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深淵の蜘蛛の深淵レストラン  作者: カニスキー
第二章 開店!深淵レストラン
32/33

032:給仕アイリスと【コンソメスープ ~マッシュ流・銀糸天幕/逢魔星彩~】

032:給仕アイリスと【コンソメスープ ~マッシュ流・星屑茸の宝石箱~】


数分前。


「アイリス君、君はあの方たちの専属として付いてもらう。一秒たりとも離れるな。多分かの方たちはやんごとなき身分の方たちだ……くれぐれも!くれぐれも!かの方たちのご機嫌を損ねないようにな!」


 重々しく顎を引くオーナーの姿は、一見すれば「現場を守る騎士」のようだった。

 だが、その瞳は完全に金貨の形に変形しており、口元からは強欲のよだれが垂れている。

 

「はぁ?無理ですよ!私が抜けたらホールの回転が止まりますよ!」


 アイリスが怪訝な、というよりは「正気か?」と言いたげな目で指摘すると、オーナーは窓辺に立ち、カーテンを少しずらしながら遠い目をして語り出した。


「案ずるな、アイリス君。私は君がおむつを履いてハイハイしていた頃から、この現場で働いていたんだ。……ちなみにかつての仲間たちは、敬意を込めて私のことを『疾風のポンポコ』と呼んでいたよ」


(だったらもっと早く現場を手伝えよ、この狸ジジイ!!)


 アイリスは喉元まで出かかった怒声を、プロの微笑みという名の防護服で押し殺した。

 これまでの深刻な人手不足も現場の悲鳴も、すべてスルメを噛み砕く音で無視してきたくせに、金塊という名の人参を見た途端、数十年ぶりに『疾風』を再起動させたこの現金な狸。

 そんな上司への特大の殺意をなんとか飲み込み、アイリスは背後で「レジェンド」を気取る男を捨て置いた。

 彼女が向かう先は、真の地獄が口を開ける大ホールだ。



「――お待たせいたしました。本日のコースの始まりでございます」


 アイリスは、どこかソワソワした至高の4人組が座る「こちら側」で、流れるような動作でおしぼりとフィンガーボールを配置した。

 目の前に並べられた前菜の盛り合わせに対し、四人の客の瞳が、まるで夜空の星を閉じ込めたようにキラキラと輝く。

 その純粋な期待感に、アイリスの給仕係としての魂が心地よく震えた。


「まずは、王都郊外の『精霊の森』で今朝採れたばかりのハーブと、薄く引いた火竜の冷製グリルを添えた、前菜の盛り合わせでございます。ソースにはこの地方特産の果実を使い爽やかな酸味を際立たせております。……こちら、まずは香りからお楽しみくださいませ。」


 アイリスが極上の笑顔で、一文字たりとも噛まずに説明をやり遂げようとした、まさにその時だった。

 薄っぺらな衝立の向こう側から、全てをぶち壊すような、品性の欠片もない怒鳴り声が響き渡った。


「――カイン! お前は今日限りで、このパーティーを追放だ!!」


 ヴァルガスの、悦びに満ちた宣言が衝立を突き抜けて不快に耳を汚す。

 アイリスの眉が、一ミリだけ、しかし確実にピクリと動いた。


「カイン!!お前は……耳が良いのか知らないが、あっちから敵が来るだの! 足首の血管を狙えだの! いっつも、いっつも俺に指図しやがって! うざいんだよ、このボケが!!」


 衝立の向こうで続く、ヴァルガスの身勝手極まる不平不満。


(……耳が良いから不意打ちを防げて、的確な指示で無駄なく仕留められていたんでしょうが。この単細胞、自分の安全が誰のおかげか一ミリも理解してないわね)

 アイリスは心の中でカインに同情しつつも、目の前の「至高の客」たちの至福の時間を汚す無粋で不快な声に、胃のあたりがふつふつと煮えくり返り始めた。


 しかし、彼女はプロだ。

 お客様たちが料理を前に、まるで初めて宝箱を開ける子供のようにワクワクしているのを、台無しにさせるわけにはいかない。

 アイリスは怒りを深海に沈め、慈母のような微笑みを四人に向けた。


「……あいにく、お隣の声が届いてしまいますね。お聞き苦しいところをお見せして申し訳ございません。――どうぞ、当店自慢の味をご堪能くださいませ。私は皆様が召し上がっている間に、次の皿の準備を整えてまいります」


 完璧な一礼。

 完璧なプロの対応。


 四人が「わぁ……!」と料理とお互いの顔をキラキラした視線で見つめあっているのをみて、アイリスは満足感に心を満たし、お辞儀をして音もなくその場を辞した。


 そして。

 キラキラした雰囲気で料理を見つめる4人組たちの視界から消えた瞬間、アイリスの表情から「温もり」が一切消失する。


 彼女は、まるで獲物を追い詰める死神のような歩法で、衝立の向こう側、地獄の『黄金の牙』サイドへと「入国」する。


「……コホン」

 カインを指差してノリノリで追放劇を演じていたヴァルガスの背後で、アイリスが鋭い咳払いをする。


「お客様。大変申し訳ございませんが、他のお客様が驚かれてしまいます。……もう少し、お声を抑えていただけますでしょうか?」


 氷のような礼儀正しさに、ヴァルガスの顔が一瞬で引き攣った。

 ブルーライセンスの勇者様も、一流店のベテラン給仕の「圧」には勝てないらしい。


「あ、ああっ……す、すまねぇ。……おい、カイン、お前がしけたツラしてるからつい声が大きくなっただろうが。……すいませんでした」

 少しだけ縮こまったヴァルガスに、アイリスは「ご理解いただき光栄です」と言わんばかりの営業用満面スマイルを返し、軽くお礼をして踵を返した。


 地獄の『黄金の牙』サイドから鮮やかな手際で「出国」したアイリスは、そのままの足取りで厨房に向かい、重い扉を蹴破らんばかりに叩き開いた。


「次の料理、できてる!? ブルーライセンスあほパーティー様がいつ爆発するか分からないの、早く戻りたいの、一秒でも早く次のさらを寄越して!」


 怒号に近いアイリスの問いに、コンロの前でフライパンを振るっていた副料理長のボルグが、顔の汗を拭いもせずに応えた。


「ああ……できてる。クソっ、悔しいが……あの狸親父が入ってから作業が劇的に楽になりやがった。アイリス、お前がいなくなってパンクするかと思ったが、あの親父、客の回し方が悪魔的に上手ぇぞ」


「……は? あの『疾風のポンポコ』が?」

アイリスは驚愕のあまり、危うく銀盆を落としかけた。


 厨房の受け渡し口からホールを盗み見ると、そこには信じがたい光景が広がっていた。

 さっきまでスルメを噛みながら減給計算に勤しんでいたはずの狸ジジイが、まるで重力から解き放たれたかのような軽やかなステップで客席の間を舞い、流れるような所作で次々とワインを注いで回っている。

 その動きは、無駄を極限まで削ぎ落とした、残酷なまでに美しいプロの技術アートそのものだった。


「ああ。あちこちのテーブルに絶妙なタイミングで声をかけ、追加の酒を注文させながらも、客の不満を一切出させねぇ。……チッ、現場を離れて何十年経ってるか知らねぇが、あの立ち回りは間違いなく本物だ」


 アイリスは信じられないものを見る目で、ホールの喧騒を透かし見た。

 金塊ボーナスへの執念が、かつてのレジェンド給仕としての勘を呼び覚ましたらしい。

 今まで深刻な人手不足も現場の悲鳴もすべてスルメを噛んで無視していたくせに、利益が見えた途端に全盛期の動きを取り戻す上司。


(だったらもっと早く現場を手伝えよ、この狸ジジイ!!)


 アイリスは心の中で猛烈なツッコミを入れつつ、釈然としない気持ちで銀盆を差し出した。


「で?二皿目のスープは?」


「あぁ、そこにできている。久しぶりにロリコンマッシュが覚醒しやがった……マッシュの野郎、『店内から極上の乙女の気配がする』とかワケの分からねぇことを口走りながら、気持ち悪くキノコをおろしていたぞ」


 ボルグが指差した先では、キノコ料理担当のマッシュが、恍惚とした表情でスープの仕上げに『星屑茸のオイル』を垂らしていた。


「ああ、聞こえる……。穢れなき少女たちの、春の木漏れ日のような笑い声が……。アイリス、お願いだ、この僕のスープを、冷めないうちに天使たちに届けて欲しい。彼女たちの瑞々しい魂に相応しい、究極の愛のスープが出来たんだ……あぁ、僕の愛が天使たちの体の一部になるなんて、夢のようだ。」


 マッシュの瞳は、もはやキノコの胞子でも浴びたかのように濁っている。

 それを見たボルグは、アイリスの肩をガシッと掴み、地声の低い声で、絞り出すように囁いた。


「……なぁアイリス。この仕事、一緒に辞めねぇか? もう限界だ。俺はもう、この変態の隣で鍋を振りたくねぇ……。今ならまだ、まともな人間としての心を取り戻せる気がするんだ……」


「……気持ちは分かるけど、今は無理。――行くわよ!」


 ボルグの切実すぎる転職勧誘を非情に切り捨て、アイリスは熱々のスープが載った銀盆を掲げて再び「戦場」へと舞い戻った。


 衝立の向こう――「こちら側」にいる四人の至高の客たちが、自分が不在だったわずか数分の間に、どれほど「人間界の常識」を逸脱した光景を作り上げているか。


 アイリスはまだ、知る由もなかった。



【コンソメスープ ~マッシュ流・銀糸天幕/逢魔星彩~】

評価:★★★★★(伝説級:天才料理人が覚醒した場合にのみ生み出される逸品)


【黄金の液体:三日間の供物】

『ル・ドラゴニア』の格を象徴する、究極の澄ましスープ。

 数人の熟練コックが三日三晩交代制で泊まり込んで仕込む逸品。

 一秒の油断もなく火加減を調整し、アクを取り続けることで完成する。

 不純物を極限まで削ぎ落とし旨味だけが残ったそのスープは、もはや「料理」というより「液体と化した黄金」と呼ぶに相応しい。

 器の底に沈めた金貨の刻印が鮮明に読み取れるほどの透明度を誇る、この「時間の結晶」を一口啜るために、数ヶ月前から予約を入れる大貴族が後を絶たない。


【変態的絶技:銀糸のシルキー・スライス

 しかし、この究極と思われるスープには、さらなる深淵が存在する。

 麗しい12歳前後の少女がやって来た時のみ、料理人マッシュの禁断の絶技が解放されるのだ。

 キノコの細胞壁を傷つけることなく、繊維の隙間を縫うようにして切り出された星屑茸は、厚さわずか0.01ミリ。

 向こう側が透けて見えるほど薄く、かつ乙女の肌に触れるような優しさでカットされた茸は、もはや物理的な質量を失っている。


【視覚的奇跡:銀色の蜘蛛の巣】

 黄金のコンソメに極薄の茸が投入された瞬間、その欠片は熱によって「溶解」の一歩手前まで軟化。

 水面を滑るように広がり、まるで生きているかのように複雑で緻密な「銀色の蜘蛛の巣」の紋様を描き出す。

 それは飲む者に、逢魔が時に星屑に包まれるような幻想を与え、同時に逃れられない美しき「味覚の深淵」へと誘うだろう。


【ル・ドラゴニアの七つの秘密:謎の天才料理人】

 貴族の中には、この美しくも儚い奇跡のコンソメスープの秘密を知りたがる物好きが多数存在する。

 いくらかかっても良いので、シルキースライスの秘密を教えてくれと懇願するのだが

 覚醒したマッシュがキノコを捌く姿は、控えめに言って、睡眠薬で少女を眠らせ悪戯をする犯罪者にしか見えない。

 ル・ドラゴニアの格を保つため、オーナーは涙をのんで今でもその懇願を断っているのだ。

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