E04-04 騎士団長ロウスと魔術師団長ゼノ
次期大公エルシアの『伴侶候補』として王宮に迎えられたレイヴに対する反応は、実にさまざまだった。
ある者は好意的に、ある者は露骨な敵意を持って、またある者は静観する構えで事態を受け止めた。
そして今――騎士団の訓練所に面した石造りの回廊で、レイヴはいかつい男たちに囲まれていた。
暇潰しに訓練を眺めに来たところで捕まったのだ。
「俺に何の用だ?騎士さんたちよ。まさか暇潰しの相手ってわけじゃないだろうな」
騎士装束を身に着けた男たちは互いに顔を見合わせると、口々に言い放った。
「貴様が魔術師レヴィアンと名乗る輩か?」
「大陸最強魔術師と謳われるお方が、こんな若造であるはずがない」
「となればその名を騙る不届き者だ。今すぐ王宮から立ち去るがいい!」
目の前にいる騎士たちは、明らかに『敵意組』の代表格である。
レイヴは面倒くさそうに手を振った。
「俺はお前らの君主に請われてここにいるんだぜ? あの嬢ちゃんが俺を必要とする限り、職務を果たすまでだ」
「エルシア殿下に対して、なんという言い草か!というか貴様、ただの女たらしにしか見えんぞ!!」
「ああ、おいたわしい……。前大公閣下の遺言とはいえ、こんな男と再婚させられるとは……。私のような一介の騎士でも、いっそのこと身命を賭して殿下をお守りできたなら、それだけで幸せだというのに!」
レイヴは天を仰ぎたくなった。
大公妃時代のエルは、ほとんど人前に姿を見せなかった。
そのため多くの者は彼女を『病弱なのだ』とか、『平民の出自を気にして人前を避けているのだ』などと勝手に解釈していた。
さらには、エルの天女のような美貌を見たことのある者たちによって、その幻想がますます強まるという悪循環が発生している。
つまり、王宮内のほとんどの人間はエルを『儚げで薄幸の美少女』と認識しているのである。
「かくなる上は力づくで――!」
騎士の一人がレイヴの肩を掴もうとする。
「おいおい、本気か?相手の力量も測れないひよっこが――」
レイヴが得意とするのは無詠唱の魔術だ。
目にも止まらぬ速さで術式を展開する。
もし、騎士がレイヴの肩に少しでも触れたら、無数の風の槍が出現する――。
(……殺さないように、加減しとかないとな。……ん?)
レイヴの眉がぴくりと動いた。
騎士たちのものではない、ずっと強い気配がいつの間にか近づいてきていた。
騎士たちの手がレイヴの肩に触れる寸前で止まる。
右から大剣が、左から杖が。
背後から交差するように、騎士の喉元を挟むように突きつけられた。
「――そこまでだ。この方への無礼は、私が許さん」
「気持ちが昂ぶるのは分かるんすけどねぇ。俺ですら、このお方がほんとにいらっしゃるとは信じられない気持ちっすから……!」
回廊の陰から突如現れた二人の男に、騎士たちは驚愕した。
「ロ、ロウス騎士団長……!」
「ゼノ師団長まで……! な、なぜこのような者を庇い立てされるのです!?」
そこに立つのは、ノーラ公国騎士団長、ロウスだった。
歳の頃は四十を過ぎたあたりだろうか。
レイヴも長身だが、ロウスはさらに大きい。
短く刈り込んだ黒髪と堂々たる体躯、大剣を構えた姿は圧倒的な存在感を放っている。
その隣には、ゼノ魔術師団長。
こちらは若く、まだ弱冠二十。
長い金髪を無造作にまとめ、灰色の瞳は興奮を隠しきれず輝いていた。
「どうやら、我が騎士団には命知らずの者がいるらしい。――この方を、魔術師レヴィアンどのと知っての狼藉か?」
ロウスの黒い瞳が、怒気をはらんで鋭く光る。
その迫力だけで、騎士たちは膝を震わせた。
「でっ……では、本当に……この男……いえ、このお方が魔術師レヴィアン……っ!?」
「そう言っている。お前たちの顔は覚えたぞ。次にこの方に無礼があれば、その首を刎ね飛ばしてやらねばなるまい。首と胴を繋げておきたいなら、とっとと失せることだ」
「は、はっ、はいぃぃ!」
蜘蛛の子を散らすように、騎士たちは退散していった。
それを見届けてから、ロウスはレイヴに向き直り、恭しく頭を下げた。
「レヴィアンどの――いえ、レイヴどの。私を覚えておられますか? かつて私も、アドリアン閣下と共に冒険者として旅をしておりました。あなた様とも、一度だけご一緒させていただいたことがございます」
レイヴの琥珀の瞳が、驚きに見開かれる。
「俺と一緒に冒険に出たって?」
「ええ。当時はまだ、ほんの若造でしたが。――『ロー』という名に聞き覚えはありませんか?」
レイヴは顎に手を当てた。
「まったく何年前の話だよ?……フィロ、こいつ覚えてるか?」
『記憶を探るよぉ〜』
レイヴが命じると、フィロの赤の瞳が光を帯びる。
直後、空中に青白い魔力の帯が走り、そこに小さな光景が浮かび上がった。
ロウスとゼノは息を飲む。
それは、十数年前の年若きロウスが、まだ駆け出しの冒険者としてレイヴに礼を述べる場面だった。
青年時代のロウスは細身で、今とは比べるべくもない。
「……この御恩は、一生忘れません!」
次に、映像の中のレイヴが目を細め、ふっと笑って応じる姿が映し出される。
その外見は今と寸分も変わらない。
そして、隣には若き日のアドリアン=ノーラの姿がある。
レイヴと同じく長身だが、こちらは厚みが違う。
巨軀というのに相応しい分厚い胸板に、がっしりとした身体つきである。
凛々しくも、人好きのする笑顔が映し出され、それからゆっくりと再現映像は消えていく。
フィロが明るく言った。
『あったよぉ〜!』
「思い出したぜ。ローって、アドリアンと一緒にいたひょろいやつか!」
ロウスは苦笑しながら頷いた。
そして一歩遅れてゼノが興奮気味に前に出た。
「うおお……! い、今の術、何っすか!?言霊獣による、記憶の再現魔法……!? 生まれて初めて見たっす!!」
前のめりの青年に怯えたフィロは、慌ててレイヴの陰に隠れる。
レイヴが制する間もない。
目を輝かせながら、青年はレイヴの手をがっしりと握りしめた。
「ほんとに、ほんとにお会いできるとは……! 俺、ゼノっす! ノーラ魔術師団、現師団長っす! ずっと……ずーっと、お会いしたかったんすよぉぉ!」
「お、おう……?」
「いやーもう、信じらんないっすよ。俺、レイヴさんの論文と記録、全部読んでますからね! 転移陣をこの世に生み出すきっかけとなった『第六属性変調における位相変換理論』とか、魔術構文式における精神干渉の自己反射理論、さらにはエーテル凝縮体の共鳴現象に関する応用研究も……! あれ今でも俺の聖典っす!」
「…………」
「そんでもって!名持の魔物の中でも災害級の『深淵』を討伐した戦術記録!! いやほんと、伝説が目の前に現れるってこういうことなんすね!」
レイヴはちょっと引き気味にゼノの手から逃れつつ、眉をひくつかせた。
「あんな大昔の論文、読んでる奴がいるとはな……しかも全部って、おまえ正気か?」
「もちろん正気っす! てかあれ、構文術式の導出がほんっとに美しいんすよ! こう、論理の流れがまるで詩みたいにすらすらと――」
「……やめろ、こっちが恥ずかしくなる」
後ろ足を一歩ひいたレイヴだが、ゼノはその一歩を踏み出して詰める。
「もう、尊敬っすよ! 神っす! 俺なんか、レイヴさんの構文を真似して組み直してたら、気づいたら転移陣にめちゃ詳しくなって……そんで師団長にまでなってたんっす!」
「いやそれはおまえの才能だろ……てか、師団長って、そんな若くてなれるもんか?」
「上が勝手に押しつけてきたっす! ま、名誉はともかく責任重いっすけどね……でも、今は何より、あなたと会えたことのほうが一番っすよ!」
あまりにも真っすぐな視線に、レイヴは軽くため息をついた。
「……ったく。俺みたいな無頼者の書いた論文の読者なんてな」
「読者なんてもんじゃないっす! 言うなれば、熱狂信望者っす!」
「もっとやべぇじゃねぇか……」
呆れつつも、レイヴの声には冷たさはなかった。
自分の研究を受け継ぎ、熱意をもって学び、次代を担っている若者がいる――その事実は、どこかくすぐったくもあった。
「……まあ、悪い気はしねえよ。俺のことを覚えててくれる奴がいるってのはな」
レイヴの一言に、ゼノの顔がさらに明るくなる。
「うわああっ、認めてもらえた……! もう俺、マナが噴き出しそうっす!」
「それはやめとけ……。城が吹き飛ぶ」
二人のやりとりに、傍らのロウスは笑いを噛み殺している。
王宮での不協和音が、もしかしたら少しは和らぐかもしれない。そう思った矢先――
回廊の向こうから、侍従が息を切らせて駆けてきた。
「――レヴィアンどの! 貴殿に来客とのことです。急ぎ謁見の間へ参られたい!」
切羽詰まった声がその場にかかる。
嫌な予感が、胸をよぎった。