003:深淵の蜘蛛と【そこらの木の実のシャーベット】
003:深淵の蜘蛛と【そこらの木の実のシャーベット】
微妙な空気の昼食を終え、我はノッシノッシと八本の脚で森を進んでいた。
先ほどの昼食は、我が渾身の料理になるはずだった冷凍サラマンダーが、まさかのただのシャリシャリするだけの生臭い肉塊と化すという惨事に見舞われた。
幼い姪っ子たちに気を使われるという、おじちゃんとしてこれ以上ない屈辱を味わいかけたが、そこは百戦錬磨の狩人である我。
咄嗟の機転で再加熱するという起死回生の閃きにより、なんとか「食べられる」というギリギリ引き分けのラインまで持ち直したのだ。
しかし、あの瞬間、我が魂の至宝たる姪っ子たち――アン、ドゥ、トロワ――の、我に対する尊敬の眼差しに、ほんの僅か、本当にごく僅かだが、疑念の影が差したような気がしてならぬ。
これは由々しき事態だ。おじちゃんとしての威厳に関わる。
道すがら、陽光が木々の間からスポットライトのように降り注ぐ、苔むした古木に囲まれた円形の開けた場所を見つけた。
柔らかな下草が絨毯のように生い茂り、色とりどりの小さな花々が咲き乱れている。
ふむ、戦いの舞台としては申し分ない。
よし、ここで先ほどの失態を挽回し、おじちゃんとしての威厳を取り戻さねばなるまい。
「さて、アン、ドゥ、トロワよ。先ほどの狩りは見事であったが、まだまだ詰めが甘いと言わざるを得んな。食後の運動がてら、このおじちゃんが直々に手解きをしてやろう」
我の言葉に、姪っ子たちは「えー、今はそんな気分じゃないー」「お昼寝したいー」などと、およそ狩人の血族とは思えぬ腑抜けたことを宣う。
アンはあからさまに不満げな顔をし、ドゥはそっと欠伸を噛み殺し、トロワに至っては既に丸くなって寝る体勢に入ろうとしていた。
仕方がない。
ここは秘策を出すしかない。
「…よかろう。このおじちゃんに一太刀でも浴びせることができたら、褒美を与えて進ぜようぞ」
途端に、三対、合計二十四個の瞳がカッと見開かれ、狩人のそれに変わった。
よしよし、そうでなくてはな。
血は争えん。
さて、ルールだが…先の姪っ子たちの戦闘を思い返す。
あの連携、あの糸捌き、正直末恐ろしい。
だが、弱点がないわけではない。
そう、それは「油断」だ。
ふふん、このおじちゃんが、まずは軽く体を慣らす程度に稽古をつけてやった後、彼女たちのほんの僅かな油断に付け込んだ痛烈な一撃を見舞い、打ちのめされた我が魂の至宝たちに、狩りにおいて一瞬の油断がいかに致命的な結果を招くか、その恐ろしさを骨身に染みさせてやろうではないか。
それでは、先ほどのサラマンダー戦を簡単に再現するため、どっしりと位置を取る。
「さあ、三人まとめてかかってくるが良い!」
広場の空気がピンと張り詰める。
姪っ子たちは互いに目配せをし、小さく頷き合うと、その幼い顔には先程までの甘えは消え、真剣な狩人の表情が浮かんでいた。
一瞬の静寂の後、まるで示し合わせたかのように、三匹が同時に地面を蹴った。
「「「いくよー!」」」
アンの元気な掛け声と共に、姪っ子たちは瞬時に三方向へ散開した。
その動きは、まるで森を駆ける疾風のようだ。
ほぅ、なかなか良い判断だ。
奴らは、それぞれが持つ伸縮自在の魔糸を巧みに使い、木々の幹を蹴り、枝から枝へと飛び移り、縦横無尽、予測不能な三次元的な軌道で我を撹乱しにかかる。
まるで踊るように、しかしその実、計算され尽くした動きで翻弄してくるではないか。
まず一番槍、最も猪突猛進なアンが、その小さな体躯からは想像もつかぬ膂力を込めた突進を仕掛けてきた!
まるで小さな砲弾だ。
アンが踏み台にした巨木が吹き飛び、ドン!と言うあり得ない音が聞こえる、あれ?音の方が遅く届いてないか?
お、おい、ちょっと待て、その威力は聞いてないぞ!
内心の動揺を悟られぬよう、すんでのところで多重結界を展開し、その突撃を阻む。ドゴンッ!と鈍い衝撃が結界を揺るがした。
しかし、間髪入れず、ドゥの波状攻撃が結界に襲いかかる。
なんと、ドゥの糸は我の結界に複雑に絡みつき、その構成を中和し始めた!
その糸は、まるで生き物のように結界の表面を這い、魔力の流れを的確に読み取り、解体していく。
ぐぬぬ、中和された箇所へ、さらに結界を上書きせんと意識を集中するが、アンの第二波、第三波が、まるで岩をも砕く攻城槌のごとく結界を打ち据え、演算処理が安定しない!
ええい、こうなれば少し本気を出すしかあるまい!
我が八つの魔眼のうち、四つ目までをカッと見開く!
視界が一気にクリアになり、アンとドゥの動き、糸の軌道、結界の減衰ポイント、その全てが手に取るように把握できる。
よし、これで結界の制御は取り戻した…!
だが、待て。
三匹目がいない。トロワはどこへ消えた?
その瞬間、ぞわりと悪寒が背筋を走った。
我が体躯、そして八本の脚に、いつの間にかトロワの極細でありながら強靭極まる魔糸が、まるで第二の皮膚のように、しかし確実に動きを封じるように巻き付いていたのだ!
背後から、トロワのくすくす笑う声が聞こえる。
しまった!完全に意識の外だった!
我が自慢の足捌きが、まるで粘つく泥濘に囚われたかのように鈍る。
ほんの僅か、本当に僅かだが、体勢が崩れたその刹那――!
アン、ドゥ、トロワの三匹は、広場の一箇所に集結していた。
そして、その三匹の中心に、眩いばかりの力が収束し、破壊の輝きを放ち始める。 (ま、まさか…!)
我が未来視がようやく絶望の未来を投影し始めた。
我が未来視は、決して確定した未来を見る能力ではない。
現状を寸分違わず解析し、そこから最も起こり得る可能性を脳内でシミュレートする超高性能な未来予測シミュレーションだ。
それ故に、予測の範疇を超えた、想像すら出来ぬ要素が紛れ込むと、その精度は極端に低くなり役に立たなくなる。
姪っ子達め!
我の未来視の発動を遅らせるために、普段隠しておいた切り札を切ってきたという事か?
我が未来視が映し出した数秒先の未来で、姪っ子たちが練り上げているその術は…
『極光』!?
馬鹿な!
ありえん!
魔獣になりたての幼子が、どうやったらあのような終末兵器じみた大技を放てるというのだ!?
いや、しかし、信じたくはないが、あの凝縮されていく光の奔流は、紛れもなく『極光』そのものだ!
姪っ子たちの瞳は真剣そのもの。
我は慌てて五つ目、そして六つ目の魔眼を解放!
脳内の演算回路が、焼き切れる寸前の速度で回転させる。
来るべき『極光』をあらゆる角度から分析し、それに合わせて結界の構成を『極光』用に組み替える。
その様は、まさに神業。
だが、それでも時間が足りない!
ドォォォン!!!
姪っ子たちの小さな体から放たれたとは思えぬ破壊の光が、森全体を揺るがし、大地を震わせた。
名も知らぬ鳥たちが、この世の終わりでも察したかのように一斉に空へと逃げ惑う。
本当に、本当に刹那の差であった。
結界が完了した直後、極光が激突する。
ミシミシミシッ!と、まるで巨大な氷河が軋むような音を立て、結界の表面に僅かな亀裂が走ったのが見えた。
…危なかった。あとコンマ一秒遅れていたら、おじちゃんの威厳どころか、この身に風穴が空いていたかもしれない。
姪っ子たちは、これで決まったとでも思ったのだろう。
一瞬、その小さな顔に「やった!」という得意げな表情が浮かんだ。
その隙、逃さん!
我は即座に、八本の脚を巧みに動かし拘束用の魔糸を放ち、三姉妹をまとめて絡め取った。
あっという間に、三匹の小さな狩人は、ぶらぶらと逆さ吊りの刑だ。
「「「きゃー!おじちゃんすごーい!」」」
…なぜだ。 逆さ吊りにされているというのに、姪っ子たちは嬉々として手足をばたつかせている。
その瞳は、恐怖や悔しさではなく、純粋な興奮と、そして…ほんのりとした尊敬の色を宿しているではないか。
末恐ろしいにも程があるぞ、この娘たちは!
さすがは我が敬愛する姉『冥府の黒百合』と、我が尊敬する義兄『夜天の裁定者』の血を色濃く受け継ぐ者たちよ。
しかも、この三姉妹は、数多いた姪の中でも、魔獣の域にまで登り詰めた、まさに上澄み中の上澄み。
それにしても…三匹同時とはいえ、このおじちゃん、大人気なくも魔眼を六つまで解放してしまうとは。
大人として、そして何より「おじちゃん」としてのプライドが、チクチクと、いや、ズキズキと痛む。
「油断大敵」
先ほど姪っ子たちに説いて聞かせようとしたその言葉は、まさしく、この自分自身に向けられるべきものであったか…。
そっと姪っ子たちを地面におろすと、彼女たちは何事もなかったかのように、それどころか先ほどよりもキラキラとした尊敬の眼差しでこちらを見上げてくる。
…むぅ、これはこれで、悪くない。
「ま、まぁ、今日のところはこんなものか。お前たちの成長、おじちゃんは嬉しく思うぞ」 何とかおじちゃんとしての体裁を繕えたと思う。
その後、褒美の話になり自然と食後のデザートへと話題は移った。
すると、アンが「さっき森で見つけたのー!」と、どこからか瑞々しい果物をいくつか抱えて持ってきたではないか。
ドゥとトロワも、それぞれ別の種類の果物を手にしている。
そして、クリクリとした瞳で我を見上げ、アンが代表してこう宣うのだ。
「おじさーん、この果物、おじちゃんの氷結の糸で冷やしてー!きっとおいしいと思うの!!」
我は内心、ぐっと息を呑んだ。 氷結の糸で物を冷却する、か。
先ほどのサラマンダーの件が脳裏によぎる、無敗の帝王たるこの我がサラマンダーごときに引き分け、そう勝利に限りなく近い引き分けを喫した件だ。
あれはただ冷やせば良いという単純な話ではなかった。
下手をすれば、またしてもただの氷塊か、あるいは食えた代物ではないものを作り出してしまうやもしれん。
しかし、この姪っ子たちのキラキラとした瞳はどうだ。
まるで「おじちゃんならできるよね!」と絶対の信頼を寄せているかのようだ。
子供の柔軟な発想というものは、時に我々大人の凝り固まった思考を遥かに凌駕し、そして時として、無邪気な期待がとんでもないプレッシャーとなるものだ。
この姪っ子たち、もしや戦闘だけでなく、こういった無茶振りにおいても天才なのでは…?
いやはや、末恐ろしいと同時に、おじちゃんとしての腕の見せ所でもあるか…。
「…ふむ、面白いことを考えるものだ。だが、ただ冷やすだけでは芸がない。先ほどの轍は踏まんぞ。よかろう、おじちゃんが特別に、極上の冷たさで、かつ美味しく仕上げてやろう」
我はそう言うと、姪っ子たちが差し出す色鮮やかな果実に、慎重に、しかし確実に氷結の魔糸を纏わせた。
糸が触れた瞬間から、果物の表面にはうっすらと白い霜が降り始め、見る見るうちに冷気を帯びていく。
加減を間違えればただの氷塊になってしまうが、そこは狩人の王。
絶妙な力加減で、果実の芯まで冷やしつつも、その食感を損なわないギリギリのラインを見極める。
こうして、狩人の王たる我が氷結糸でキンキンに冷やされた果物は、それはもう、料理界に革命をもたらす新時代のイノベーションを感じさせてくれるものだった。
「「「キャイキャイ!おいしーい!」」」
シャーベット状になった果物を、小さな口いっぱいに頬張り、きゃっきゃとはしゃぐアン、ドゥ、トロワ。
その姿は、確かに愛らしい。愛らしいのだが…。
なんだろう、この猛烈な敗北感は。
『そこらの木の実のシャーベット』
評価★★★☆☆(おやつに出てきたらうれしい)
その辺に生えていた名もなき木の実を、強力な氷結の魔糸で絶妙に冷却しシャーベット状にしたもの。
シャリシャリとした歯触りが楽しく、素材の味を活かした素朴で自然な甘さが特徴。