E11-01 反撃
――共に、立つ。
ならば、共に、超えていく。
グラディウスは、唇の端を吊り上げて笑った。
「何も用意していないとお思いか?――お見せしましょうぞ、我が奥の手を」
杖を高々と掲げると、床に新たな魔法陣が走る。幾重にも重なる術式が輝き、おぞましい気配が湧き上がる。
「出でよ、『嘆きの繭』……!」
轟音が地下空間を満たした。
地の底を裂くような呻きとともに、魔法陣から這い出した『それ』は、目を疑うような異形だった。
現れたのは、肉塊のように肥大した巨大な繭。
外殻はぬめりとした粘膜に覆われ、臓器のごとくどくんどくんと脈打っている。
球体に近く、どこからどこまでが胴かも判然としない。
表面にはいびつに歪んだ人間の顔がいくつも浮かび上がっていた。
呻き声が、繭の内側から絶え間なく漏れ続ける。
叫びにも似た低い振動が、洞穴の岩肌を震わせ、共鳴炉の硝子を震わせた。
レイヴは盛大に顔をしかめた。
「……酷いことしやがる。ありゃあ、人体実験の成れの果てだ」
そのとき、繭の表面に浮かんだ顔のひとつを見たエルがぎょっとして叫んだ。
「魔術師さん、あの女のひとは……!」
それは、夜会でエルに突っかかってきたモルテヴィアの令嬢の顔だった。
「あいつも……喰われたのか」
グラディウスの瞳が、狂気を宿して光る。
「ほっほ。ええ、ええとも。あの中にいるのは、かつてアスラド王子に召し出され、弄ばれ、捨てられた娘たち。
そっちの貴族の娘は、多少魔力がありましたからな。つい先ほどこやつに喰われて、精神を取り込まれたのですじゃ」
「てめぇ……!」
レイヴのこめかみに青筋が浮かぶ。
「これは言うてみれば『器』を作るための練習台。もっとも、こちらの繭は単純な仕組みでしてな――魔力の強い者を引き寄せ、精神を取り込み、二度と還さない。ただそれだけの、すばらしい失敗作ですわい。
くくく、精神を取られた肉体は夢遊病者のように彷徨い、やがて消滅する……」
「それはどういう……?」
エルはその言葉の意味をすぐには理解しきれなかったが、レイヴは顔を険しくした。
「その貴族の女の肉体が消えるところは見たぜ」
夜会の会場でフィリオンが見たという令嬢も同様だろう。
またエルとレイヴは預かり知らぬことだったが、アンが城の裏手で接触した異様な女魔術師も、この魔物に取り込まれ精神だけを喰われていたのだ。
「最低野郎だね」
「外道め」
ふたりは、背中合わせに立った。
エルはグラディウスへ。
レイヴは『嘆きの繭』へ。
互いに、闘気を滾らせながら。
エルの身体から溢れ出した魔力は星色に輝き、空間そのものを震わせる。
対して、レイヴのまわりには黒い靄のような魔力が揺らぎ、鋭い刃へと変化していく。
「心では泣いてるのに、声も出ない。どこにも悲しみが届かなくて、誰にも知られずに消えていく……そんなの、絶対駄目だよ」
静かな声でエルが言った。
「だったら全部ぶっ壊すしかないな、俺たちの力で」
レイヴが応じる。
ふたりの視線が、それぞれ獲物を捉えた。
二人の魔力が呼応し合う。
星が瞬き、闇がうねる。
そして空気が爆ぜた。
洞窟全体が震え、魔力の奔流が天井をなぞる。
レイヴはすでに動き出していた。
黒いマナをその身に纏い、音を置き去りにする速さで駆ける。
「葬ってやるよ」
跳躍と同時に、魔力の黒い刃が繭の表面を裂いた。
ぬめる外殻に亀裂が走り、内側から粘液と呻き声が迸る。
「怨み恨みが溜まりきってるって感じだな。その膿、全部出してやるよ」
二撃、三撃。
黒い閃光が風のように繭を削り落としていく。
「なっ……!嘆きの繭をやすやすと切り裂くとは……!だが、その粘膜はすぐに再生する!アスラド王子、こちらへ!」
「ははは、魔物に喰われてしまえ!」
グラディウスはエルの前からわずかに退き、繭の余波を避けるようにアスラドと共に洞穴の隅へと姿を引いた。
追撃しようとしたエルに、繭から影が伸びる。
黒い瘴気を纏った触手が、素早く足元から這い寄ってくる。
「っ……!」
触手が一瞬、エルの足に触れた。
次の瞬間、意識の底に、誰かの悲鳴が流れ込んできた。
(やだ……死にたくない……!怖い……!)
(辛いよう。苦しいよう)
触手から誰かの思念が流れ込んでくる。
「精神攻撃……!」
断片的な意識が、無理やりこちらの心の中に侵蝕してくるのだ。
侵入を許したら、こちらが呑み込まれてしまう。
嫌悪感がぞわりと背に走った。
「くっ……最初にこっちを片付けなきゃ、進めないってことだね!」
薔薇色の瞳が凛然と輝く。
「魔術師さん!」
エルは跳躍し、地下空間を軽やかに舞う。
ロングドレスの片足に入った深い切込が足さばきを妨げない。
飛びながら、詠唱する。
「星の軌道よ、敵を穿て。
天に咲き、地に堕ちよ―― 星弾!』
掌に収束した星色の魔力が、夜闇を裂く光の鞭となって振るわれる。
「届け……!」
繭の表面を閃光が走る。
裂け目がさらに広がり、呪詛のような呻きが空間に響く。
「しぶといな、こいつ」
エルとレイヴが魔物の前に並び立つ。
攻撃はかなり効いてはいるが、それでも倒れる気配はない。
レイヴが割いた亀裂はあちこちにできているが、それもだんだんと塞がり、粘液がすぐに復活してくる。
決定打が必要だった。
「ん?おまえが攻撃した箇所は復活してないみたいだな」
「ほんとだね。攻撃のときに、マナを狂わせてるからかな」
エルが割いた一箇所の亀裂だけは、なかなか閉じずにぼたぼたと粘液が溢れたままだ。
「そうか。おいマナを合わせるぞ」
「どうやるの?」
「手ぇ貸せ」
エルが手を伸ばすと、レイヴがそれを優しく取った。
指を絡め、魔力が流れはじめる。
「おまえの中には俺のマナがある。俺の中にはおまえのがな。同調させて、一気に魔力を練り上げろ」
「もう!簡単に言うね」
「簡単さ。おまえならできる」
婚姻契約でふたりはマナを交換している。
心臓の近くに、互いのマナを感じていた。
黒い嵐のようなマナがエルの中に。
星色の雷のようなマナがレイヴの中に。
「こっち見ろ。……エル」
エルは目を瞬かせた。
「今、わたしの名前……初めて呼んだね」
「いいから早くしろ」
戦闘の最中だというのに、どこか温かい気持ちでエルは手を繋ぎ、視線を合わせた。
白と黒。
星と闇。
異なる光が呼応し、ひとつのうねりとなって繭へ収束していく。
エルの心は不思議と凪いでいた。
あたたかい魔力が静かな光となって心に灯る。
(この手……絶対に離さない)
その気持ちが、レイヴに伝わる。
(ああ。この光……絶対に、消させねぇよ)
「行くぞ」
「うん!」
衝撃が炸裂した。
白と黒の光が螺旋を描いて繭を突き破る。
夜空に咲いた流星のような閃光が、すべての怨念を焼き尽くすように――
繭の中の人面たちが、やわらかく溶けるように崩れ落ちる。
涙のような光片が、上空へと舞い昇っていった。
崩れ落ちた繭の残骸が、ぬかるみに染み込むように消えていく。
そして、静寂が戻る。
レイヴは息をついた。
「……やったか?」
「うん。あとは……元凶だけ」
呻き声が響いた。
奥の暗がりから、グラディウスがよろよろと姿を現す。
その瞳には、まだ狂気の炎が燃えていた――。




