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共依存  作者: ねずみ
1/1

1 雨

その手を離すことが私にはできなかった。


雨。

私は見慣れた駅構内を歩く。

起床、就労、帰宅、就寝。起床、その繰り返し。

なぜその生活をしているのか?と自分に問いを投げかけたことがある。

単純なもので「社会での生存には金銭が必要になるから」という回答が得られた。


(今日は甘いものでも買って帰ろう)


こういったくだらないことを考える時というのは大抵疲れが溜まっている

ものである。賢い人間というのは自身の機嫌を自身で取れる者である。

私は賢い人間なのだからその対応は当然のことであり、何一つ間違ってはいない。

甘いものを無為に欲しているわけではない。


片手に戦利品を下げながら、坂の上を目指していく。

父の残した一軒家は今日も変わらない姿でそこに存在していることだろう。

傘に当たる雨の音に多少の心地よさを感じながら階段を上っていく。

右手に見える公園には誰もいない。当たり前だ、雨なのだから。

この角を曲がれば門扉が見えてくる。見慣れた景色が近づけば近づくほど

もうすぐ休めるという心の軽さが足取りにまで影響を与える。


(…?)


誰かがいる。

傘も差さずに、座り込んでいる。一度、今までの帰路を思い返す。

ここは私の家で間違いはないだろうか?

困ったことにどうしてもここは私の家だ。

先ほどまでの心の軽さはどこかへ去ってしまった。

急に重くなってしまった足を前に進めながら、座り込んでいる人影を

遠目に観察する。あまり目が良い方ではないため、目を細める。

白い制服だ。

思い当たる人物は…いないわけではない。しかしそうなるとずいぶんと

遠い距離をここまで来たことになる。

その理由もなんとなく予想できた。できてしまった。

第一声はどうするべきであろうか?そんなことを考えながらいつもよりも

半分の速度で歩みを進める。

彼女が顔を上げる。一瞬の緊張感が伝わってくる。

私の緊張も彼女に伝わったことだろう。


紅


とても綺麗な…紅。

胸元のそれは彼女のものだろうか?街頭に照らされた彼女はあまりにも…

人というものはこんなにも美しいものであっただろうか?

人というものはこんなにも目を真っすぐに見られるものなのだろうか?

人というものはこんなにも無機質に感じられるのだろうか?

人というものはこんなにも触れたら壊れそうなものなのだろうか?

沈黙はいつまでも続くように感じられた。

息をすることができない。息の仕方を思い出すことに時間を要する。

彼女の口の動きがまるでスローモーションのように感じられる。


「こんばんは」


思考を今に戻したのは彼女の一声であった。

雨の音がするはずだった。傘に当たる雨の音。しない。

これ以降、私はおそらく彼女の声しか耳に入らない。そう思わせられた。

傘はもう手の中にはなかった。落としていた?いつの間に?

かろうじて肺に空気を送り込む、できるだけ冷静な思考で話を…

できない…できないできないできないできない思考がまとまらない

賢く振る舞え何をしている大人だろう賢い大人

駄目だまだ頭の中を彼女の声が反響しているやめてくれ

彼女に幻滅されたくないどうすればいい何を言う

目をそらせないそらしてほしくない見ないでくれ見てくれ

なぜこんなことを思う訳が分からない彼女を壊さないように

壊(・)さ(・)れ(・)な(・)い(・)よ(・)う(・)に(・)


「ど……どう、して?」


疑問。先ほど自分でも結論を出したもの。

分かっている。彼女がここにいる理由を私は予測できる、理解できる。

でもそれ以外に言えなかった!!下手なことを言えない。言いたくない。

無機質な印象を与える彼女の表情が少しだけ微笑みに変わる。


「逃げてきた…」


その表情を見た私は急に思考が冷静になる。

彼女の目を、今度はもう一度私の方から見つめ返し呼吸を整える。


「そうですか、その血はあなたのものですか?もし怪我をなさっているのなら

 中でお話を聞きますので…」


彼女はきょとんとした。何かを間違えたか?


「血…?」


彼女は自身の胸元の、雨で滲んだ紅を見る。気が付いていなかったのか?


「あー…ほんとだ………大丈夫…ただの鼻血です。もう止まっています…

 あの…ごめんなさい、急に来たから…もしダメそうなら私、他の場所に

 行きますから…あぁ…あと、できれば家…連絡しないでほしいです、

 お願い…お願いだから…ごめんなさい」


立ち上がろうとして少しふらつく彼女のことを支えるか迷い、

自身の予想があっているのならば、恐らく今は彼女に触れては

いけない気がして手を伸ばすことをためらう。


「靴は?」

 

「ん?…靴…ないよ…そのまま出てきちゃったから」


「どのくらい前からここにいたんですか?それと…」


この選択は賢くないのだろう。しかし、彼女の身に起きたであろう

ことを考えると、私にはこの選択しかなかったように思える。

そうだとも、大人としては賢い選択をしている。そうだ、賢い選択だ。


「体が冷えているでしょうから、とにかくまずは上がって下さい」


彼女から発せられていた緊張感が少しだけほぐれた。

傘を拾い門扉を開け、玄関前まで彼女を先に歩かせる。

玄関まで入っていれば濡れ続けずに済んだだろうに…

彼女は無断でそこまで入ることをしなかった。

断られる可能性があることを考慮して、そこまで入らなかったのだろう。

そこまで入ってしまえば天秤が傾くことを彼女は分かっている。


「うん…ありがと…そうだよね…ずるいよね、あなたはここで突き放す人じゃないって

 わかってて来たんでしょ?って感じだよね」


小さい声ではあったが聞き取れた。そんなことは気にしなくていいと

彼女に伝えるか悩んだが、彼女が独り言として放った言葉なのだからと踏みとどまる。

それは彼女の懺悔なのだろうから。

玄関ドアに鍵を挿し込む音がいつもよりも鋭く感じられた。


「入ってすぐ…そう、その扉!そこが洗面台で風呂場です。

 まずは風邪を引かないように体を温めてください。

 湯舟はまた今度、とにかくシャワーを浴びて下さい。

 服は…ぇーそうですね、あとで洗濯をしますから置いておいて大丈夫です。

 それよりも替えの服か…昔の君の服はもう入らないだろうし…

 こんなおじさんのシャツでよければ…」


何を緊張しているんだ?思春期じゃあるまいし、余裕をもって接するんだ私!


「シャツをお借りしますね…」


「あ、あぁ…それじゃあ洗面台の横にあるからそれを使って下さい。

 洗ってあるので安心してください」


彼女は少し控えめに会釈をすると洗面台の扉を閉めた。

姿が見えなくなって足に力が入らなくなる。

玄関に座り込むと濡れた髪をかき上げる。


「…6月はまだ冷えるな」


初めて書くので拙い文章であることをお詫びします。

賢い大人は自分のことを賢いとは言わないと思います。

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