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E09-04 夜会の果ての異変

夜会はなおも続く。


エルとレイヴは、ラドリア連邦の外交官、サーリス王国の貴族、ディラフ王国の王族といった、名だたる他国の来賓たちと次々に挨拶を交わしていた。


探るような目つきで内情を測る者もいれば、転移陣ポータル設置の交渉にすぐさま入る国もいた。

 

どの顔にも笑顔が貼りついてはいたが、皆、海千山千の政治家たちである。


ただ予想に反して、ほとんどの来賓は新たな国家元首エルと、魔術の大家レイヴに敬意をもって接してきたので、外交の目的はおおむね達成したと言えそうだった。


しかし――肝心のモルテヴィアだけが、奇妙な沈黙を守っていた。


主賓であるはずのアスラド王子は、未だ姿を見せていない。


夜会開始からすでに二刻、常であれば半刻ほどで姿を現すはずなのに、だ。


「アスラド殿下は、また気まぐれを起こされたのか……」


「いや、前の夜会でも一刻以上遅れられたとか」


「殿下は狩りの方がお好きですからな。政務など二の次らしい」


「女性関係もかなり派手だそうですな。なにせ、城に呼ぼれたまま娘が帰ってこないなんていう妙な話も聞きましたぞ」


あちこちで皮肉交じりの噂話が飛び交うのを聞き流しながら、レイヴは周囲を観察していた。


「これだけの夜会を開いておいて、本人が出てこないってのは……妙だな」


そしてふと隣を見やり、声を落とす。


「おい、どうした?」


エルの様子が明らかにおかしい。


もともと白い肌がさらに蒼白になり、指先がこわばっている。


「うん……。この会場に入ってから、どこからかずっと、誰かに見られてるような気がするの。しつこくて、息が詰まるような……」


「それ、もっと早く言えよ。外交の目的は十分果たした。アスラドがどうあれ、ここで一旦引くのも手だぜ」


レイヴの言葉に、エルの薔薇色の瞳がわずかに揺れる。


ノーラ公国の新たな大公として自らを示すことが、この場に来た理由の一つだった。


だが、もっと大きな理由は、モルテヴィアの企みを暴くことだったはずだ。


このまま場を辞しては、片手落ちになってしまう。


「……ちょっと、風に当たってきてもいい?」


「ああ、俺もいく」


「ううん、一人で大丈夫。猫かぶりのしすぎで疲れただけだから」


微笑んだエルの顔には、どこか影が差していた。


いつもの強さが見えない。


「……じゃあ、飲み物を持っていく。そこで待ってろよ。遠くへ行くなよ?」


「……うん、わかってる」


まるで小さい子供に言い聞かせるようなレイヴである。


エルはおとなしく返事をしてバルコニーへと向かった。


バルコニーは石造りの広い円形で、外用のソファとテーブルが置かれている。


空気はひんやりと澄んでいて、夜の冷たさが肌に染みた。


(……あれ?)


ソファに足を向けかけたエルは、ふと立ち止まった。


――風がない。


――音もない。


宴のざわめきが遠のき、まるで水の底に沈んだような感覚に襲われた。


空気が変わる。


視界がぐらりと歪んだ。


夜空が妙に遠い。


星が一つも見えない。


(おかしい――)


そう思った瞬間、背中に何かが乗った。


冷たく、重く、ずるずると這うような重圧。


胸が締めつけられ、息が詰まる。


耳鳴り。動悸。


焦りで視界が狭まる。


「……なに、これ……?」


全身が強張り、逃げようとしても足が動かない。


そして――。


「お飲み物をお持ちしました」


突然、耳元で声が囁かれた。


ゆっくりと、恐る恐る振り向くと、いつの間にか背後に給仕が立っていた。


銀の盆。


黒い酒杯。


空洞の瞳に、貼り付いた笑顔。


「……だれ……?」


瞬きした瞬間――その姿が溶けた。


どろりと崩れ、皮膚が剥がれ、骨と皺が露出していく。


肉塊の中から現れたのは、モルテヴィアの老魔術師、グラディウス。


「ようこそ、継呪の器よ」


その瞬間、すべての音が絶たれた。

 

先ほどの静けさとは違う。


空間そのものが音を拒絶するような、完全な無音。


まるで世界からすべての生き物の気配が消え去ったかのように、静寂がその場を支配する。


空間が淡く歪み、足元に赤黒い紋様が浮かび上がった。


「っ――! こんな……術式が……!」


エルの肩にも、赤く禍々しい呪印が浮かぶ。


それは『器』の刻印。


それに呼応するように、足元の術式が赤く脈動し始めた。


足が、動かない。


声が、出ない。


まるで蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように、身動き一つできない。


(逃げなきゃ……!)


赤い光が、ゆっくりとエルの身体を包み込んでいく。


グラディウスが囁く。


「案ずるな。すぐに、すべてが終わる」


そして――エルの姿は、仄暗い光の中に吸い込まれるように、すうっと消えた。


まるでこの世界から、存在そのものが切り取られたかのように。



※ 



異変を感じたレイヴは、杯を持ったまま顔を上げた。


「……フィロ?」


言霊獣との通信が、唐突にぷつりと途切れた。


何かがおかしい。


エルのもとへ向かおうと、急ぎ一歩を踏み出したその瞬間――。


「きゃあああああああっ!」


咆哮とともに、天井を突き破って何かが落ちてきた。


「――魔物だ!!」


悲鳴が響く。


それは、異形の魔獣だった。


四肢は不自然に伸び、腕だけが異様に長い。


人間の顔の名残を留めながら、口は耳元まで裂け、血に濡れた牙がこぼれている。


片手には剣を握り、もう一方の手には引きちぎられた生腕をぶら下げていた。


跳躍。咆哮。破壊。


そこにあるのは知性のある狂気であり、暴力そのものだった。


「あれは――獣哭兵ビースト・クリーヴァーか! どうしてこんな場所に……!」


無慈悲な光景が会場を蹂躙する。


美しいドレスをまとった令嬢が、獣哭兵に髪をつかまれ、空中に引きずり上げられた。


そのまま放り投げられ、シャンデリアに激突する。


他国の高官が逃げ出そうとするが、背後から肩ごと噛み砕かれ、血溜まりに倒れ込む。


皿が割れ、照明が落ち、音楽が止まる。


夜会は、たった数秒で地獄の修羅場へと変貌していた。

 

「レイヴどの!」


フィリオンが駆け寄ってくる。


「異常事態です! 創造主マスターの姿が検知できません! 転移された可能性があります!」


「バルコニーだ、あいつはそこにいた!」


駆け出そうとしたレイヴの袖を、誰かが掴んだ。


レイヴが駆け出そうとしたその腕を、誰かが掴んだ。


振り返ると、エルに絡んできたあのモルテヴィアの令嬢だった。


しかしその目は虚ろで、空洞のように光がない。


「……っ」


フィリオンがすぐに警告を発する。


「その娘、影がありません。先ほど同じ状態の個体を確認済みです。おそらく、精神を魔物に喰われ、肉体だけが残っていると推測されます」


すがりつく令嬢を、レイヴはただ冷たく見下ろした。


「おまえの精神は、誰に喰われた?」


令嬢は、ふらりと立ち上がり、床を指差した。


そして、そのまま煙のように溶けて消える。


「……地下、か」


バルコニーに走ったフィリオンが戻ってくる。


創造主マスターの痕跡はあります! ですが妨害術式により、転移先の座標が読み取れない状態です! これから直ちに解析を開始します!」


「落ち着け、フィリオン。よく聞け」


レイヴは静かに言った。


「おまえが解析に時間を使っている間に、俺ならあいつの元へ飛べる。

あいつのマナと、俺のマナは婚姻契約で繋がっているからな」


「しかし妨害術式の密度は極めて高く――!」


「ああ。妨害術式は多少やっかいだが、術式の外縁には微細な『ゆらぎ』ができるもんだ――そこにねじ込めば、辿り着ける」


「……理論的には、まったく非合理的行動です」


「計算してみろ」


レイヴは冷ややかに笑った。


「おまえより俺の方が、魔力の量も、突破する力も上だろう?最短であいつを助け出せる確率は、どっちが高い?」


フィリオンは一瞬動作を停止し、そしてすぐに応じた。


「……演算開始。完了。あなたが創造主マスターのもとにたどり着ける確率は、九二.七パーセント」


「だろ?」 


レイヴはわずかに口元を吊り上げる。


「なら、おまえの仕事はひとつだけだ」


その瞳が、獣のように鋭く細められる。


「俺たちが使った転移陣ポータルは封鎖される。逃げ道はおまえが確保しろ。救出後は即、離脱だ」


「……了解。ノーラから同行した従者の回収と、離脱経路の確保を同時に行います」


「アンとフィロも、この騒ぎに気づいてるはずだ。俺はあいつらと合流する。おまえは俺が指示する場所で待て」


レイヴが具体的な位置を指示していると、獣哭兵の群れが柱をなぎ倒しながら、こちらへ向かって突進してきた。


レイヴは指を軽く鳴らす。


次の瞬間――。


無数の風の槍が生成され、獣哭兵たちを串刺しにした。


血飛沫が勢いよく床を染める。


すべて、無詠唱だ。


視線のみで、意識を向けた範囲だけで敵を葬っていく。


レイヴの激しい怒りに魔力が共鳴して、場の空気そのものが震えた。


「……ふざけた真似しやがって」


レイヴは地を睨みつける。


「――かりそめとはいえ、あいつは俺の婚約者。それを目の前で攫うなんざ……覚悟はできてるんだろうな」


フィリオンは、レイヴから立ち上る魔力圧を認識した。


《魔力拡張領域、通常比――八五六パーセント。

精神波長、戦闘極振り。

認識領域:怒り/怒り/怒り。

感情パターン:全領域赤。情動解析不能。対象は――戦闘特化状態》


魔自動機械オートマタは恐怖など感じないはずなのに、機体のどこかがぞくりと軋む。


「……さて。問題はどこから殴り込むかだが……」


レイヴは目を閉じ、意識を自身のマナへと向けた。


心臓の近く――、そこに婚姻契約で繋がったエルのマナがある。


そのマナを起点に意識を外に向け、空間の深奥を探る。


…………いた。


地下深く。


まるで白雷のように、エルのマナが震えている。


「……呼んでるな」


レイヴは目を開いた。


「だったら、迎えに行ってやるさ」


魔力が炸裂し、風が逆巻いた。


「待ってろ」


レイヴは空間に拳を叩き込む。

 

妨害術式がある――だが、その揺らぎや隙を、魔術の極致を知るレイヴであれば読める。


ごうっ、と空気が裂け、青白い柱の光が爆ぜるように立ち上がった。


それは転移陣ポータルであった。


「こんな空間座標での転移陣ポータル展開は不可能です!

基礎魔力演算値を7桁突破! 法則反転エラー!

制御限界超過まで、あと――《ERROR:計測不能》!!」


「フィリオン」


レイヴは振り返らず、ただ呟いた。


「俺は魔術師だぜ。机上の空論なんぞより、ただ実行するのみだ」


青白い魔力の揺らぎに合わせ、レイヴは跳躍した。

――震える白いマナを救うために。



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