第十話 社畜、地獄の研修を受ける
「ようこそ──地獄の修行場へ」
低い声が、朝の冷たい空気を震わせた。
ジークは東の空に昇る朝日を背負って立っていた。
灰銀の髪は朝露を弾き、鋭い青の瞳がこちらを射抜く。
鎧の影はなく、黒い軽装のコートを羽織り、背には一本の長槍。
その立ち姿は、軍人か、あるいは暗殺者の気配をまとっていた。
「……なんかさ、研修講師ってより“軍曹”って感じしね?」
律がぼそりと漏らす。
「黙れ、新人」
ジークの槍の石突きが、乾いた音を立てて地面を打った。
わずかな衝撃に、俺たち三人は反射的に背筋を伸ばす。
ルナが腕を組み、にやりと笑った。
「ジークは私が教えた精霊術も剣技も、全部叩き込んどる。……あんたら、死ぬ気でついていかんと、本気で死ぬで」
セレナの顔が青ざめる。
「し、死ぬ気って……やだ……お父様……」
「セレナ、すでに逃げ腰かよ!」
俺はすかさずツッコんだが──笑えない未来を直感していた。
◆午前の部:体力訓練
「走れ。止まったら死ぬ」
ジークの冷酷な号令。
「理不尽か!」
俺が叫ぶと、律は苦笑しながら肩をすくめる。
「いや、むしろ社畜残業シフトに近いな……」
「ま、待って〜! 魔法使いなのにぃ……!」
セレナが涙目で必死に足を動かす。
木陰では、ルナが尻尾を揺らしながら涼しい顔でお茶をすする。
「弟子の教育っちゅうのは、こういうもんや」
──結果。
俺は気合で完走。
律は途中で力尽き、ジークに縄で引きずられていた。
セレナは泣きながら歩いていたが、最後には意外な根性を見せてゴール。
ジークの評価は簡潔だった。
•直樹:「根性と判断力はある。だが身体がまだ甘い」
•律:「才能はあるが甘ったれ。死にたくなければ喋る前に動け」
•セレナ:「基礎はないが精神は強い。……お前、過去の戦場を見てきた目だな」
セレナの肩が小さく震える。
俺は気づいたが──口には出さなかった。
◆午後の部:武器訓練
ジークは槍を軽く回し、静かに構えた。
「俺に一撃当ててみろ」
三人がかりで挑む。
律が光の魔法で目くらましを仕掛け、セレナが炎を放つ。
俺は木剣を振りかざし、真正面から突撃した。
だが。
「甘い」
一閃。
槍の軌跡はあまりにも速く、俺たちの攻撃はすべて弾き飛ばされる。
律は吹っ飛び、セレナは尻もちをつき、俺は首元に槍を突きつけられた。
「これが“本物”の技だ」
……やばい。
強すぎる。
人間離れしてる。
ルナが誇らしげに笑う。
「ジークは昔、私に“精霊流槍術”を叩き込まれたんよ。……今は師匠越えしとるやろけど」
ジークが視線を横に流す。
「……師匠越え、か。あの頃はまだガキだったな」
その声音には、懐かしさと苦みが同居していた。
俺は悟った。
ルナとジークの間には“語られていない過去”がある。
そしてそれは──いずれ必ず俺たちに降りかかるだろう、と。
◆夜の部:精神修行
「社畜の心得を教えてやろう」
唐突にジークが言った。
俺は思わずむせる。
「まず、“終わらない業務”を前にしても折れない心」
「次に、“理不尽な上司”に耐える忍耐」
「そして、“無意味な残業”でも結果を出す執念」
「……待て、それ俺の転生前じゃん」
「うわ、まさかのブラック研修……」律が青ざめる。
「やだぁ……怖い……」セレナが震え声をあげた。
だが、地獄のような座学と瞑想を経て──
俺は不思議な集中状態に入った。
木々のざわめき。
仲間の呼吸。
大地を流れる魔力の脈動。
すべてが少しずつ、鮮明に感じ取れる。
【スキル〈社畜魂〉が成長しました】
──『精神統一(ストレス環境耐性+集中力上昇)』を習得。
「……!」
胸の奥が、ふっと軽くなる。
ジークは無表情のまま、しかしわずかに頷いた。
「悪くない。お前のその無駄な経験……活かし方次第では、武器になる」
……初めて、自分の過去を誇れた気がした。
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◆修行総括(1日目)
•直樹:精神統一を会得。社畜スキルが進化の兆し
•律:ズタボロだが、魔法制御の基礎を叩き込まれる
•セレナ:弱音を吐きつつも、魔法暴走の抑制に少し成功
•ルナ:ジークとの過去をほのめかすが、まだ語らず
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夜。焚き火の炎がゆらめく。
「……なぁ直樹、これって完全に“ブラック研修”じゃね?」
律がぼやく。
「そうだな。けど──今回は、俺たちの未来につながるブラックだ」
俺は炎を見つめながら答えた。
セレナが眠そうに目をこすり、ぽつりと漏らす。
「でも……こんなに仲間と一緒にがんばれるの、少し楽しい……」
ルナは尻尾を揺らし、意味深な笑みを浮かべた。
「やっぱり転生者って、みんなおもろい運命を背負っとるな」
──俺たちの修行の日々は、まだ始まったばかりだ。