第四話 働きたくないけど金はいる
「──で? 食っていけんの?」
朝。川辺での再会から一夜明けた宿の共有スペースで、律がパンをかじりながら訊いてきた。
テーブル越しに彼の髪が朝日を受けてさらさらと光るのをぼんやり眺めながら、俺は頭を抱えた。
「いや、逆に聞きたいんだけど。お前、金どうしてたん?」
「魚!」
一瞬の間の後、俺とルナとセレナ、三人の口が同時に開いた。
「魚しかねぇのかよ!!」
「でもほら、魔法で火つけて焼いてさ〜。文明!って感じしない?」
「お前の賢者スキル、もうちょい有効活用してくれない?」
ルナが胡座をかいたまま、手元のパンを突きながら呆れたように言う。
「ほんま、転生してまでサバイバル生活って……あんたらの頭ん中、どうなってんの」
「俺のせいじゃないからな!? 川に落ちてたんだって!」
「ほっといたら魚と一緒に食われてたで、あれ」
「危機一髪だったんだぞ〜!いやー、マジで転生してたー!」
※
数十分後。俺たちはギルド前の掲示板の前で足を止めていた。
「というわけで、今日は仕事探しだ」
掲示板に貼られた依頼票を見つめながら、全員でうーんと声を漏らす。
「“週7勤務・日給1銅貨・討伐対象:ドラゴン(命の保証なし)”……」
「え、これってもう刑罰じゃない?」
「むしろ“なぜか助かったら脱出成功”感あるよな」
律が首を傾げ、セレナは眉尻を下げながら小声で「ひぃ……」と呟いた。
「うーん……一番マシなのって……これか?」
俺が指さしたのは、オーク討伐の依頼。
「危険度B:オーク3体限定、報酬5銀貨」
「えっ、5銀貨!? めちゃくちゃ金持ちじゃない!?(異世界換算)」
「でも文面の端から“死ぬかも”って雰囲気ダダ漏れなんよな……」
「ま、行くしかないっしょ!」
律が軽くウインクして笑うと、ルナが深いため息をついた。
「ほんま、アホと正直者の集まりやなぁ……」
※
午後。森の中は湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつき、虫の羽音があちこちから聞こえてくる。
「っうわ、虫多すぎ! ワイシャツで来るとこじゃねぇわここ!」
「律、お前はもう少し異世界転生者の自覚持とう?」
葉をかき分けながら俺がぼやくと、前を歩くルナがひょいと振り返った。
「そろそろ来るで。セレナ、どう?」
「……っ、はい。来ます!」
セレナの目が鋭く細まり、背中のローブが揺れた。
息を吸い込み、手を前へ──
「──ファイア・ランスッ!!」
手のひらから放たれた火矢が空気を裂き、オークの群れへ一直線。
しかし、魔力が暴走。火柱が暴発して、木々に燃え移りそうな勢いに──!
「ちょっ、セレナ!? 火柱やばいって!!」
「ご、ごめんなさい! 魔力が、勝手にっ……!」
ルナが素早く両手をかざし、風魔法で炎を包み込むように圧縮し、火を沈める。
「……ちょっとセレナ。魔力、制御できてへんで。お父さんの影響やな?」
セレナは唇を噛んで、俯いたままこくりと頷く。
「でも、大丈夫。俺たちがいる。な?」
俺がそっと手を差し出すと、セレナは不安げな目で見つめた後、そっとその手を握り返した。
※
オークが突撃してくる。俺は足元の枝を拾い上げ、構えた。
「さーて。こっからが社畜流・オーク戦法だ」
「なんで武器が“木の枝”なの!?」
「これで十分だっての!」
オークの足元にある苔へ向けて石を蹴り飛ばし、バランスを崩させ──
喉元を突く! 鈍い音とともにオークが崩れ落ちる。
「一匹目、仕留めた!」
「じゃ、こっちは僕が!」
律が詠唱し、爆裂魔法をぶっ放す。着弾と同時に地面が揺れ、二体目が吹き飛ぶ。
「二匹目!」
最後の一体にセレナが魔力を集中。暴走しないよう、ルナが横で小声の助言を送り、俺が背後を守る。
「いっけぇぇぇ!!」
眩しい閃光と共に、最後のオークが倒れる。
「──よっしゃ! 全部片付けたぞ!!」
「帰って、飯じゃーーー!!!」
※
夜。焚き火のぱちぱちという音が耳に心地よく、パンの焦げた香りが漂っていた。
「……なあ、僕たち……マジで死んだんだよな」
律がぽつりと漏らす。顔は笑っているのに、目はまっすぐに焚き火を見つめている。
「……ああ。たぶん俺、デスクで止まったわ」
「僕はトイレでスマホ見ながら倒れてた。未読LINE180件だったらしい」
「いや、それもう事故死じゃん……」
「でも……なんだろ。こっちの方が、生きてるって感じがするよな」
「……確かにな。ちゃんと“死にたくねぇ”って思えるし」
「っていうか、死にたくないのにまた働いてるのおかしくない!?」
「それな!!」
俺たちは顔を見合わせて、どっと笑った。
※
ふとセレナが口を開いた。
「……私、父が嫌いだったんです」
ルナが目を細め、こちらを見守る。
「ずっと戦ってばかりで、私のことなんて……って、思ってた。でもいなくなったら、世界が……壊れてて」
「……」
「私、父の背中を見てなかったんですね……」
「セレナ」
「……?」
「その気持ち、大事にしろよ。過去より、これから誰を守るかのほうが、大事だ」
焚き火に照らされて、セレナの目にうっすらと涙がにじむ。
でも、頷くその顔は、少しだけ強くなっていた。
※
ルナがふいに空を見上げて、つぶやく。
「ほんま、おもろいわ。転生者ってのは」
「──ルナ。お前さ、なんで異世界のこと……俺たちの“元の世界”のこと知ってるんだ?」
ルナはいつもの飄々とした笑みを浮かべながら、肩をすくめる。
「うちは精霊やからな。魂ってやつを、よう見とる。どこから来て、どこへ行くか……それ見守るのが、精霊界の仕事やねん」
「ってことは、“転生者”って他にも──」
「おる。でもレアや。で、おもろいヤツは、うちみたいなんが付く」
「つまり、俺は……“おもろい”から?」
「せや。全裸でスライムに喧嘩売ってたやろ。あれ見て、“こいつや!”ってなった♡」
「うわー! それもう黒歴史だからやめろー!!」
※
翌朝。ギルドのカウンターに討伐報告をし、受け取った銀貨が手のひらに重かった。
「これが……俺たちの、初報酬!」
「わーい! 焼き魚パーティーしようぜ!」
「律だけだよそれ楽しいの!」
掲示板の前で立ち止まりながら、俺は心の中で小さく誓った。
(まずは一歩。小さいけど、確かに前に進んでる)
ギルドを変える。世界の働き方を、俺が変える。
それが、安心院直樹の──第二の人生だ。