018:蜘蛛少女トロワと【みんなで囲むごちそうポトフ】
018:蜘蛛少女トロワと【みんなで囲むごちそうポトフ】
あたしは、料理が好きだ。
…ううん、食べるのが、好き。
だから、ジャン=ピエールさんの隣は、あたしの特等席。
「トロワさん、あなたはこの茸を。その繊細な指先で、土の香りを損なわぬように」
ジャン=ピエールさんは、そう言ってあたしに仕事をくれた。
アンお姉ちゃんみたいに元気に鶏を磨けないし、ドゥお姉ちゃんみたいに上手に魚を捌けないけど、あたしは、こういう細かい作業は得意。
一つ一つ、土の匂いや、茸のふわふわした手触りを感じながら、丁寧にお掃除する。なんだか、楽しい。
伊勢馬場さんが運んでくるお野菜の匂い。
コンロの炎のぱちぱちって音。
お鍋がコトコト煮える匂い。
みんなが、おじちゃんのために一生懸命。
その全部が、なんだかキラキラして見えた。
そして、お料理ができた。
一皿目をおじちゃんが食べた時、ぴたって動きが止まった。
あたしたちは、息を飲んで見守った。
そしたら、おじちゃんの目が、ほんの少しだけ、大きく見開かれた気がした。
二皿目のスープを飲んだ時、おじちゃんの黒くてカサカサだった体が、ほんの少しだけ、ツヤっとした気がした。
三皿目を食べた時、いつもみたいに力強い顔つきが、ほんの少しだけ、戻ってきた気がした。
四皿目を食べた時、おじちゃんの体から、もわって、すごい力が湧いてくるのが見えた。
「おじちゃん、すごい!」「元気になってる!」「よかったね!」
一皿ごとにおじちゃんが元気になっていくのが、あたしにはわかった。
アンお姉ちゃんとドゥお姉ちゃんと一緒に、きゃいきゃい喜んだ。
おじちゃんも、あたしたちを見て、優しく笑ってくれた。
ああ、よかった。いつものおじちゃんだ。
そして、最後の一皿。
デザートを食べ終わったおじちゃんは、あたしたちと、ジャン=ピエールさんと、伊勢馬場さんを、一人ずつ、ゆっくりと見つめた。
その瞳から、キラキラした雫が、ぽろ、ぽろって、こぼれ落ちた。
「皆の者、本当に、ありがとう」
そう言ったのが最後だった。
おじちゃんのたくさんの瞳から光が消えて、体の綺麗な模様からも光が消えて、まるで大きな石の塊みたいに、足をぜんぶ綺麗に折り畳んで、動かなくなっちゃった。
「「王!?」」
ジャン=ピエールさんと伊勢馬場さんが、真っ青な顔で叫んだ。
二人は、おじちゃんが死んじゃったと思ったみたい。
アンお姉ちゃんも、また泣き出しそうになってる。
でも、あたしとドゥお姉ちゃんは、知ってる。
お母さんが教えてくれたことがある。
あたしたち蜘蛛は、体が大きくなる時だけじゃなくて、魂がすごく成長した時にも、脱皮をするんだって。
きっと、おじちゃんは、あたしたちや、人間さんたちとの冒険で、心がすごく大きくなったんだ。
ドゥお姉ちゃんが、あまり得意じゃない文字で、一生懸命、伊勢馬場さんたちに説明している。がんばれ、ドゥお姉ちゃん。
あたしは、それを見てたけど、なんだかお腹が、ぎゅるるーって鳴った。
そういえば、おじちゃんのために一生懸命お手伝いしてたから、あたしのご飯、まだだった。
あたしは、ジャン=ピエールさんの前にとてとてって歩いて行って、その服の裾を、きゅって掴んだ。
そして、お腹をぽんぽんって叩いて、見上げた。
あたし、お腹すいた。
ジャン=ピエールさんは、一瞬きょとんとしてたけど、あたしの顔を見て、すぐにふはって笑った。
その笑顔は、なんだかすごく優しかった。
「おっと、失礼いたしました。我が小さな助手殿の、大事なお食事を忘れるところでしたな。さあ、こちらへ。今、とびきり美味しいものをお作りいたしましょう」
ジャン=ピエールさんは、そう言って、あたしのためにまた厨房に立ってくれた。
でも、今度は今までみたいに難しい顔じゃない。なんだか、とっても楽しそう。
彼は、さっきまで使っていたお鍋に残っていた、あの黄金色のスープを火にかけた。
そして、お料理で使わなかったお野菜の切れ端や、川魚の身、あたしが掃除したきのこを、ぽん、ぽんって、お鍋に入れていく。
おじちゃんがくれた婆娑羅曼荼羅蜥蜴のお肉も、ほんの少しだけ残っていたみたいで、それも入れてくれた。
コトコト、コトコト。
洞窟の中に、また、すごく良い匂いがしてきた。
さっきまでの、ドキドキするようなすごい匂いじゃない。もっと、優しくて、あったかい匂い。
やがて、ジャン=ピエールさんはお鍋を火から下ろして、あたしたちみんなにお椀をくれた。アンお姉ちゃんにも、ドゥお姉ちゃんにも、伊勢馬場さんにも、そして自分にも。
そのお椀を前にして、伊勢馬場が両手を合わせて何か言っていた。
不思議そうに見ている私の視線を感じたのか、伊勢馬場が今の手を合わせてた事を説明してくれた。
「いただきます」って言うらしい。
料理になってくれた食材と、料理を用意してくれた人に感謝する言葉らしい。
うん、なんかすごく良い事な気がするので、私も真似てみた。
伊勢馬場がびっくりしたようにこちらを見て、そして、にっこりと笑ってくれた。
みんなで、動かなくなったおじちゃんを囲んで、そのスープを飲んだ。
…おいしい。
いろんなものの味がする。お魚の味、きのこの味、お野菜の味。全部がスープに溶けて、すごく優しい味がした。
疲れた体に、温かいスープが、じわーって染みていく。
あたしは、夢中でスープを飲んだ。アンお姉ちゃんも、ドゥお姉ちゃんも、伊勢馬場さんも、みんな、黙って、でも、なんだか嬉しそうに食べてる。
おじちゃんが起きたら、今日の冒険の話、いっぱいしてあげよう。
【みんなで囲むごちそうポトフ】
評価:★★★★★(心が温かくなる味)
フルコースで使われた、様々な最高級食材の切れ端や、出汁を取り終えた鶏ガラなどを、あの奇跡のコンソメスープで煮込んだ、一夜限りの賄い料理。 それぞれの食材が持つ物語と、作り手たちの優しい想いが溶け込んだそのスープは、どんな高級料理にも出すことは出来ない、深くそして温かい味わいを持つ。
緊張と感動に満ちた一日の終わりに、種族を超えた皆が、一つの食卓を囲んでこの料理を食べる。
それは、新たな「家族」の誕生を祝福するかのような、極上のひとときであった。