表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深淵の蜘蛛の深淵レストラン  作者: カニスキー
第一章 深淵レストラン開店前夜
2/28

002:深淵の蜘蛛と【サラマンダーの瞬間氷結造り】

002:深淵の蜘蛛と【サラマンダーの瞬間氷結造り】


 麗らかな陽光が、深淵の入り口から差し込み、我が黒曜石の如き体躯を暖かく照らし出す。

 心地よい微風が、長年かけて体に染みついた深淵の空気をどこかに運んでくれたようで、どこかむず痒いような、それでいて悪くない感覚を覚える。


 頭上では、我が魂の至宝たる姪っ子たち――やんちゃ盛りの三姉妹、長女アン、次女ドゥ、三女トロワが、キャッキャとはしゃぎながら、我が背の剛毛をトランポリン代わりにして飛び跳ねている。

 その無邪気な歌声は、まるで天上の音楽のように、我が鼓膜を優しく震わせた。

「♪おじちゃんのお背中、ふっかふかー! アンが一番高く飛ぶのー!」

「こらアン、あまり高く跳ぶと危ないよ」

「…うん、トロワも、楽しい…」


 ふふ、差し詰め、これは人間の言うところの「ピクニック」というやつではなかろうか?

 姪っ子たちが、深淵の底では決して見せることのなかった、あんなにも屈託のない笑顔を浮かべている。

 その姿を見ているだけで、我が胸の奥底から、今まで感じたことのない温かな何かが込み上げてくるのを感じる。

 それだけでも、この慣れない地上に出てきた価値があるというものだ。


 我らは、伊勢馬場という男、そして彼がもたらした「料理」という文化に触れるため、人間の里へと向かっている。

 その道中、灼熱の溶岩が川のように流れる火山帯を横切ることになった。

 赤黒い大地、硫黄の刺激臭、そして遠くに見える噴煙。

 普段ならば、このような過酷な環境こそが我が狩場であり、心の昂りを覚える場所のはずなのだが…。

 その時、視界の端に、燃え盛る炎をその身に纏う巨大な影が映った。


 ―炎喰のサラマンダー


 その鱗は溶岩のように赤く輝き、吐き出す息は岩をも焦がすと言われる、

 この火山帯の支配者の一角だ。

 奴は我の姿を認めるや否や、その巨体をピタリと停止させ、全身の炎を恐怖に揺らめかせた。

 その瞳には、深淵の支配者たる我への、抗いがたい畏怖の色が浮かんでいる。


 現在の時刻は昼前。

 ちょうど良い。実に都合の良い昼食が見つかったものだ。

 我が未来視の魔眼が、サラマンダーの数秒後の動きを捉えた。

 奴は、自らが絶対的な捕食者の標的となり、もはや逃れられないと悟ったのだろう、やけっぱちになったサラマンダーは、断末魔の咆哮と共に、灼熱のブレスを吐き出しながら、こちらへ向かって最後の特攻を仕掛けてくるようだ!

 

「姪っ子たちよ、今こそ狩りの手本を見せてやろう。このおじさんの勇姿、その目に焼き付けるが良い!」

 そう心の中で叫び、八本の脚に力を込めた瞬間だった。

 頭の上で騒いでいた姪っ子たちが、まるで春の野原で蝶を追いかけるかのように、気軽な様子でぴょぴょぴょーんと飛び出し、自分たちの何倍もの体格差を持つサラマンダーに対して、臆するどころか、まるで使い慣れた遊具にでもじゃれつくかのような気軽さで飛びついて行ったのだ!

「きゃっほーい!おっきなトカゲさん、みーっけ!」と真っ先に飛び出したのは、やはり元気いっぱいの長女アンだ。

「私が一番乗りよー!」と叫びながら、その小さな体からは想像もつかない速度で突進していく。

「待って、アン!一人で突っ込んじゃダメだよ!」

 しっかり者の次女ドゥは、冷静にサラマンダーの巨体と周囲の地形を観察し、的確な指示を飛ばしながら後を追う。

 穏やかな三女トロワは、二人の姉の勢いに少し驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく頷くと、静かに、しかし素早く姉たちの後を追った。

 その瞳には、狩人としての確かな意志が宿っている。


 ぴょんぴょんと、楽しげにはしゃいでいるように、サラマンダーの巨体の周りを飛び回る姪っ子たち。

 その小さな体は、サラマンダーの荒れ狂う炎の爪や牙を、まるで戯れるかのように軽々とかわしていく。

 しかし、その実、彼女たちの動きは計算され尽くしていた。


 アンが持ち前のパワーでサラマンダーの注意を引きつけ、その隙にドゥが的確な指示を出し、トロワが目に見えぬほど細く、しかし鋼よりも強靭な我が魔糸を、サラマンダーの四肢や首筋に巧みに絡み付かせ、徐々に、しかし確実にその動きを鈍らせていたのだ。

 ドゥの指示は常に冷静で、トロワの糸捌きは繊細かつ正確だった。


「くっ…くくく…流石は、我が姉上、冥府の黒百合の落とし子たちよ。まだ魔獣としても成りたての幼子のはずなのに、もはや我から教わることなど何もない。立派な狩人として、その血統を証明しておるわ」

 我が幼き日、姉上にそれはそれは手厚く「可愛がられた」恐怖の日々が、脳裏に鮮明に蘇りかけそうになり、慌てて記憶の深淵に蓋をする。


 あの鍛錬は、思い出すだけでも背筋が凍る…。

 気がつけば、もはや炎喰のサラマンダーは、苦しげな呻き声を上げながら、魔糸によって地面に縫い付けられ、身動き一つ取れなくなっていた。

 姪っ子たちが、まるで砂場で大きな砂の城を完成させたかのように、誇らしげな顔でこちらを見上げ、「おじちゃん、すごいでしょ!」

「褒めて褒めて!」と、その宝石のように麗しい瞳で見つめてくる。

 特にアンは「私が一番活躍したもんね!」と胸を張り、ドゥは「みんなで力を合わせた結果よ」と冷静に状況をまとめ、トロワは「…うん、お腹すいたね」と小さく呟き、期待の眼差しをこちらに向けている。


 その純粋な眼差し越しに、我が未来視の魔眼が、数秒先の未来を鮮明に映し出した。

 ――縫い付けられたサラマンダーが、最後の力を振り絞り、その口から巨大な火炎球を吐き出す未来。

 そして、その火炎球が、無防備な姪っ子たちの一人に直撃する光景を。

「危ないっ!!」

  我は咄嗟に姪っ子たちの前に躍り出て、八層の多重結界を展開する。


 ドゴォォォンッ!!


 案の定、サラマンダーの起死回生の一撃は、我が結界によって完全に防がれ、爆炎と黒煙だけが虚しく空へと立ち昇った。

 予定調和。

 これで、このサラマンダーが我々の昼食となることが確定した。


 我は姪っ子たちに向き直り、今度こそ油断を咎めようとした。狩りとは常に死と隣り合わせであり、いかなる時も油断は禁物であると。

 だが、「おじちゃん、すごーい!かっこいーい!」という、姪っ子たちのキラキラとした、尊敬と憧憬に満ちた瞳を受けてしまうと、我の口から出たのは、厳しさとは程遠い、締まりのない言葉だけだった。 「あ、あぁ…こ、これくらい、おじさんにとっては朝飯前だからな!はっはっは!」

 緩むはずのない我が頬が、確かに緩んでいるのを感じてしまった。

 これでは威厳も何もあったものではない。


 一段落して、我は姪っ子たちに、この火山帯のどこかに隠されているであろう、サラマンダーの卵を探すように指示した。

 疑問符を浮かべる姪っ子たちに、我は得意げに説明する。

「ふふふ、よくお聞き。あのお前たちがが持ち帰った料理の『婆娑羅曼荼羅蜥蜴ばさらまんだらとかげ』というものはだな、実はこの炎喰のサラマンダーと、深いつながりがあるのだよ」

  おっ、どうやら聡い次女のドゥは、何か気が付いたようだな。

 得意げな顔で、姉のアンと妹のトロワに「つまりね…」と分かりやすく説明している。


「その通りだ、ドゥ。婆娑羅曼荼羅蜥蜴ばさらまんだらとかげという名前の中には、『さらまんだ』という言葉が入っておるだろう? これはな、サラマンダーの幼体が、『星屑茸』という特別なキノコだけを食べて成長した、特別な姿なのだよ」

 姪っ子たちの複眼が、好奇心と期待でますます輝きを増していく。

「そんな訳で、もしサラマンダーの卵が見つかれば…?」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、アンが「お宝探しだー!」と真っ先に駆け出し、ドゥは「待って、アン!手分けして探した方が早いよ!」と声をかけ、トロワは「…卵、見つかるといいね」と静かに微笑みながら、弾かれたように四方八方に散って、溶岩の陰や岩の割れ目を懸命に探し始めた。


 …残念ながら、今回は卵は見つからなかったようだ。

 しょぼしょぼと肩を落として帰ってくる姪っ子たちを、我は温かく出迎える。

「まあ、良いではないか。卵はまた次の機会に探すとしよう。それよりも、お待ちかねの昼食の時間だ。早速、このサラマンダーを調理するとしようか」

「おじさんの腕の見せ所だ!」とばかりに、我は魔糸を鞭のようにしならせ、巨大なサラマンダーの硬い鱗を剥ぎ、見る見るうちに解体していく。

 その手際の良さに、姪っ子たちから「わー!」「おじちゃんすごーい!」という拍手と歓声が上がり、我が心は言いようのない満足感で満たされる。


 さて、と叔父さんは考えた。

 今までの我の料理といえば、獲物を捕らえ、そのまま焼くだけ、という原始的なものであった。

 が、今日の叔父さん料理蜘蛛は違う!

 あの伊勢馬場の料理の衝撃が、我に新たなインスピレーションを与えたのだ!

 

 焼くのではない!

 逆に、凍らせてみてはどうだろうか?


 これぞ料理界のニューウェーブ!パラダイムシフト!ブルーオーシャン戦略!(どこかで聞きかじった人間の言葉が脳裏をよぎる)

 我は氷の属性を帯びた魔糸をサラマンダーの新鮮な肉塊に幾重にも巻き付け、まだ湯気すら立ち込めるサラマンダーの肉の熱を一瞬にして奪い去っていく!


 見える!


 我が未来視の魔眼には、この斬新な調理法によって料理界にその名を轟かせ、美食の探求者として新たな道を切り開く、輝かしい我が未来が!!

「出来上がりましたぞ!姪っ子たちよ!これぞ我が編み出した究極の一品、『サラマンダーの瞬間氷結造り』で御座います!」

  姪っ子たちの、期待に満ちた拍手が誇らしい。

「さぁ!新たなる味の扉を、今こそ開いてみようではないか!!」


 結果。


 なんかシャリシャリする、ひたすらに生臭いだけの氷の肉塊だった。

 姪っ子たちが、幼いながらも必死に言葉を選び、「た、食べられる味だよ、おじちゃん…」とアンが力なく笑い、「うん、新しい味だね…!次は火を通してみるのも良いかもしれないね」とドゥが冷静に提案し、「…トロワ、さっき見つけた木の実、一緒に食べる?」とトロワがそっと木の実を差し出してくれた。

 おじさん、今はその優しさが、溶岩よりも熱く、深淵の闇よりも深く、ちょっとだけ…辛い。




『サラマンダーの瞬間氷結造り』

 評価★☆☆☆☆(もっとがんばりましょう)


 火山帯に生息する炎喰のサラマンダーを、氷結属性の魔糸で瞬間的に凍結させた生肉の塊。

 革新的な調理法を目指した結果、生まれた悲劇の産物。

 見た目は涼しげな氷のオブジェだが、解凍が進むにつれて強烈な生臭さを放ち始める。

 食感はシャリシャリと舌先で溶け、血なまぐささが舌全体に広がる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ