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深淵の蜘蛛の深淵レストラン  作者: カニスキー
第二章 開店!深淵レストラン
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027:防衛長官グレンと【深淵のランチセット】

027:防衛長官グレンと深淵のランチセット


 俺とリリアは、アン、ドゥ、トロワと名乗った三人の少女たちに手を引かれ、賑やかな温泉街から少し離れた森の奥へと向かっていた。

 道中、少女たちは「おじちゃんは、深淵で一番の狩人なんだよ!」「光るキノコも、飛ぶトカゲも、何でも捕まえちゃうの!」などと、無邪気に「おじちゃん」の自慢を続ける。


 俺たちはそれを子供らしい空想の話だと微笑ましく聞きながらも、だんだんと道が険しくなり、周囲の空気が変わっていくことに、わずかな違和感を覚えていた。

 やがて、森の開けた場所に、少女たちが指し示す「レストラン」が現れた。

 それは、一見すると、どこにでもある素朴な山小屋だった。

 だが、近づくにつれて、その建物の異様さが明らかになっていく。


(…なんだ、この建物は)

 扉は、屈強な俺でも見上げるほどに大きい。

 壁には、大きさも形もバラバラな窓が、まるで虫の複眼のように、不規則にいくつも取り付けられている。

 そして、石造りの煙突からは、なぜか七色に輝く煙が、ゆらゆらと立ち上っていた。

 長年の戦場で培われた俺の直感が、警鐘とは違う、未知の何かに対する困惑の声を上げていた。

 リリアもまた、不安げに俺の腕を強く掴んでいる。


 しかし、少女たちはそんな俺たちの緊張など意にも介さず、「おじちゃーん!お客さんだよー!」と、元気いっぱいにその巨大な扉を押して、建物の中へ駆け込んでいった。

 俺は、すぐには続かず、リリアを手で制して、巨大な扉の隙間にそっと耳を澄ませた。


「なに?客だと?もう来たのか?心の準備がまだ…」

 落ち着いているが、どこか焦ったような低い男の声。

「おじちゃん、はやくして!初めてのお客さんだよ!」

 元気なアンの声が響く。

「アン、落ち着いて。お客様を怖がらせてしまうわ」

 冷静なドゥの声が続く。

 ガッシャーン!

 何か派手に割れる音がして、アンの甲高い悲鳴が聞こえた。

「あー!お皿が!」

「…やれやれ…」

 男の、深いため息が聞こえる。


(…レストラン、だよな?)

 どうにも、ただのドタバタした家族の日常にしか聞こえない。

 俺とリリアは顔を見合わせ、先ほどまでの緊張が少しだけ解けていくのを感じた。

 俺たちが息を飲んで見守る中、やがて、闇の奥から一つの人影が現れる。


 出てきたのは、人の好い田舎の料理人などではなかった。

 サラサラと流れる長い黒髪に、覗き込むと魂ごと吸い込まれそうな、不思議な輝きを放つ紫色の瞳。

 その整いすぎた顔立ちは、まるで腕利きの彫刻家が作り上げた最高傑作のようだ。

 頭には場違いなほど真っ白なコック帽が乗っており、服装は上等な黒い執事服に、なぜか可愛らしいフリルのついたエプロンというちぐはぐなものだった。


 その立ち姿には、王族のような高貴さと、魔王のような絶対的な威圧感が同居しており、思わずひざまずいてしまいそうな、抗いがたい強制力を感じた。

それが、少女たちの言う「おじちゃん」だった。


「…ふむ。人間か。まあ良い、我が『深淵レストラン』への最初の客となる栄誉を、貴様らに与えてやろう」

 青年の、低く、そして心地よい声が響く。

 その尊大な態度に、俺は先ほど解けたはずの緊張が、再び背筋を駆け上るのを感じた。

「なにを呆けておる。さあ、こちらへ来い。我が直々に席へ案内してやる。これほどの栄誉、涙を流して喜ぶが良い」


 青年に促されるまま、俺たちは恐る恐る店内へと足を踏み入れた。

  天井は、まるで洞窟のようにドーム状になっており、壁には磨かれた黒曜石が埋め込まれ、そこから生える発光する神秘的な水晶が、店内を青白く幻想的に照らしていた。

 テーブルや椅子は、滑らかな曲線を描く巨大な岩を削り出したもので、人間工学など一切無視しているが、そこには奇妙な統一感と、荘厳なまでの品格が漂っていた。

 ここはレストランというより、異界に迷い込んだかのような、不思議な感覚に襲われる。


 そういえば、若い頃に挑んだ古代遺跡ダンジョンの最深部で、これとよく似た、肌を粟立たせるような神聖さと、底知れぬ闇が同居する空気を感じたことがあったな。

「さぁ、ここでしばし待っておれ」

 青年はそう言い残すと、優雅な足取りで厨房へと消えていった。


 静まり返った店内で、俺はリリアと視線を交わす。

 まるで巨大な怪物の胃袋の底に、二人きりで取り残されたような、途方もない不安が押し寄せてきた。 と、その時。先ほどまでとは打って変わって、厨房の奥から、小声の、しかし切羽詰まったような会話が聞こえてきた。


「あー、緊張したぞ!いきなり来るから心の準備ができていない!この後どうするのだ!? 我はどうすれば!」

 先ほどの美青年と同一人物とは思えぬ、完全にオロオロとした声。

「おじちゃん、落ち着いて。まずはお水。それから、あのおじさんはお腹が痛いって言ってたから、胃に優しいものを作ってあげなきゃ」

 しっかり者のドゥが、冷静に指示を飛ばす。

「そうか?やはり最初の客だから、もっとガツンっとした物が良いのではないか?石化鶏コカトリスの卵の半熟仕立てとかどうだ?」

「もう!おじちゃん、しっかりして!今から狩りに行ったら日が暮れちゃうよ!!」

 アンの元気な声が響く。

「こんな事ならバジリスクでも生け捕りにしておけばよかった!!!…ああ、もうだめだ、我は帰る…」

「おじちゃん、逃げない!」

 三姉妹の声が、ピシャリと重なった。


「わたし、おじさんたちの所で時間を稼いでくる、その間に料理を作ってね」

 トロワのその言葉を最後に、厨房の扉がぴしゃりと閉まった。静寂が戻る。

 俺とリリアが顔を見合わせていると、今度は銀髪の少女、トロワが、おずおずと俺たちのテーブルにやってきた。

 彼女はぺこりとお辞儀をすると、どこからか取り出した一本のきらきらと輝く糸を手に取り、小さな声で、物悲しくも美しい歌を口ずさみ始めた。

 そして、その小さな両手で、信じられないほど複雑なあやとりを披露し始めたのだ。糸は、まるで生きているかのように彼女の指の間を舞い、天を駆ける竜の姿に、次いで咲き誇る薔薇の形へと、次々と姿を変えていく。そのあまりの美しさに、俺たちは思わず息をのんだ。


 ドゴォォォンッ!

 その時、背後の厨房から、再び岩を砕くような轟音が響き渡った。

 俺とリリアは、びくりと肩を震わせる。しかし、トロワは全く動じることなく、その繊細な指先で、今度は羽ばたく鳥の形を織りなしている。

「きゃー!おじちゃん、またサラマンダー逃げたよー!」

「アン!囲んで!糸で動きを止めて!」

 アンとドゥの必死な声。何かを殴りつけるような鈍い音。


 目の前では、幻想的な芸術が繰り広げられ、背後では、明らかに戦闘が行われている。

 このシュールすぎる状況に、俺の胃は限界を迎えようとしていた。

 俺の胃痛とは裏腹に、隣のリリアはどこか楽しげな顔をしながら、トロワが織りなすキラキラ光る小さな芸術を楽しんでいるようだった。


 やがて、トロワが最後に巨大な蜘蛛の形を完成させ、満足げに頷くと、再びぺこりとお辞儀をして厨房へと戻っていった。

 入れ替わるように、少しやつれた様子の青年と、煤で少し顔を汚したアンとドゥが、それぞれの手に一つずつ盆を持って現れた。


「お待たせいたしました」

 何事もなかったかのように、青年は一杯のスープを俺たちの前に置いた。

 それは、見た目はシンプルだが、黄金色に輝き、飲む前から体に染み渡るような優しい香りがする、不思議なスープだった。

 その後に続くようにアンは一見変哲もないパンを、ドゥはこんがり焼けた茸の山を置いてきた。


「すまない、お客様よ。本当は肉料理も提供しようと思ったのだが、サラマンダーが思いのほか激しく抵抗してきてだな、今回は時間の都合上諦めることにした。」

 青年は少しだけ申し訳ないという憂いた表情をしたが、コホンと咳を一つ付き、尊大な態度を保ちつつも、どこか誇らしげに料理の説明を始めた。


「まず、そのスープだ。貴様の弱った内臓をいたわる為に、特別に『月光茸』を煮出してやった。深淵の月光を浴びて育つこの茸は、万病に効くと言われておる。それに、この辺りで採れた川魚の出汁を合わせた、滋養に満ちた一品だ」

 月光茸だと?聞いたこともない。漢方なのか?。


「そちらの茸は、『星屑茸』だ。まあ、ただ焼いただけだがな。パンは…ただのパンだ。気にするな」

 青年は、まるでパンの存在が己の美学に反するとでも言うように、少しだけ顔をしかめた。

 聞き間違いか?

 星屑茸といったか?

 市場に出ることも稀な超高級食材ではないか?

 それをこんなに山のように盛り付けてくるなんて、似ているキノコで代用しているのか?

 でも、この芳醇な香りは本物??


「そして、デザートには、我が愛しの姪たちが森中から集めた木の実でシャーベットを用意した。コレは我の自信作だ。食後に持ってきてやろう。」

 最後に、彼は水差しを指して言った。

「ああ、水は昨晩、霊峰の頂まで赴き、汲んできた岩清水だ。霊験あらたかな水だ、不浄を清める効果があるらしい。存分に味わうが良い」

「それでは、我は下がらせてもらう、何かあったら呼ぶが良い。」

 青年は尊大な態度を崩さないまま華麗に厨房へ帰っていった。


 去り際に見えたその瞳の奥に、ほんのわずかな弱気と、客人にどう接して良いか分からぬ戸惑いの色が見える。

 三人の娘たちも、期待と不安が入り混じったような、恐る恐るといった様子で厨房の入口に身を隠しながらチラチラこちらを見つめてくる。


 俺は助けを求めるように妻に目配せをしたが、リリアは「面白そうじゃない」とでも言うように、にっこりと微笑んで、何の躊躇もなくスープのスプーンに手を伸ばした。

 …そういえば、俺の妻は昔からこういう女だったな。

 俺は覚悟を決めると、リリアに倣って、自らもスプーンを手に取った。


 俺は、この食事が、果たして俺の胃を癒やすのか、それとも、別の次元へ魂を送るためのものなのか、全く見当もつかないまま、恐る恐るスプーンを口に運ぶのであった。



『深淵レストランのウェルカムスープ』

 評価:???

 深淵の蜘蛛が、初めての人間の客のために、見よう見まねと独自の解釈で作ったスープ。

 ベースは、姪たちが捕まえた「川魚」と、市場で手に入れた「燻し木の里の野菜」。

 隠し味として、客の魂を癒やすという「安らぎ苔」や、万病に効くという「月光茸」など、人間が口にして良いのか定かではない、深淵の希少な素材がいくつか投入されている。

 その味は、今の時点では味見をした深淵の蜘蛛しか知らない。



石化鶏コカトリスの卵の半熟仕立て』

 評価:★★★★★(危険だが美味)

 その視線で生物を石に変えるという伝説の魔獣、コカトリスの卵。

 殻は鉱石のように硬いが、その中身は驚くほど濃厚でクリーミー。

 絶妙な火加減で半熟に仕上げれば、その味わいは他のどんな卵とも比較にならない、まさに神々の食べ物と称される。

 ただし、親鳥に見つかれば、料理人も客も、揃って石像コレクションの一部となるリスクを伴う。

 深淵の蜘蛛の好物の一つだが、残念ながら今回は準備不足で間に合わなかったようだ。



『星屑茸の塩焼き』

 評価:★★★★★(見た目が綺麗)

 芳醇な香り、濃厚な旨味。特殊な土壌にしか生えない為めったに市場に出てくることは無く、茸の形をした宝石と呼ばれている。

 ちなみに、サラマンダーの幼体がこのキノコを食べ続けることでアンギャーと呼ばれるようになり、さらにキノコを食べ続けるとアンギャラス(婆娑羅曼荼羅蜥蜴ばさらまんだらとかげ)へと成長する。



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