E09-03 潜入(アンとフィロ)
モルテヴィア城の裏手、石畳の回廊の陰。
警備の目もまばらなその一角を、小さな影が滑るように移動していた。
魔自動機械のアンである。
肩までの緑の髪はくすんだ茶色に染め、機械仕掛けの虹彩も人間と変わらぬ自然な光沢に抑えてある。
万が一見つかったとしても、年若い給仕見習いの少年と思われるだろう。
やがて人ひとり分隠れられる場所を見つけると、するりと身を潜めた。
夜会の会場に紛れている片割れを思い、アンはついぼやいた。
「ずるいよねぇ、あっちはエルのそば。こっちは暗がりで隠れ仕事なんて」
『アン〜、元気だす〜!』
「フィロは優しいなぁ〜。ほんと、良い子だよ」
アンの背にすっぽりと隠れ、耳だけを覗かせているのは言霊獣のフィロだ。
砂漠狐のような大きな耳を動かして、周囲の気配を敏感に拾っている。
フィロの声が聞こえるのは本来、主であるレイヴのみだ。
だが、アンとフィリオンはその周波数を解析し、見事に割り込んでみせた。
「あーあ、せっかくの晴れ舞台なのに。エルのドレス姿、いちばん近くで見たかったなぁ〜」
言いながらも、フィリオンと自分の違いをアンは誰よりも分かっていた。
エルのそばにいるのは「守護」の機体。
対して自分は、戦闘と暗殺を前提に設計された、いわば「攻撃」に特化した存在だ。
それにアンの姿は子供だ。
夜会では浮いてしまうため、今回は後方支援に回らざるを得なかったのである。
(ぜったい綺麗だったろうなぁ。ぼくだって役に立つのにさ……)
心の中でむくれてはみても、その動きには一切の無駄はない。
潜入、索敵、妨害――いずれもアンの得意分野だ。
「うーん?この下……。やっぱりなんか変だよねぇ?」
『フィロも感じる〜!怖くて、暗〜いマナの渦!少しずつ下から上に向かってきてるみたい!』
「通信はどう?」
『問題ないよぉ!主とも繋がってる〜!』
「エルのドレス姿はどうだったって?」
『似合ってたって!誰かが『女神さまみたい』って言ってたよ〜!』
「やっぱり? ……ふふっ」
美しく着飾ったエルを思うだけで、戦闘用に設計された魔核の奥がほんのりと温かくなる。
この感覚の名は、まだ知らない。
ただ、胸の奥がじんとした。
だが、その余韻をかき消すように空気が揺らいだ。
フィロが一足早く警鐘を鳴らす。
『……アン、見て……!変なの、くる』
「…………?何、あれ」
奥から誰かが歩いてくる。
どうやら警備兵のようだが、様子がおかしい。
アンは素早く視野を収束させて観察する。
「……女の魔術師か」
モルテヴィアの魔術師団の長衣をまとった若い女だ。
だが、その動きにはまるで生気が感じられない。
『あっ、あ……アン。あのひと、影が、ない…』
フィロが怯えたようにアンの背に身を埋める。
「影!?」
城の明かりに照らされているのに、女の足元には――影が、ない。
「ふぅん……怪しいね。じゃあ捕まえて正体調べて、そのあと口を封じようか?」
『待つ、アン〜!まっ、まず主にきこ〜!』
フィロが慌ててレイヴに通信を試みる。
だが、すぐに驚愕の叫びを上げた。
『あれ……!?なんで?つながらない……!?今さっきまでつながっていますたのに……!?アン!フィロ、主と遮断されてる!』
アンの表情が一瞬で変わる。
女がゆらりと近づいてくるタイミングを見計らい、陰から躍り出た。
手刀一閃――女はその場に崩れ落ちる。
「動きが鈍いねぇ。意識は……もうない」
まさに電光石火。
フィロが止める間もなかった。
アンが手をかざして解析を開始すると、フィロも諦めて魔力を流し、解析に加わる。
二人の演算が重なり、すぐに結果が浮かび上がってきた。
「こいつ、精神を喰われてるよ。脱け殻だけになってる……」
『アン……!フィロ、これ知ってる。これは、魔物のしわざ!』
言いかけたその時、ぬるりと這い上がってくるような異質なマナの気配を足元に感じた。
まるで濡れた布のように空気が重くなる。
「……下にいる。かなり深く」
アンは即座に検知領域を地下に広げ、解析に入る。
「マナ反応、大型の魔物一体。波長、乱れあり。未調整か、制御失敗個体。フィロも探って!」
フィロの赤い瞳が光を帯びる。
言霊獣の探知能力は魔自動機械も凌ぐ。
『……人間のにおい。混ざってる。これは、禁忌のにおいだよ……』
空気がひやりと凍るようだった。
アンの表情が一段鋭くなる。
(もしこれが『器』に関わるものだったら――)
アンは迷わず、腰の短刀を抜いた。
掌に伝わる慣れ親しんだ感触――最も自分らしくいられる道具。
ここにいるのは、創造主の敵。
影で支える者として、容赦はいらない。
「……フィロ、準備いい?」
『いつでも〜!アンと一緒なら、こわくないよ!』
「じゃあ、行こうか」
唇が笑みに歪む。
「下にいる『なにか』に、おやすみの挨拶をあげなきゃね」
アンはくつくつと笑うと、闇の中へと滑り込んだ。
そこには、仕組まれた何かが蠢いている。
それは、もうすぐそこまで来ていた。




