021:万象の織姫と【愛のバイブル】
021:万象の織姫と【愛のバイブル】
我が名は万象の織姫。
我が指先は神の御業そのもの。
一度視たこの世の森羅万象は、星の輝きから生命の息吹に至るまで、寸分違わぬ写し身としてこの世に織りなすことができますの。
ええ、この世界の森羅万象は、すべて我が気晴らしに過ぎませんわ。
このわたくしこそが、万象の理を司る、唯一無二の存在なのですから。
かつては、このわたくしこそが絶対の天才だと信じて疑いませんでしたわ。
ええ、事実そうでしたもの。
わたくしが織りなす万物はあまりに完璧で、あまりに美しく、故に世界は退屈に満ちておりました。
…そう、あの女、冥府の黒百合が現れるまでは。
あの女、わたくしが「創造」の極致ならば、奴は「破壊」の権化。
何者にも傷つけられなかったわたくしの創造物を、赤子の玩具のようにいとも容易く粉砕する、唯一の存在。
野蛮で、粗暴で、そして…腹立たしいことに、わたくしと対等に渡り合える、ただ一人の存在。
我が領域を侵すその無礼、当然、殺して無に帰してやろうと思いましたわ。
ええ、それはもう、顔を合わせるたびに世界の法則が悲鳴を上げるほどの、泥沼の殺し合いを繰り返しました。
創造と破壊の、終わりのない応酬。
もはや、どちらが先に手を出したのかすら忘れ果てた、不毛な戦いを続けておりました。
そんな泥沼の日々が、ある日、思いもよらぬ形で転機を迎えたのです。
いつものように殺し合いの果て、互いに深手を負い、一時休戦となった折のことでした。
憎き宿敵に似た気配を感じ、深淵の縁を彷徨っていたわたくしは、偶然、見てしまったのです。
泉の水面を鏡代わりに、まだどこかあどけなさが残る麗しい一匹の蜘蛛の魔獣が、けなげに糸の練習をしているその姿を。
なんと美しいお方…!
憂いを帯びた涼やかなお顔立ち!
その瞳に宿る深淵の闇!
このわたくしの乙女心が、いとも容易くズッキュンと射抜かれてしまいましたわ!
それが、憎き宿敵「冥府の黒百合」の、たった一人の弟であると知ったのは、我に返った後のこと。
ああ、何という運命の悪戯!このわたくしが、よりによってあの女の弟を…!あまりの絶望に、わたくしは三日三晩、涙の雨を降らせましたわ。
そんなわたくしを見かねた眷属の一人が、どこからか見つけてきた一冊の書物を差し出しましたの。
今では私の愛のバイブルとなったその本の名は…そう、『極悪女王にとらわれた可憐な王子様を助けるため、正義の乙女は今日も奮闘します』。 (略称おとふん)
…ええ、そうですわ!これこそ天啓!わたくしが、あの可憐な王子様(深淵の狩人様)を、極悪女王(冥府の黒百合)の手から救い出すのです!
わたくしたちの戦いは、その日を境に「頂点をかけた戦い」から、一人の殿方を巡る「愛を勝ち取るための戦い」へと、その様相を変えたのです。
それからというもの、わたくしの目標はただ一つ。
憎き黒百合を完膚なきまでに打ち負かし、その腕の中から愛しい弟君を奪い取ること。
その障害の存在こそが、わたくしの恋心を燃え上がらせる最高のスパイスでしたの!
それなのに…
あの女、何を思ったか、どこぞの骨のある男と所帯を持ち、あろうことか子まで産んで、すっかり牙が抜かれてしまったのです。
長きに渡る闘争の果て、疲弊したあの女が家庭という安息の地を見つけたことで、奇妙な雪解けの時が訪れ、いつの間にか、わたくしが弟君に近づくことを、あの女は是とするような雰囲気にまでなってしまいました。
ふざけないでちょうだい!
最大の障害がいなくなってしまっては、わたくし、わたくし、どうやってあの方に近づけば良いのか、皆目見当もつかないではございませんか!
それからというもの、恋心は乙女の祈りから、狂信者の執着へとその形を変えていきましたの。
とある日は、いざあの方に会いに行こうとしては、あと一歩が踏み出せずに踵を返したり。
またとある日には、あの方の住処からこっそり拝借してきた私物を祭壇に飾り、その前であの方への愛を語りかけたり。
またまたとある日には、万象具現の力で姿を隠し、おはようからお休みまでその暮らしを一部の隙もなく見守り、行動の一片すら漏らすことなく愛の日記にしたためたり
またまたまたとある日には、あの方の一日の終わりに漏れる「ため息」を、因果の糸で一分子たりとも逃さず捕獲し、それで満たされたクッションを織り上げては、毎夜それに顔をうずめて恍惚としたり。
またまたたまたまたとある日には、万象具現の力で、あの方と寸分違わぬお人形を織り上げ、来るべき日のための会話の練習相手にしておりました。
ええ、ええ、分かっておりますわ。このような行為が決して褒められたものではないことくらい。
ですが、この溢れる想いは、時にわたくしをちょっぴり道理の通じない獣へと変えてしまうのです。
愛とは、時に理性を焼き尽くす劇薬なのでございますから。
もちろん!ただ指をくわえて見ていたわけではございませんことよ。
「将を射るならまず馬を射よ」の故事にならい、まずは外堀を埋めるべく、あの黒百合の娘たち――アン、ドゥ、トロワを手懐けることから始めましたわ。
屈辱的な「おばちゃん」呼びにも耐え、彼女たちからおじ様の好みや最近の動向といった超重要機密情報を聞き出したり、事あるごとに「織姫おば様は、素敵な蜘蛛だからきっと良いお嫁さんになる」と、彼女たちの無垢な心に、わたくしの素晴らしさをそっと刷り込んで間接的に麗しの君へのサブリミナルなアタックを日夜行っておりました。
そして、ついに、ついにこのわたくしに千載一遇の好機が訪れたのです!
愛しの姪っ子たちが、長期的に深淵の狩人様の元へお泊まりに行くというではありませんか!
(二人きりでは緊張して話せない…!しかし、姪っ子たちがいてくだされば、自然な会話の緩衝材になってくださるのではなくて!?これはもう、家族ぐるみの親睦会!運命の女神が、このヘタレなわたくしに、最高の舞台を用意してくださったに違いない!)
そうですわ!
もはや一刻の猶予もございません!
これまでヘタレていたわたくしの姿はどこにもありませんでした。
いざ出陣!恋敵は、己の内にあり!
この千載一遇の好機を逃すまいと、愛しい彼と姪っ子たちが待つ深淵に向かって、文字通り神速の全力疾走を開始したのです。
ええ、見てなさいな、我が愛しの君。
今度こそ、このヘタレな恋心に終止符を打ち、あなたという運命の糸を、わたくしがその手で掴み取ってご覧にいれますわ!
【極悪女王にとらわれた可憐な王子様を助けるため、正義の乙女は今日も奮闘します】
評価★★★☆☆(とある地域では即日完売)
略称『おとふん』
どこにでもある、王道の恋愛ファンタジー小説。そこそこの売り上げを記録していたが、ある日を境に、特定の地域でだけ爆発的な売り上げを記録したという、出版業界でも七不思議の一つに数えられる謎の娯楽小説。
時を同じくして、作者のもとには、一人の熱狂的なファンのファンレターが昼夜問わず届くようになったという。
そこには、続編を促す熱い想いと共に、なぜか「王子が発する儚げな雰囲気の描写が甘い」「乙女と王子のラッキースケベの描写を増やすべき」など、異常に細かいキャラクター設定や進行の指定や、「極悪女王の断末魔は、三日三晩、七つの大陸に響き渡るほどの絶叫が良い」といった、女王への強烈なざまぁを促す内容が、おびただしい文字量で綴られているらしい。




