まやかしの部屋の鍵
アオミネ、クロ、そしてリュカの三人は、部屋の一角に雑然と積まれた素材棚に張りついたまま、あれこれと試すように手を伸ばしていた。瓶、箱、布きれ、金属片──見た目は多種多様だが、どれも触れた瞬間にふわりと光を放ち、まるで幻のように消えてしまう。
「やっぱり……ほとんどが、触れただけで消えるな。幻影ってやつか」アオミネが低く呟き、棚の奥を見やる。
「されど、手当たり次第というのも……効率がよいとは申せませぬな」
クロは、軽やかに跳ねて棚の上段へと身を移した。
「とはいえ、やってみねば始まらぬ。探すほかござらぬな」
そのときだった。
「……あっ! これ、触っても消えない!」と、リュカが声を上げた。
三人の視線が、一斉に彼の手元へと集まる。リュカの手の中には、小さな瓶──淡く水色に光る液体が半分ほど入った、ポーション容器のようなガラス瓶があった。銀色の細い金具でしっかりと蓋がされており、どこか品のある質感が見て取れる。
その声に、アオミネとクロが一斉に振り向いた。
「ふむ……やはり、幻ばかりではなかったか」
クロは慎重に跳ねながら棚へ近づき、別の素材に触れてみる。
「……これも、だめでござるな。手に取った瞬間、幻のごとく消えた……。だが、あの瓶は――確かに“在る”」
「他にも、実体があるものが隠れてるかもしれないな。探してみよう」
アオミネが声をかけ、三人は周囲の棚に並ぶ素材のひとつひとつを、注意深く調べ始めた。
「うわ、こっちの粉……ふわって消えた。惜しいっ」
リュカはそう言いながら、笑顔のまま次の棚へ移動していく。いたずらっぽい瞳が、ひときわ楽しげに輝いていた。
「手分けして、引き続き探索を――」
クロは静かに跳ね、棚の縁へと身を移した。つぶらな金の瞳が、周囲の気配を鋭く読み取っている。
三人は、まるで宝探しのように、それぞれの棚へ手を伸ばし始めた。瓶の表面をなぞり、栓を押し、容器の重みを確かめながら、隠された“本物”を探していく——そんな動きが、部屋の中に静かな熱気をもたらしていった。
一方その頃、ハルは静かに植物棚の前に立ち、何かに気づいたように目を細めていた。
整然と並んだ植物分類の棚は、左から順に、〈野草〉〈薬草〉〈毒草〉〈魔草〉と、とても丁寧に整理されている。その並びの規則正しさには、どこか人工的な気配すら漂っていた。
——けれど。
その端に、ひときわ異質な一冊が紛れ込んでいることに、ハルは気づいた。
装丁は古く、背表紙には、読み取りづらい筆致でこう記されていた。
『歪時空干渉術における多重因果操作と収束転位』
(……? なんだこれ、植物と関係なさすぎる……)
タイトルの意味はほとんど理解できなかったが、明らかに周囲の分類からは外れた一冊だ。
それを見つめながら、ハルはごく自然に手を伸ばしかけて——ふと、指を止めた。
(なんとなく……これは、まだ触ってはいけない気がする。みんなに確認してからの方がいいかもしれない)
根拠のない直感が、彼の動きを制した。
「みんな……ちょっと、こっち見てくれる?」
ハルは静かに呼びかけ、植物棚の前にみんなが集まってくるのを待った。
「ここに、ちょっと気になる本があるんだ。でも……なんとなく、勝手に触っちゃいけない気がして……」
その言葉に、ロザが穏やかに頷く。
「それは正しい判断よ。さすがハル君ね。それにしても——“時空干渉による領域歪曲の誘発理論”なんて、本棚の中でこの一冊だけ、明らかに異質すぎるわ」
彼女は本の背表紙を指先でなぞるように見つめ、ふっと目を細めたかと思うと、そのまま柔らかく笑みを浮かべた。
「カイルはね、見つけたものをすぐに触ってしまって、よくいろんな“事件”を起こしていたわ。あのときも……ふふ、思い出すだけで、頭が痛くなるわね」
呆れたような声ではあったが、その表情にはどこか懐かしさと、楽しげな色が滲んでいた。
「……私がワナ感知を持っているのを知っていたはずなんですけどねぇ」
横から静かにサイルが呟き、肩をすくめるように微笑んだ。
「では早速、せっかく気づいてくれたんです。ちょっと、私が確認してみましょう」
サイルは歩み寄ると、棚の前にしゃがみ込み、慎重にその一冊を目で追った。
「……確かに、何か危うい気配は感じますね。すぐに触れずにいて正解でした。もう一度、この部屋を見直してから考えましょう」
「サイルさんが罠感知できるなら、部屋全体を見てもらえばいいんじゃないんですか?」
リュカがやや素直に、だが期待を込めて尋ねた。
しかし、サイルは少し困ったように笑った。
「残念ながら、私の罠感知は“万能”というわけではないのですよ。発動の直前でないと分からなかったり、“何かおかしい”という曖昧な反応だったり……。ですから、しっかり自覚してからでないと意味がなくて……情けない話ですが」
「えっ、でも、それでも十分すごいですよ」
ハルが慌ててフォローを入れると、サイルは小さく頷き、再び本に視線を戻した。
その後、全員でもう一度部屋をくまなく調べ直してみたが——
手がかりらしい手がかりは、リュカが見つけた水色に光る液体と、ハルが見つけた一冊の奇妙な本だけだった。
「……やっぱり、他に実体のあるものは見つからなかったね」
リュカが手のひらで瓶を軽く回しながら呟く。
部屋の棚に並ぶ無数の本と素材は、相変わらず手を伸ばせば幻のように消え、目の前にありながら、実際には触れられない——そんなまやかしのような空間が広がっていた。
「となると、やはり……あの本が“鍵”かしらね」
ロザがゆっくりと視線を本棚へ戻す。
「では……取り出してみましょうか」
ハルが小さく息をのむ。視線の先には、あの本——《歪時空干渉術における多重因果操作と収束転位》と記された、ただ一冊の異質な背表紙。
静寂が満ちる。
その中心にある一冊の本は、まるで誰かが「見つけてくれるのを待っていた」かのように、そこに在った。
(何が起こるかは、わからない。でも——)
ハルはそっと手を伸ばす。
そして、指がその背に触れた——
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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