絶景と帰還の小刀
「……こんな綺麗な光景が、あるんですね……」
ハルがそっと息を漏らすように言った。その声は、まるで花びらと一緒に風に乗るかのように、柔らかく空へと溶けていった。
「……ああ、そうだな」
アオミネも隣で静かに頷いた。
「ダンジョンの中は、こういうびっくりするようなもんがたまに眠ってる。だから、やめられねぇんだよな。冒険ってやつは」
ハルはふふっと笑って、空を見上げる。星々はまだ姿を見せていなかったが、天井のような空の色は、どこまでもやさしくて。
「……この場所、ツムギお姉ちゃんにも見せたいな」
ポシェットに触れながら、ハルは小さく呟いた。
それを聞いたアオミネが、ふと空を仰ぎ、にっと笑う。
「せっかくだから、もう少し近くまで行ってみるか。どうせなら、一番きれいな場所まで見ておこうぜ」
「……そうですね」
ハルは顔を上げて頷く。目に映る景色はただ美しいだけでなく、何かを語りかけてくるようで。
「もしかしたら、珍しい素材が見つかるかもしれませんし……」
アオミネが吹き出したように笑い、肩をすくめる。
「さすが採取系冒険者。感動より先に“素材”って発想が出るとは、筋金入りだな」
「え? そ、そうですかね?……」
ハルは照れくさそうに笑ったが、足取りは軽い。ふたりは再び並んで歩き出した。
丘を越えて進んでいくと、やがて視界に、小さなせせらぎの音が流れ込んでくる。
低く曲がりくねった細い小川が、淡い光に照らされて緩やかに流れていた。
その川辺には、草原とはまた違った種類の野花が咲いていた。地面には、薄く透けるような桃色の花が絨毯のように広がり、その合間を鮮やかな緑が柔らかく縁取っている。上を見上げれば、まばらに立つ細い木々の枝先にも、まるで桜のような花が揺れていた。
花、葉、小川——すべてが優しく調和していて、まるで幻想の中に迷い込んだような美しさだった。
「……すごいですね」
ハルは思わず立ち止まり、風にそよぐ花の群れをじっと見つめた。
アオミネはすぐ隣で、手を後ろに組みながら、ゆっくりと目を細める。
「圧巻だな。ダンジョンの中で、こんな景色を見るなんて思わなかったけど……不思議と、懐かしい気持ちになるな」
ふたりの足元を、小川の水音が静かに通り抜けていった。
「……木は無理でも、花だけでも持って帰れたらいいのに」
ハルが、風に揺れる淡い桃色の花々をそっと見つめながら呟いた。
アオミネは隣で静かに頷いた。
「俺も昔、持って帰ったことあるんだ。ダンジョンの花を外で育てようとしてさ。でも、どれもすぐダメになっちまった。たぶん、魔力の環境が違うんだろうな」
それでも、と彼は花の一輪を手に取り、透かすように眺めながら続ける。
「素材としてなら、持って帰れるかもな。乾かして粉にすれば、色粉として使える。創舎で染色に使ってみたら、面白いんじゃないか?」
「……あっ、それ、すごくいいですね!」
ハルの顔がぱっと明るくなる。けれど、すぐに少しだけ表情を曇らせた。
「できれば、花の形のまま、持って帰れたらもっと嬉しいんですよね……」
そして、ぽんっと手を打つように、何かを思いついたように目を輝かせた。
「……あ! 押し花みたいにして、持って帰ってみます!紙に挟んで乾かしたら、もしかしたら形、保てるかも!」
「なるほどな」
アオミネが口元をゆるめ、ほんの少し笑う。
「さすがだな、ハル。やっぱり“持って帰る”って発想が、職人肌だよ」
「えへへ……僕はPOTEN創舎の素材担当ですから」
ハルは照れくさそうに笑いながら、そっとしゃがみこみ、ひとつ花を摘んだ。
その花は、薄紅の光を透かして、静かに、優しく揺れていた。
「……俺も手伝うよ」
アオミネがそう言って、腰を落とす。
「せっかくだし、いっぱい持って帰ってやろうぜ。ツムギお姉ちゃんのためにな」
「はいっ!」
ハルは笑顔で頷き、胸元からひと振りの小刀を取り出した。
手のひらサイズの細身の刃は、繊細な彫り模様が刻まれた銀色の鞘に収められている。
カチ、と静かな音を立てて小刀を抜くと、刃がやわらかく月光を反射した。
「それ、いい刀だな」
アオミネが興味深げに覗き込む。
「軽そうだし、切っ先の曲がりも丁寧に作られてる。……使いやすそうだ」
「はい、これ、僕の町で精錬屋さんをやってる方に作っていただいたんです」
ハルは花の茎をそっと刃先で切りながら答える。
「“帰還の小刀”って言って、採取用なんですけど、魔力も通せるんです。護身用でもあるんですよ」
アオミネがふと手を止めた。
「……まさか、それって“ガウス”って名乗ってる爺さんじゃないか?」
ハルは驚いて顔を上げた。
「えっ、知ってるんですか!?」
「知ってるも何も、俺、いつも世話になってるぞ」
アオミネは肩をすくめながら、にやりと笑った。
「っていうか、確かお前の父親も、あそこの鍛冶場に入り浸ってただろ?」
その言葉に、ハルはぽかんとした顔になり、少し考え込んだあと、ぽつりと呟いた。
「……拾い物を、ガウスさんのお店で引き取ってもらうようになった頃、ガウスさんが父も来ていた話をしてくれたんです……」
自分の記憶の糸をたどるように、ゆっくりとその言葉を繋いでいく。
「でも、“入り浸ってた”なんて……初めて聞きました」
思わず小さく笑ってしまう。そんな一面、想像もしていなかったのだ。
アオミネはその反応に満足げに頷きながら、手にした花をぽん、と広げてあるシートの上に乗せた。
ハルもそれにならって、そっと摘んだ花を並べながら、手元の小さな小刀を眺めた。
「……実はこれ、ガウスさんが、僕に内緒で作ってくれたんです。ある日、ひょいっと手渡されて。“何かあった時はこれを使え”って……」
ハルは小刀を手に取り、刃先を少し傾ける。そこに反射した光が、摘んだ桃色の花びらをやわらかく照らした。
「ぼくには、まだちょっともったいないくらいですけど……」
そんなハルの言葉に、アオミネがふと目を留めた。小刀の柄に埋め込まれた、小さな半透明の石が目に入る。
「……そこについてるの、帰還石か?」
「はい。そうなんです」
ハルは少し照れたように笑いながら、小刀をそっと掲げて見せた。「最初から付けてくれてて……あんまり目立たないようにしてくれたんです」
アオミネはその様子を静かに見守りながら、ぽつりと呟いた。
「……よっぽど、ハルのことが可愛いんだな」
その声はからかいではなく、どこか温かく、優しい響きを帯びていた。ハルは驚いたように目を瞬き、少し照れたように笑った。
「似合ってるよ、お前に」
アオミネが軽く微笑んだ。
「持つ人に似合ってる武具って、見ればわかるもんだ。大事にしてやれよ」
「はい!」
ハルの声は、風に溶けるように軽やかだった。
ふたりはまた黙々と、桃色の花を摘んでいく。
形も大きさもそれぞれ違うが、どれもどこか優しい雰囲気を纏っていた。
明日も23時時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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