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深淵の蜘蛛の深淵レストラン  作者: カニスキー
第一章 深淵レストラン開店前夜
10/29

010:防衛長官グレンと【アマルガム饅頭】

010:防衛長官グレンとアマルガム饅頭


 鉄血関の作戦司令室は、統率を失った怒号が渦巻く坩堝るつぼと化していた。

「だから!徹底抗戦以外に道はないと何度言えばわかる!我らが鉄血関は、このアマルガム領の最後の盾だぞ!」

 第一騎士団長が、血走った目で吼える。彼の拳が叩きつけた地図盤の上で、魔獣を示す駒がカタカタと震えた。


「その盾が、枯れ木のように砕け散ると言っているのだ、団長!奴の魔力総量は、この砦の魔導障壁の許容量を遥かに超えている!怒らせたら最後、抵抗すらできずに討ち死にするだけだ!」

 参謀長が、神経質に眼鏡の位置を直しながら反論する。


「では、対話をしろとでも!?過去、魔獣を信じた”太陽の都”がどうなったか忘れたか!民は喰われ、土地は腐り、一夜にして地図から消えたのだぞ!」

「そもそも、なぜ奴は縄張りを捨ててまで、わざわざ整備された街道をこちらへ向かってくる?まるで意思を持った天災だ!目的が分からぬ限り、打つ手など…」


 堂々巡り。希望的観測と、過去のトラウマと、根拠のない憶測がぶつかり合い、不毛な議論だけが時間を浪費していく。防衛長官グレン・マクシミリアンは、その光景から意識を切り離し、腕を組んで固く目を閉じた。


(情報が…あまりにも、なさすぎる…)

 3日後には、規格外の魔獣がこの砦に到達する。一体、何のために?

(こういう時にこそ、このアマルガム領の守護者、神竜アマルガム様のお力添えを願いたいものを。もっとも、この大陸の統治体制は複雑だ。神竜たちは自らの名を人間の代行官に与え、統治を任せているに過ぎん。我らが主、奥様とて例外ではないのだ…)

 だが、その神竜からの反応は一切ない。奥様からも。

 打つ手なし。思考は袋小路だ。


「長官!」


 副官セラフィナの凛とした声。その一言が、荒れ狂う嵐の中心に生まれた凪のように、全ての音を吸い取っていった。

「…緊急の来客にございます。神竜アマルガム様からの、使者を名乗る者たちが」

 司令室の喧騒が、今度こそ完全に静まり返った。


 案内された使者たちを見て、グレンは言葉を失った。

 一人は、青年だった。黒髪はくせ毛で、褐色の肌を持つその体は、ひょろりとしていて、まるで戦いとは無縁であると物語っているかのようだ。仕立ての良いものではないが、清潔なシャツとズボン。その佇まいはどこまでも物静かで、二十代半ばとは思えぬほど深い憂いを帯びた瞳は、多くのことを諦めているかのように静かだった。

 これが、神竜様の使者?


 そして、もう一人――いや、一匹。

 青年の隣のソファにふんぞり返っている、小柄な猿。これがまた、とんでもないなりをしていた。上等な絹で仕立てたのであろう、異国風の派手な赤い服を身にまとい、その首や手首には、まるで罪人の拘束具のようにも見える、鈍く輝く金の輪がはめられている。


 その猿は、人間のように器用にカップを持ち、あろうことか、セラフィナが淹れたばかりの『悪魔の溜息』をズズッと音を立ててすすり、次の瞬間、雷に打たれたかのように硬直した。そして、「ブフッ!」と緑色の煙と共にその全てを噴き出した。

「キシャーッ!」

 猿はカップを床に叩きつけると、電光石火の速さでセラフィナの背後に回り込み、彼女の髪を飾る銀のかんざしをひょいと抜き取り、自らの頭に挿して得意げにポーズを決めた。キャッキャと甲高い声で喜ぶ猿と、それを捕まえようとする青年との間で、まるで追いかけっこのような、締まりのない攻防が始まる。


 グレンは、こめかみが引き攣るのを感じながら、重々しく口を開いた。

「…私が、この砦の責任者、グレン・マクシミリアンだ」

 青年は、猿の頭を軽く小突いてかんざしを取り返すと、深々と一礼した。

「ミハエル、と申します。こちらは…猿一号です」

「キィィッ!!」

 猿一号が胸を叩き、天を指差して抗議する。ミハエルはそれを完全に無視した。

「して、ミハエル殿。貴殿と神竜アマルガム様は、いかなるご関係で?」

 問いかけると、ミハエルはどこか遠い目をして、困ったように微笑んだ。

「この子が、アマルガム様の住処をうっかり壊してしまいまして…。その弁償のために、しばらくこき使われている身です」

「ウキキ!ウキキ!」と、猿が何故か得意げに胸を叩く。

 とんでもないことをしでかした自覚がまるでないらしい。


 ミハエルは、懐から一通の封蝋された手紙を取り出すと、一緒に持っていた温かな紙袋をグレンに差し出した。

「あ、これ、城下町で評判の肉まんです。お土産に、と思いまして。よろしければ皆さんと」

 差し出されたのは、湯気の立つ肉まん。その香ばしい匂いが、猿一号の鼻をくすぐる。猿の瞳がハート形に変わり、滝のようなよだれが口から溢れ出した。ミハエルが袋を開けた瞬間、猿一号は電光石火の速さで肉まんを一箱ひったくり、頬袋がはち切れんばかりに詰め込んで、恍惚の表情を浮かべている。

「…感謝する」

 グレンは、呆れながらも肉まんの袋と手紙を同時に受け取り、親書に目を通す。


 長々とした美辞麗句と、現状への罵詈雑言が書き連ねられたその手紙を、グレンは頭の中で要約した。

(…要するに、こうか。『我が縄張りに魔獣を入れるなど言語道断。いかなる犠牲を払っても撃退せよ。そのために、この切り札をくれてやる』…と。無茶苦茶だ)

 グレンは、手紙から顔を上げ、改めてミハエルを見た。静かで、穏やかで、どことなく疲れているようにさえ見える青年。その隣では、猿が二つ目の肉まんを強請り、ミハエルの髪を引っ張っている。


「ミハエル殿、一つ伺いたい。…神竜アマルガム様は、いつこちらへ?」

「さあ…」

 ミハエルは、困ったように首を傾げた。

「アマルガム様は今、遠方よりこちらへ向かっている最中だと聞いています。私も指示は手紙で受けているだけなので、正確な日時は…。でも、たぶん、そんなに遅くはならない、と…思います」

(本当に…本当に、この二人で、あの魔獣を…?)

 疑念と、わずかな共感。そして、他に選択肢のない絶望的な状況。

 グレンは、この掴みどころのない使者に、アマルガム領の命運を賭けるしかないことを悟った。



【アマルガム饅頭】

評価:★★★☆☆(一部男性陣からは★4以上の熱狂的な支持を得る)


 つぶれかけた店の主人が、お忍びで訪れた奥様エヴァ・アマルガムの姿に何故かインスピレーションを受け、勢いで開発した饅頭(二個セット)。

 皮のむっちりとした質感と、その中央に鎮座する突起部分の造形には、店主の並々ならぬ執念が込められており、一個一個、厳格な検品を経て店頭に並ぶという。

 味は普通に美味しい。いつの間にかアマルガム領の定番土産となりつつあるが、なぜか男性に渡すと、より一層喜ばれるという不思議な逸品。


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