えた。

 その方が理解しやすい。

「魔界内部で稼働する機体を捜しています」

 ドリーの声が、客室全体に聞こえた。

 特に大声ではないが、彼女は良く通る声だった。

「十時間待ってください」

 明らかな時間稼ぎだった。

 しかし、魔界で稼働する宇宙船を用意する為には、妥当な時間だった。

 テロリスト側に指定された機種は、通常月には配備されていない。

 まぁ、無理をすれば五時間くらいで調達は出来るだろうが。

「我々は譲歩しない」

 交渉役の男は言った。

 お前らが譲歩しろ。出来ないなら死ね。それも出来ないなら、私がこの手で引導を渡してやる…。

 内心むかついているトリコの肩を抱いて、フリッツはなだめる様にぽんぽんと軽くはたいた。

『我慢してくれ。出来るよな?』

 トリコはうなずいた。

 フリッツは、自分よりももっと沢山の事を我慢している。

 主に、ハイブリットだというだけの理由で。

 法的に平等でも、感情的に同じ扱いをしてもらえる訳では無い。

 特に、フリッツの様な原型タイプのハイブリットは。

『お前の為なら、何でも我慢するよ。でも、無駄に忍耐するのはごめんだ』

『結果はちゃんと出す。協力してくれ』

『あんたら、ラブラブねぇ』

 ふいにアウラが個人通信の会話に割り込んだ。

 まぁ、恥ずかしいけど、別に他人に聞かれて困る会話じゃない。

 問題なのは、リンクを張っていて、近距離で密着している魔法使い二人のホットラインに、第三者が参加した事だ。

 魔法使いとしての経歴が、実年齢に近いトリコでも、そんな経験は今まで無かった。

 ジャックインプラグを装備していて、有線接続しているならともかく…。

 こいつ、思ってた以上に魔力もスキルも高いな…と、トリコは考えた。

「こちらは、あなた方の出した条件は呑みました。時間内に私がここへ来て、船の手配も始めています。アリオー氏の身柄もサウスシティーの自治会から国連宇宙軍に引き渡しが完了しています。手配した船と一緒に、あなた方に引き渡されるでしょう」

 ドリーは、淀みなく、しかし淡々と話した。

「出来る限りの事はやっています。次はあなた方が誠意を見せる番では?」

 強気の交渉だな…と考えた。

 トリコは、日本で政府公認魔導士だった頃、単独の潜入捜査官だった。

 団体の作戦行動が苦手なのは、自覚している。

 そんな自分でも、ちょっと不自然に思うくらい、ドリーの交渉は強気だ。

「先ず、あなた方の手に余る人数の人質を、半分くらい帰してもらえれば、民間から徴収した船の搬送も、少しは速くなると…」

 ドリーの眉間に銃床が叩き込まれた。

 低い重力でドリーは壁まで派手に吹っ飛び、流れ出した血が額を染めた。

『あれ、ドリーはわざとやってる?』

 一応フリッツに聞いた。

 身柄の引き渡しを要求されていた幹部の名前も、今初めて聞いたのだ。

 おそらく、魔法使い達には報されていなくて、軍人達だけが知っている情報がある。

『魔界で私に隠し事が出来ると思っているのか? 良い度胸だな』

 いくら夫婦でもお互い秘密はあるだろうが、同じ作戦行動に参加していてこれは無い。

『済まん。まだ話せない』

『そうか』

 トリコはうなずいた。

『一つだけ聞くが、乗客の安全最優先でいいんだな』

 フリッツは、ほんの一瞬だけ躊躇ってから、同意した。

 それなら、シンプルで良い。

 魔力も経験も、魔法使いとしては格下の夫から、無理矢理内情を引きずり出す事は出来たが、それは外界で弱い者に暴力を振るうのと同じだ。止めておいた。

 もちろん、フリッツは外界でも魔界でも、全く弱くはないが…。

 ドリーはメッセージを持たされ、船外に送り出された。

 メッセージの内容は、確認出来なかった。


 貨物室の出入り口は、簡易な減圧室になっていた。

 エアロック程ではないが、気圧も酸素濃度も温度管理も低レベルの貨物室に入るには、通常、専用の作業服か簡易な宇宙服を着用するのが普通だ。

 月面や宇宙空間に曝すには脆いが、生物程厳密な管理の必要ない貨物が並んでいる。乗客の荷物も、客室内に持ち込む手荷物と、取り扱い注意の品物以外は、基本的にここだ。

 船の構造上、天井は低いが広いスペースに、貨物がパーティションに区切られて積み上げられている。

「宇宙服、着ないのかよ」

 折角持って来た簡易宇宙服を、腰の後ろに括り付けたままの鯖丸に、ピーターは聞いた。

「快適じゃないけど、死ぬ様な環境じゃない」

 地球でも、過半数の人間は装備無しで耐えられる高山と同じ環境だ。

 ただ、地球の高山と同じで、短時間で低い気圧に移動すれば、高山病と同じ症状を起こすので、スーツから酸素供給ユニットだけ外して持って来ていた。

 簡易宇宙服は、ここに居るはずの、今は身元不明の人間用だ。

 さすがに、いきなり減圧環境で激しい運動をすると危険なので、深くゆっくり呼吸しながら、貨物室内に踏み出した。

 まぁ、地球でもこの程度の環境で暮らしている人も多少は居るし、アスリートのトレーニングにももう少しゆるい環境は使われているし、もっと厳しい環境に酸素補給無しで挑む登山家も沢山居るし…。

 そういう所へ、チャンスがあれば積極的に出掛けている友人の事を思い出し、あいつ無茶してなければ良いけど…と考えた。

 自分の方が、気楽な独り者の友人と違って、嫁も居れば子供も生まれるのに、更にはげしい無茶をしているという自覚が無いのは、相変わらずの天然なのだ。

 無自覚の天然は、辛うじて視認出来る程度に蓄光灯の灯った貨物室内を二歩三歩と歩いて、先行したピーターを見た。

「いや…お前はシールド閉じろよ」

 ウサギ型ハイブリットの少年は、長い耳をぴんと立てて、左右に振った。

「黙れ、聞こえない」

 原型タイプハイブリットの聴力は、長年ジョン太と組んでいて知っているので、鯖丸は黙った。

 ピーターを邪魔しない様に、立ち止まり、足音も止め、呼吸音も極力控える。

「あっち」

 ピーターが、貨物室の片隅…高く積まれたコンテナの方を指さした。

 かっちり固定されたコンテナの向こうに、人の気配がある。

 バックヤードで感知したのと同じ気配だ。

 とりあえず、汎用性の高い英語で、気配に向かって言った。

「おーい、そこに誰か居るか?」

 動揺する様な気配があった。

「国連宇宙軍に雇われた魔法使いだ。人質なら安全に保護する。テロリストならフルボッコだ。出て来い」

「それでテロリストだったら出て来ると思うのか」

 ピーターに聞かれた。

「ううん、出て来ないと思う」

 鯖丸は断言した。

「出て来なかったら半殺し〜」

「やめて」

 子供の声がした。

 軌道コロニーでの標準的な服装をした少年が、貨物の影から姿を現した。

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