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深淵の蜘蛛の深淵レストラン  作者: カニスキー
幕間 もう一つの前夜祭
22/33

022:万象の織姫と【岩猪殺し(いわししごろし)】

022:万象の織姫と【岩猪殺し(いわししごろし)】


 意気揚々と、わたくしは愛しのあの方の住処、深淵の宮殿へと足を踏み入れました。

 ですが、そこはもぬけの殻。

 生命の気配が、まるで綺麗さっぱり消え失せているではございませんか。

(なんですの、これは…!?せっかくわたくしが、心に鞭打って、ここまで会いに来て差し上げましたのに!留守ですって!?)


 ですが、ここで諦めるわたくしではございませんことよ。

 わたくしは、その場にふわりと舞う、彼の残り香の糸を一本、指先でつまみ上げます。

 そして、その香りの情報を元に万物具現の力で、彼を追跡するためだけの、小さな銀色の蝶を織り上げましたの。


 銀の蝶はわたくしの焦がれる想いを乗せ、深淵の闇から陽光の世界へ抜け出しました。

 あの方の甘美な残り香だけを道標に、火山を抜け、森すらも抜け、ただひたすらに飛び続けました。

 やがてたどり着いたのは、思いもよらぬ人間の集落でした。


 矮小な人間が住まう場所など、普段のわたくしにとっては、路傍の蟻の巣ほどにも興味はございません。

 ですが、追跡の蝶は、確かにあの方がこの村へ入ったと示しております。

 一体なぜ?

 訝しみながらも村に降り立つと、案の定、わたくしの姿を見つけた人間たちが、こちらへ向かってきます。

 まったく、下等生物というものは、いつもこうして煩わしく騒ぎ立てる。

 本来ならば、視界に入った時点で塵芥のようにプチっと潰して差し上げるところですが、この村にはあの方が入った形跡がある…。

 ここで騒ぎを起こして、あの方に嫌われてしまうのだけは避けなければ。

 わたくしが内心の苛立ちを抑え、身を固くしていると、どこにでもいるような人間の若い雄が、魔獣であるわたくしを恐れるでもなく、ほんの目の前までやってきました。


「おーい!あんた、見ねえ顔だな!てっきり、この間いらっしゃった深淵の蜘蛛様かと思ったぜ!」

 なんですって?

 何たる無礼!

 このわたくしを、あの方と見間違うなど!…いえ、あの方と間違われるのは、それはそれでやぶさかではないような…いえいえ、それとこれとは話が別ですわ!

 即刻糸で首を刎ねてやろうかと思いましたけれど、「深淵の蜘蛛」という甘美な響きに、わたくしの思考は一瞬停止いたしました。


「…わたくしは、深淵の君ではございませんわよ?」

 そう言ってやりますと、目の前の人間は、わたくしの声が女性のものであったことに心底驚いたようで、慌てて頭を下げました。

「おっと、そりゃすまねえ!じゃあ、もしかしてあんた、蜘蛛様の良い人かい?」


 ……え?

「よ、良い人…?」


 その、あまりにも予想外で、あまりにも的を射た一言に、わたくしの乙女回路はショート寸前。

 天地創造以来、一度も乱れることのなかった思考が、一瞬にして真っ白になりました。

「ち、ちが…いえ、その…そうではない、ことも、ないような…?」

 しどろもどろになりながら、モジモジと意味もなく口ごもることしかできないわたくしを見て、人間は何かを合点したように、ニカッと笑うと、村中に響き渡るような大声で叫んだのです。


「おーい!みんなー!深淵の蜘蛛様の、良い人が来てくれたぞー!!」

 その瞬間、村のあちこちから「なんだって!」「そりゃめでてえ!」「宴会の準備だ!」という歓声が上がり、村全体が、わたくしを歓迎するお祭りムードに包まれてしまったではございませんか!

 村人たちがあれよあれよという間に中央の広場に集まり、宴会の準備を始めてしまいました。

 呆気に取られてその光景を眺めていると、人間の老婆がわたくしの元へやってまいりました。


「まあまあ、蜘蛛様の良いお方。ようこそおいでくださいました。数日前、わしらの村を長年苦しめていた岩猪という怪獣を、蜘蛛様が三匹のそりゃあ可愛らしいお嬢様がたと一緒に、あっという間に退治してくださいました。それだけではございません。この私の長いこと光を失っていたこの目も、蜘蛛様の不思議な力で、ほれ、この通りです」

 老婆は、皺だらけの顔をくしゃくしゃにして、澄んだ瞳でわたくしを見つめました。

 老婆は嬉しそうに話を続けます。

「あの後、村をあげて蜘蛛様を歓待させていただきました。あの岩猪の丸焼きは、そりゃあ見事なもんで。みんなで肉を分け合って、酒を酌み交わして、夜が更けるまで笑いました。蜘蛛様も、それはそれは豪快に酒を召し上がられて、少しばかりお暴れになった後は、ぐっすりとお休みになられたのです」


 その話を聞いているうちに、わたくしの脳髄の奥で、何かが引っかかりました。


 森羅万象の理を紐解くわたくしの灰色の脳細胞が、虹色に輝き、散らばった情報を一つの答えへと紡ぎ始めます。

(…酒?…暴れた?…眠った?)


 その時、雨は次第に大粒となり、宴の準備をしていた村人たちが「こりゃ、今夜は無理かねえ」と残念そうに天を見上げ始めました。


 そして、わたくしはついに、一つの真実へとたどり着いたのです!

(そうですわ…!われわれ蜘蛛の一族は、その体質から、通常の酒で酔うことなどあり得ない!毒を操ることはあっても、毒に侵されることはない!それなのに、あの深淵の君が、この村の酒で酔い、眠りに落ちた…!?)

(これは…!使える!)

(蜘蛛を、少なくともあの方を、確実に眠らせることができる酒が、この世に、この村に存在している…!!)


 わたくしは、自らの推理に打ち震えました。

 これを使えば!あの方をぐっすりと眠らせて、あんなことやこんなこと、果ては【自主規制】や【自主規制】をやり放題、既成事実として【自主規制】することができるではございませんか!!


「蜘蛛の姫様、雨が強くなってまいりました。大変申し訳ございませんが、本日の宴は中止に…」

 村長らしき男が、申し訳なさそうに何かを言っていますが、そんなこと、どうでもよろしい!

 目の前に、あの方との甘い夜を約束する天上の黄金酒かもしれないものがあるというのに!


「雨だと!? しゃらくさいですわ!!!」

 わたくしは、八本ある脚のうちの二本で、天を削り取るように振るいました。

 その瞬間、この地に「雨が降る」という事実は、わたくしの力によって強制的に「雲一つない晴天である」という理に上書きされ、降り注いでいた雨は一滴残らず蒸発し、空には美しい夕焼けが広がりました。


「さあ、村長!宴を!宴を始めなさい!あの日、深淵の君をもてなしたものと、寸分違わぬ宴をせい!さぁ!さぁ!さぁ!!」


 気合が入りすぎていたのか、わたくしの声は、いつの間にか魔獣と対峙する際の戦闘用のものへと変わっておりました。

 村長は、わたくしの覇気に完全に飲まれ、息をすることすら忘れ、腰を抜かし、首をフルフルと振りながら、死刑宣告を受けた罪人のようにかすれた声で言いました。

「は、はいぃ...!ですが、その…も、もう、あの時の岩猪のお肉が、残っておりませんで…」

「岩猪ですわね!!…少し、お待ちになって!!」


 次の瞬間!私は広大な森を駆け巡り!岩猪を狩りまくっていました。

 猛る血が勢いあまって森の地形を多少変えてしまったような気がしますが、愛ゆえの些細な犠牲ですわ。


 しばらくして、わたくしは村へ戻りました。村の中央広場には、わたくしが仕留めた100頭を超える岩猪が、小山のように積み上げられ、ちょっとした地獄絵図が完成しておりましたわ。


「さあ!さあさあさあ!宴の準備は整いましたわよ!あの時と同じ燻し木の姿焼きを、今すぐこのわたくしのために用意なさい!」

 ドン引きしている村人たちに有無を言わさず宴を強要し、私は蜘蛛式貧乏ゆすりをしながら宴の完成をまちます。

 今の私をはしたないという輩は殺しますわ!村人たちはこちらを見ないように粛々と宴の準備をやっておりました。


 やがて目の前に、こんがりと焼き上げられた岩猪の姿焼きと、例の酒が運ばれてまいりました。

(うふふ…これさえあれば…あの方との未来は、わたくしのもの…!)

 意外と美味しい岩猪に舌鼓を打ちながら、わたくしは、この後の輝かしい未来を想像し、ゆっくりと、その「噂の酒」に口をつけるのでした。


 酒を飲んだ後の記憶が、あいまいですわ。

 気が付いたら、いわゆる臍天へそてんで眠っておりました。

 はしたない。


 そして、周りを見回して絶句してしまいましたわ。

 そこには、わたくしが擦り切れるほどに愛読している『極悪女王にとらわれた可憐な王子様を助けるため、正義の乙女は今日も奮闘します』(略称:おとふん)の第一巻のクライマックス、偶然王子がヒロインの入っている温泉にやってきて、王子様がどぎまぎしながらヒロインの背中を洗ってあげるという、もう何百回とお世話になったシチュエーションの温泉が、完璧に再現されているではございませんか!


 わたくしが呆然と起き上がると、例の老婆が恐る恐るやってきて事情を説明してくれました。

 どうやら、わたくしはお酒を飲んだら泣き上戸になったらしく、日ごろ溜まったうっぷんをまき散らしながらガバガバと酒を飲み、「どうしてわたくしは、あの方の前だとヘタレてしまうの!?」などと号泣していたそうです。

 その後、なぜだか急に笑い上戸になって、「おとふん最高!おとふん最高!」と爆笑しながら、能力を暴走させ、この温泉を作り上げてしまったらしいのです。

 まったく覚えておりません。

 酒の力、恐るべし!


 一応、老婆に「元に戻しましょうか?」と聞いてみたところ、村人みんなで話し合って、もしわたくしの許しを得られるなら、このまま温泉の村として舵を切ろうかという話になっているらしいのです。

(バカバカしい!酒の勢いで作り上げた醜態の記念碑など、残しておくものですか!)

 そう思った、その瞬間でした。


 またしてもわたくしの虹色の脳細胞が、一つの答えを導き出したのです。


(…待って。この村と、深淵の君は仲が良い…ということは、たまにこの村へ来るかもしれない…来たら、温泉に入るかもしれない…お酒を飲むかもしれない…そして、わたくしが隣にいれば…【自主規制】が【自主規制】して既成事実!!!)


「許可しますわ!」

 わたくしは、老婆の手を固く握りしめました。

「ええ、ええ、許可しますとも!なんなら、お湯が枯れないよう、源泉をわたくしの力で補強しておいてあげますから!さあ、村長を呼んできなさい!この地に、蜘蛛がゆったりとくつろげる、最高の宿を建てるのです!」




【岩猪殺し(いわししごろし)】

 評価:★★★☆☆(万人向けではないが、好きな者には堪らない)


 燻し木の里で古くから造られてきた地酒。

 痩せた土地でも育つ「岩芋いわイモ」と、この地にのみ自生する『燻し木』から採取したという特殊な酵母で醸される。

 その味わいは、洗練とは程遠い、荒々しくも力強い芋の甘みと、喉を焼くようなアルコールの刺激が特徴、そして後から、独特の香りがふわりと鼻に抜けていく。



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