E01-04 いきなり勝負
エルは小首を傾げた。
その仕草すら、どこか人懐こくて愛らしい。
だがその瞳に宿る底知れなさはレイヴに警戒を解かせなかった。
「え、……普通に?」
「共鳴鍵がないはずだが」
転移陣には固有の波長認証を設定することができる。
無論、誰にでも可能なわけではないのだが、レイヴにとっては造作もない。
だからあの廃屋の陣は、万が一誰かに発見されたとしても、問題がないと思っていた。
自分以外には起動できないはずなのだから。
それをどうやって破ったというのだ。
エルもレイヴの問いかけには答えなかった。
代わりにとんでもないことを言い出す。
「ま、それは置いといて。それより、わたしと勝負してくれない?」
「はあ?」
突拍子もない要望にレイヴは混乱した。
今の会話の流れから何がどうなって勝負などということになるのか、訳がわからない。
「なぜ俺がお前と?」
「うーんとね、今日はあなたにお願いがあって来たんだけど……多分、ていうか絶対、断られちゃいそうなんだよね。だから、もしわたしが勝負に勝ったら、お願いを聞いてくれるんじゃないか……ってことなんだって」
「はあ……?」
聞けば聞くほど意味がわからない。
話が通じなさすぎて、だんだん不気味さすら覚える。
フィロの解析も通じず、妙に整った顔立ち――もしや魔物か何かが化けた姿かと思えてくる。
とにかく、おかしな勝負を吹っ掛けられていることは理解できた。
一言で切り捨てる。
「断る」
エルは大きく頷いた。
「よぉし。じゃあ、いくよ!」
おい!とレイヴは内心で毒づいた。
まるで話が噛み合っていない。
だが、文句を言う間もなかった。
風を裂く音が耳を打ち、少女の拳が突き出されたからだ。
「…………っ!!」
速い。
目にも止まらぬほどに。
咄嗟に躱したレイヴは、その拳に宿る尋常ならざる力に瞠目する。
間一髪で避けられたのは、レイヴの反応速度あってこそだ。
そこらの冒険者であれば、確実に食らっていたはずだ。
だが驚いている暇はない。避けた先に、さらに拳が飛んできた。
乾いた音が響き、レイヴは少女の拳を受け止める。
「へぇ、わたしの拳を止められるなんてやるねぇ」
言うが早いか、もう一方の拳が顎を狙ってくる。
迷いのない攻撃。
力の制御も、急所を突く精度も、明らかにこの少女は戦闘に慣れている。
「おい……!ちょっと落ち着け」
エルの両拳を捕らえながら、レイヴは直ちに目の前の少女に対する認識をもう一度改めた。
先ほどまでとは気配が違う。
のんびりとした雰囲気は消え去り、薔薇色の双眸が凄烈な光を放っていた。
「落ち着いてるよ。そっちこそ、落ち着いたら?」
弾けるように両腕を振り払われる。
続けざまに、鋭い蹴りが飛んできた。
「うぉっ!」
思わず声が出る。
華奢な体軀から放たれたとは信じられないほど鋭く、骨を軋ませるほど重い。
しかも連続である。
腕や脛に重い痺れが走る。
防御を余儀なくされ、レイヴは今度こそぞくりと背筋を凍らせた。
このままでは危険だ。
「……何なんだ、おまえは!?」
「だから、おまえじゃなくて、エルだよ」
その言葉と同時に、エルの姿が掻き消える。
視界からも、その気配も、完全に。
「フィロ!」
レイヴは即座に言霊獣にマナの検知を命じる。
普通なら気配を消した敵でも難なく見つけられる頼れる相棒は、今は完全に意気消沈していた。
ふわふわの尻尾は情けなく股の間に挟まっている。
『主〜、だめだよぉ〜。全然、感じない』
「ちっ!」
舌打ちし、レイヴは素早く防御陣を足元に展開した。
足を踏み入れたら、魔術の風の槍が発生し串刺しにされるというものだ。
女相手に力を振るうのは正直気が引けるが、相手は相当の手練なのだ。
「血みどろになっても、悪く思うなよ」
少女の姿はどこにも見えない。
だがどこからともなく視線を感じる。
レイヴの襟足にちりちりとした緊張が走る。
「……猛獣に狙われてる気分だな」
それも、とびきり美しい――。
しんと静まった森で、がさりと左奥の茂みが揺れた。
思わず目を向けてから、自分が下手を打ったと気が付く。
「……陽動か!」
「古典的な手なのにねぇ」
茂みに気を取られた隙に、音もなく背後から現れたエルが目にも止まらぬ速さで走り寄ってくる。
「おい、ここには防御陣が――!」
あるんだぞ、と言いかけてレイヴはぎょっとした。
エルがレイヴにしっかりと抱きついてきたからである。
しかも陣が発動しない。
「なっ……!?」
「はい、これでわたしの勝ちだよね」
「おまえ、何を――?」
言いながらレイヴははっとした。
身体が動かない。
少女が触れた所から侵食され、魔力干渉で神経系が
狂わされたのだと気がついたときにはすでにエルの身体は離れ、次の瞬間には喉元に短剣がそっと触れていた。
「不意打ちみたいになっちゃったのは謝るよ。でも、とにかくわたしが勝ったんだから、ちゃんと『お願い』聞いてよね。はいこれ」
手のひらに、何かが押しつけられる感触があった。
『主〜!』
フィロがぴょんぴょんとレイヴの周りを飛び跳ねる。
エルは優しく声をかけた。
「手荒な真似してごめんね。きみのご主人様は大丈夫だから。少ししたら動けるようになるよ」
そう言うと、エルは踵を返した。
「ノーラの城で待ってる。『お願い』はその時に、改めて話すから。必ず来てね」
口が、動かない。
問いただすこともできぬまま、少女は風のように去っていった。
『主ぃ〜!大丈夫?動ける?』
心配するフィロに目線だけで大丈夫だと合図し、レイヴは呼吸を整える。
レイヴとて達人である。
深く呼吸を繰り返し、ゆっくりと全身にマナを再伝達する。
やがてマナが身体中に巡ると、糊で固められたようだった関節がようやく動かせるようになった。
「なんだったんだ、今のは……?」
やはり人外の魔物か精霊にでも化かされたのか。
だが、手の中の封書に目を落としたレイヴの表情がそこで固まった。
封蝋には、ノーラ大公家の紋章――『潮風に舞う海鳥の羽』が押されていた。
封を切り、中に目を通す。
しばらくの間、レイヴはただ無言で、立ち尽くしていた。
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