E04-03 求婚の書状の山
女官長のマチルダは、エルが突然連れてきた『伴侶候補』を見ても、眉ひとつ動かさなかった。
それどころか、深々と一礼し、静かに口を開いた。
「女官長を務めております、マチルダと申します。魔術師レヴィアン様におかれましては、アドリアン大公閣下のご旧知と伺っております。……どうぞ、くれぐれもエルシア殿下を、お支えくださいますよう」
礼儀正しいその声音の奥に、隠しきれない情が滲んでいる。
物言いたげな表情は気になったが、レイヴは会釈を返すのみに留めた。
「……やけに聞き分けがよくないか?」
「何が?」
執務室のテーブルは、運ばれてきた料理で賑わっていた。
皮がぱりっと焼き上げられた鶏のロースト、クリーム仕立ての鱈のスープ、彩り豊かな蒸し野菜などに舌鼓を打ちながら、レイヴは疑問を口にした。
テーブルの真ん中には、フィロのために用意されたケーキが鎮座していた。
ふわふわのスポンジにどっさりと生クリームが盛り付けられ、砂糖漬けの苺や桃が彩りを添えている。
フィロは金色の目をまんまるにして、大口を開けてかぶりついている。
もはや頬も鼻の頭も真っ白で、生クリームの精か何かのようだ。
『おいしぃ〜!もっと〜!』
「あは、フィロの顔すごいことになってる」
レイヴは苦笑まじりに置かれていたナプキンでクリームだらけの口を拭ってやる。
「聞き分けがいいってどういう意味?」
「だから、俺はおまえの新しい婚約者なんだろ?アドリアンが逝ってまだ三月しか経ってないのに、もう新しい男を咥え込んだのか!って、普通はなるだろ」
「ああ、そのこと?」
エルは細い指でティーカップを持ち上げた。中の紅茶は香り高く湯気を立てている。
少女は食が細く、果物を少し口にしただけで、昼食にはほとんど手をつけていなかった。
それでも、レイヴとの契約が無事済んだことで緊張が解けたのだろう。
どこかほっとしたような、柔らかい表情をしていた。
「ちゃんと考えてあるって言ったでしょ?わたしの再婚相手についてはアドリアンが遺書で残してるの。名指しで、魔術師レヴィアンを補佐者とするように、ってね」
レイヴは噛んでいた肉を思わず喉に詰まらせ、激しく咳き込んだ。
「おまえ……先にそれを言えよ!」
「だって、あなたには自分で、わたしを選んでほしかったんだもん。
それに、あなたを説得できないようじゃ、他の貴族相手にはもっと苦戦すると思って」
平気な顔でそんなことを言う。
レイヴは改めてこの少女を見直していた。
一見、茫洋としているのに、芯は鉄の如く硬い。
「……それだけで貴族どもが引き下がるとは思えないぞ」
「うん。それもちゃんと考えてある」
「…………」
空気を掴むような無為さを感じ、問答を諦めたレイヴは別のことを訊いた。
「ところで、あれはなんなんだ?」
レイヴが顎で示した先は執務室の奥だ。
大きな文机の上には、書簡が山のように積まれていた。
脇には肖像画らしきものも数枚、無造作に立てかけられている。
どれも若い貴族の姿で、微笑んでいたり、気取っていたり、凛々しく睨みつけていたり、色々な佇まいで描かれている。
礼服をきっちりと纏い、どれもこれも堂々としていた。
「ああ……あれね。ぜーんぶ、求婚の書状。あとその相手の顔」
エルは興味なさそうに答える。
「ノーラって大陸一、お金持ちな国だからね。転移陣の中継基地だし、転移陣技術も輸出してる。物流も人の流れも、この国が中心になってきてる。冒険者ギルドも第三大陸では最大規模だしね。
そんな国が君主を失って、未亡人が継ぐ。──利権目当ての人たちが、黙ってるわけないよね」
「だとしてもすごい量だな」
レイヴは素直に感想を述べる。
「そうだね、大陸中から求婚が殺到してるよ。しかも結構すごいこと書いてあるんだよ。どの人も実権は王配が握るって信じて疑ってないし。
『女の身で国を治めるなどご無理でしょう。お任せいただければ私がその責を全ういたします』──って感じで』
「返事を書くのが面倒で、俺を雇ったのか?」
そう言ったレイヴに、エルの薔薇色の瞳がまっすぐ向けられた。
「──魔術師さん。わたし、あなたを『雇った』なんて思ってないよ」
男と少女の間にあるのは確固とした盟約だと、その眼が告げている。
ふっとエルは表情を和らげた。
「でも、そうだね。こういう手紙や肖像画が送られてこなくなるのは正直、助かる。誰もわたしの中身なんかに興味ないし、上っ面ばかりで嫌になっちゃうから」
「秘密主義なのによく言うぜ。手の内を見せないようにしてるのはおまえのほうだろ?」
「秘密主義ってわけじゃないよ。好きでやってるわけじゃ……」
レイヴに指摘されて、エルは心外だとばかりに頬を膨らませたが、すぐに手を振った。
「ごめん、なんでもない。今の、忘れて」
「…………はいよ」
相槌を打ちながらも、レイヴは少し意外に思った。
ふわふわしているようで決して本音を見せないエルの内面を知るのは、なかなか大変そうに思える。
だが、興味はあった。
「……俺とおまえの婚約は、いつ発表するんだ?」
「すぐだよ。今日中には諸侯たちに通達する。そしたら、あちこちから色んな人がやってくると思う」
カシアンが席を辞したのも、その準備のためでもあった。
つまり、これからは、厄介な貴族どもと、正面から渡り合わなければならない。
「俺は魔術師だぜ。腹の探り合いより、腕一本で決着をつける方が性に合ってる」
エルはにっこりと微笑んだ。
「なら、きっとたくさん機会があるよ」
◆
◆
◆
その日、ノーラ公国の諸侯の間に激震が走った。
首都から公国全土へもたらされた知らせには、次期大公エルシア=ノーラの再婚相手として大陸最強と名高い魔術師レヴィアンが迎えられたとのことである。
一月前に急逝した先の大公アドリアン=ノーラの遺言により、旧知である彼に王配の地位を与えるよう明記されていたというのだ。
戴冠式は一月後に予定されており、そこで公子カシアンは正式に継承権を放棄し、宰相の任に専念するという。
これに奮起したのは地方の領主たちである。
次期大公が海のものとも山のものとも知れぬ平民出身の娘というだけでも我慢ならぬのに、その再婚相手に市井の魔術師とは、まさに言語道断。
たとえ名のある魔術師であろうと、それがどうしたというのか。
絶対に阻止せねばならない。
カシアン公子との再婚を拒むのであれば、せめてノーラ大公家と血縁・姻戚のある名門貴族と結婚すべきだ。
若さと美貌だけで前大公を籠絡した下賤の娘など、贅沢な暮らしさえ与えておけば、誰と再婚させても支障はあるまい。
王の血統を重んじる正統派の諸侯たちは、ある者は反対意見を書簡にしたため王宮へ送り、またある者は直接申し立てるため、転移陣へと向かったのだった。