ダンジョンの主の宿命
ハルは、しばらく紋章をじっと見つめていた。どこか神聖で、けれど不思議と温かさを感じる模様。それが刻まれたアオミネの腕と、彼の言葉の一つひとつが、じんわりと胸の奥に染み込んでいく。
「……すごいです」
ハルはぽつりとつぶやいた。言葉にするのが少しだけ難しい感情を、どうにか伝えたくて。
「“対等でいたい”って、そんな風にテイムする人、聞いたことないです。でも……きっと、それが一番、強くて優しいやり方なんだと思います」
アオミネの横顔を見上げるその瞳は、まっすぐで、どこか憧れを帯びていた。
「だからクロさんも、ずっと一緒にいるんですね。……すごく、わかる気がします」
そして、少しだけ口元を緩めて言った。
「僕も……そういう風に、誰かと一緒にいられたらいいなぁ。命令とかじゃなくて、お互いが“いいな”って思えるから、一緒にいる。そういう関係って、すごく素敵です」
ハルがそう呟いた瞬間——背中のポシェットが、ふるりと小さく震えた。
「……!」
驚いてポシェットを、見ると、ポシェットの留め具がかすかに揺れ、まるで共鳴するように、かすかな光を放っていた。
ハルは胸の奥がふわりと温かくなるのを感じながら、そっとポシェットを撫でた。
その様子を横目で見ながら、アオミネが小さく笑った。
「ハルにも、いつかきっと――ぴったりの相棒が見つかるさ」
「……え?」
「優しいからな、お前は。きっと困ってる魔物を放っておけなくて、気づいたら何匹も連れて歩いてるタイプだろ」
アオミネは冗談めかして言いながらも、どこかあたたかな声音だった。
「そんで、あっちで困ってる子には餌をあげて、こっちの子には毛布をかけて……気づいたら、自分の荷物より多くの世話道具を持ち歩いてる未来が見えるな」
「うわぁ……それ、ちょっと楽しそうかも……」
ハルは苦笑しながらも、どこか嬉しそうに笑った。
そのまましばらく歩きながら、ふと何かを思い出したように、ハルが顔を上げる。
「……ねえ、アオミネさん。もしかして、クロさんがいた場所って、ダンジョンだったのかもしれないですよね?」
その問いに、アオミネは一瞬だけ足を止め、空を見上げた。
「……実は、俺もそうじゃねぇかと思ってるんだよな」
「やっぱり……」
ハルは頷きながら続けた。
「だから、洞窟の外に出られなかったのかなぁって。ダンジョンの中のモンスターだったから」
「だよなー」
アオミネはぽつりと漏らし、口の端を上げてくすっと笑った。
「でもな、あの洞窟がダンジョンだったとしたら、手を抜きすぎだろってくらい狭かったんだよな。あんな場所にボスがひとりって、どんなバランスだよ」
ハルも思わず笑い声を漏らす。アオミネは、笑いながらも続けた。
「あいつにそのこと聞いたことがあるんだよ。“なんであそこにいたんだ?”ってな。そしたら——“気がついたら、あそこにいたでござる。外に出られなかったでござる”ってさ」
「……あはは、クロさんらしい……」
「だろ?」
アオミネは草をかき分けながら、少しだけ声を落とした。
「案外、外に出たいって願ってるダンジョンモンスターも、少なくねぇのかもな。俺たちが思ってるより、ずっと」
「……そう考えると」
ハルは歩みを緩め、足元の草をかき分けながら、ふと空を仰いだ。
「ある日突然、ダンジョンモンスターとして生まれたり……ダンジョンマスターとして異世界から転移してきた人って、どんな気持ちなんだろう、って思っちゃいます」
「自分の意思じゃなく、気づいたらそこに“いた”って感じか」
アオミネも同じく足を止め、静かに空を見上げる。
「それって、たしかに……孤独だよな。自分が何者かもわからず、目的も与えられず。ただそこにいるだけ。しかも、モンスターとして見られるってのは……きついぜ」
ハルはそっと、胸元のポシェットを撫でた。
その感触に、どこか心が落ち着く気がした。
「それでも、誰かと出会って、想いを通わせて、一緒にいられたら……そういうのって、奇跡みたいなことなんですね」
「……奇跡、か」
アオミネの口元がわずかに緩む。
「かもな。クロと出会えたのも、ハルが今ここにいるのも——何かしらの“縁”ってやつかもしれねぇ」
しばらく風の音だけが続いたあと、アオミネがぽつりと呟いた。
「それにしても、このダンジョン……やっぱり不思議だよな」
軽く頭の後ろをかきながら、ふと空を見上げる。
「誰が、何のために作ったのか。もし、そいつの気持ちを考えながら進んでいけたら——何か、ヒントになるかもしれないよな」
ハルはその言葉にうなずきながら、目を細めて草原の向こうを見つめた。
「本当に、そう思います」
風に揺れる草の音に紛れて、静かに続ける。
「たとえば、このセーフティゾーンの風景を作ったとき、その人がどんな気持ちだったのか……孤独だったから、夜空を見て、癒されたかったかなって」
「魔導士の部屋の本棚だって、タイトルを今思い出すと、なんだか“魔物を進化させて友達にしたかったのかな”って感じがしたんです。あんなにたくさんの本を並べて、本当はハリボテじゃなくて本物の本が欲しかったのかもしれないし……」
ハルはくすりと笑い、手をポシェットの上に添えた。
「魔剣の本もそうですよね。ダンジョン産のレアドロップで魔剣を作りたかったのかも……なんか、全部が“誰か来てくれるのを、ずっと待ってた”みたいな、そんな雰囲気があるんですよね」
そして、草の上の野花を触りながら、少し首を傾ける。
「だから、作った人って……寂しがりやの、男の人だったのかなぁ、なんて」
アオミネはその言葉に少しだけ眉を上げ、次の瞬間、ふっと吹き出した。
「……ははっ。そりゃまた、随分ピンポイントな想像だな」
それでも否定しないあたり、彼の表情にはどこか納得の色があった。
気がつけば、足元の草原にはぽつりぽつりと桜色の花が混じり始めていた。柔らかな花弁が風に揺れ、やがて草の姿は減り、薄い桃色の花々が優しく地面を覆っていく。
空はいつの間にか淡く色を変え、夕暮れ時のような赤紫の光が、あたりを静かに包んでいた。どこからか、風に乗って甘い香りが届いてくる。
ふと、アオミネが立ち止まる。その視線の先——小高い丘の向こうに、まるで桜の花びらのカーペットのような野花が一面に、広がっていた。
その光景に、ハルは思わず息をのむ。
風がそっと吹き抜ける。桜色の花びらがひらりと舞い、ふたりの肩をすり抜けていった。
言葉もなく、ただその光景に見入る。
——それは、静かで、やさしい景色だった。
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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