E01-02 出会い
赤瓦の屋根、白壁の家々、群青の海。
第三大陸中で最も美しいと言われるノーラ公国の首都。
だが、陽の光が届かぬ裏側もある。
裏路地の石畳を踏みしめ、男が一人、歩いていた。
歳の頃は二十代後半、均整の取れた長身と引き締まった体躯から、剣士の風貌と見える。
それでも黒髪の一房を長く伸ばし、外套を纏っていることから、魔術師のようでもあった。
整った顔立ちには甘さは一切なく、むしろ野趣を感じさせる。
鋭さと危険さを漂わせる琥珀の瞳は、老獪な獣を思わせた。
女性なら誰もが見惚れてしまうだろうが、どこか人を寄せ付けない――そんな雰囲気だ。
男は裏通りを迷いなく進むと、やがて立ち止まった。
看板もなく、古びた扉だけがある建物の前だ。
戸を叩くと、しばしの後に巨大な男がぬっと顔を覗かせた。
顔には古傷が一本走り、いかにも元冒険者といった風体である。
「レイヴか」
大男は名前を確かめると、何やら紙袋を手渡した。
そして、すぐに扉を閉めてしまう。
端から見たら謎のやり取りである。
違法な取引かと疑われてもおかしくはない。
だが、男――レイヴは悠然とした足取りでさらに裏手の廃屋へと足を向けた。
そこはかなり前から空き家になっているようで、室内は埃だらけだった。
奥の扉を開くと、突如として場違いな輝きが現れる。
――転移陣である。
通常ならば国家の管理下に置かれるべき、高位魔術の結晶。
間違っても、裏路地の廃屋の中などにあってよいはずがない代物だが、レイヴは当然のように魔力を送り込み、転移陣を起動させた。
青白い光が柱となって立ち上る。
その中心に身を投じると、天地が反転するような一瞬の浮遊感が訪れ、景色が弾けるように変わる。
――空間が撓み、視界が蒼く染まる。
熱も音も失われた無音の世界に、ただ自分一人だけが浮かぶような感覚。
次の瞬間、弾かれるように重力が戻り、レイヴの足はしっかりと大地を踏みしめていた。
到着地は首都から南東、およそ百五十リーグ離れた、原生の森の奥地である。
木々は鬱蒼と茂り、空すら見えぬほどだ。
瘴気が漂い、時折魔物が現れるこの森に足を踏み入れる者はまずいない。
森の奥にあったのは石造りの遺跡だ。
外見は風雨にさらされて崩れかけているが、結界術が施され、迷彩の魔術によってその存在は外部から完全に秘匿されている。
歩を進め、遺跡の傍の大木に背を預ける。
そこでようやく袋の口を開いた。
いかめしい大男から受け取ったのは、違法な物品などではなかった。
取り出した瞬間に小麦とバターの芳香がふわりと立ちのぼる。
中から取り出したのは、まだ温もりを保つ焼きたてのパンである。
「来い、フィロ」
召喚呪を発すると同時に陣が展開する。
ごく小さな陣だ。
中心に金色の竜巻が立ち昇り、言霊獣の姿が現れる。
砂漠狐のようだが、掌ほどの大きさしかない。
赤い瞳が、主を認めて嬉しそうに輝く。
「ほらよ、フィロ。まったく、とんだ使いっ走りだぜ。お前がこの味じゃなきゃ嫌だなんて我儘言うからノーラの都まで跳躍ぶ羽目になったじゃねえか」
フィロはパンの匂いに鼻を動かしながら急いで近づいてくる。
『パン……パン!!わぁ〜!主ぃ〜食べていい〜?』
「いいぜ。こんなもん食うだなんて、おまえって本当に変わった使い魔だよな」
レイヴは言葉を発しているが、フィロの思念は、直接レイヴの頭に響く。
レイヴがパンを渡してやると、フィロは待ちかねたように両手で持って齧りつく。
ふわふわの尻尾が左右に振られる様子に、レイヴは忍び笑いを漏らした。
『おいし〜よ、このパン!主も食べてみて〜』
咀嚼が止まらない使い魔に促され、レイヴも一口齧ってみる。
サクッとした香ばしい食感に続いて、柔らかな生地の甘みが口中に広がる。
「……お、美味いな」
『でしょでしょ!もっと食べて〜、主』
目の前の食事に気を取られているところに、不意に声がかかった。
「――へぇ、美味しそうだねぇ」
フィロは飛び上がり、レイヴは思わずパンを取り落としかけた。
「誰だ!?」
声のしたほうに眼をやると、木立の陰から音もなく何者かが姿を見せる。
レイヴは思わず息を呑んだ。
現れたのは――光を纏ったような銀髪の少女であった。