洋館の内部と回復魔法
「回復魔法の肝は、“イメージすること”です」
サイルは穏やかに答えながら、次々と仲間の傷にヒールをかけていく。温かい光が滲むたび、擦り傷や打撲がみるみるうちに癒えていった。
「前に講習で“観察する訓練”をしましたよね? あれは、毎日続けていますか?」
「はい。毎日、時間を見つけて……いろんな人を見て、悪いところを観察する訓練はしてます!」
「なら、もうきっとできるはずです」
サイルの声に迷いはなかった。ゆっくりと、ハルの方に身体を向けて続ける。
「次のステップは、“どう治すか”を考えることです。たとえば……切り傷だったら、魔法やポーションを使わない場合、ハル君ならどう直しますか?」
「……えっと。傷口を消毒して、ガーゼを当てたり……ひどい場合は、縫って閉じたりします」
「そうです。それをそのまま、魔法で“やるつもり”でイメージしてみてください。ひと工程ずつ順番に、手を動かすように――そうすれば、自然と回復の魔力が流れていきます」
サイルの指先に集まる光は、穏やかで、まるで静かな川の流れのようだった。
「体の中の不調であれば、悪いものを“外に出す”イメージや、“消し去る”イメージなんかも有効です。ただ、呪いや毒の類いは“状態異常”に近いので、回復魔法だけでは難しいこともありますが……」
ハルは黙って頷いた。自分の回復魔法の適性は低い。初心者講習で、試してもうまくいかなかった記憶もある。
けれど、出来るところまではやってみよう。あの光を、自分の手でも生み出してみたい。
「僕、適性は★1って言われたけど……それでも、頑張ってみたいです」
すると、サイルはふふっと微笑んだ。
「ハル君。実は、私も回復魔法は最初、★1だったんですよ」
「……えっ?」
「ええ。冒険をするうちに、少しずつ経験を積んで――今は、ようやく★4まで上がりました」
静かに、しかし確かな声でサイルは言った。
「適性が低くても、続けていれば少しずつ上がります。ある日突然、何かのきっかけで伸びることだってあるんですよ。焦らず、楽しんでくださいね」
「はい!」
ハルは元気よく返事をすると、軽やかに駆け足でリュカの元へ向かった。仲間と肩を並べて進む姿は、どこか誇らしげにも見える。
その背中を見送りながら、サイルはそっと目を細め、誰に聞かせるでもなく呟いた。
その背中を見送りながら、サイルはそっと目を細め、独りごとのように呟いた。
「……努力は、ときに才能を上回るものですが……努力を続けられるというのも、またひとつの才能なのですよね……」
その声は静かに、どこまでも穏やかに空気に溶けていった。
そこへ、アオミネがゆっくりと近づいてくる。
「……楽しみな子たちだな」
そうぽつりと呟いてから、ちらりと館の扉の方を見やった。
「さて、行こうか。……このダンジョン、ちょっと手こずりそうだしな」
アオミネがサイルに軽く目を向けると、彼はどこか楽しげに微笑んだ。
「ええ。久しぶりに、骨のあるダンジョンで……楽しいですね」
サイルはローブの裾を払うようにして、一歩踏み出す。
仲間たちの背中を追いながら、彼らもまた、静かに洋館の中へと足を踏み入れていった。
そこは、しんと静まり返った空間だった。
薄暗く、ひんやりとした空気が流れ込む広間。その中心には長いテーブルが置かれ、周囲の壁は、高い天井まで届く本棚で囲まれていた。足元には分厚い絨毯が敷かれており、踏み込むたびに音を吸い込むように沈み込む。
天井からは、かつては豪奢だったであろうシャンデリアが吊り下げられているが、今は魔力の明かりがかすかに灯るだけで、周囲は薄明かりに包まれていた。
「……誰かが、ここで長い間、何かを研究していたような……」
ロザがそっと呟くように言った。
机の上には、壊れかけた魔道具の残骸、使い古されたインク壺、色褪せた羊皮紙の切れ端などが無造作に置かれている。一見して混沌としているようでいて、どこか整った印象もある——まるで、“それらしく見せかけた空間”のように。
「変な感じ……ホコリもないし、崩れてもない。誰も住んでないのに、ちゃんと整ってる気がする」
ハルが小さく呟くと、サイルも頷いた。
「ええ、不自然なほどですね。ここが“誰かの研究室だった”というより、“研究室のように設計された空間”だと考えるべきかもしれません」
クロはぽよんと跳ねながら、壁際を見上げた。
「にしても……本棚の数が多いでござるな。何か仕掛けでもあるのやもしれぬ」
しん、とした空間に、風の音も聞こえない。
仲間たちはそれぞれ慎重に歩を進め、周囲を確認し始めた。どこかに“突破の鍵”があるはず——そんな予感が、空気に混じって漂っていた。
「おっ……!」
リュカが思わず声を上げたのは、壁一面の本棚の中でも、ひときわ古びた背表紙を見つけた時だった。
「“封呪魔剣と血契の記録”……! うわ、なにこれ、絶対面白いやつ!」
興奮気味に手を伸ばし、本を引き抜こうとした——が。
すぽん、と、空っぽの中身が手前に倒れてくる。
「……は?」
リュカが呆然とする間に、背表紙だけの板がふわりと揺れて床に落ちた。
「ハリボテ!? え、うそ……いや、でも……このタイトルも、こっちも……!」
隣の棚から「“黒き霊剣と七つの魂”」「“剣に選ばれし者たちの黙示録”」など、いかにも男心をくすぐるタイトルを次々に見つけては、手を伸ばしてみるが、どれもこれも中身はなく、見事にハリボテばかり。
「くっそ〜……全部ハリボテかよー!」
がっくりしながらも、リュカはその場にしゃがみ込んで、ニヤニヤと背表紙を眺め始める。
「でもさ、タイトルだけでも面白いな……“漆黒に囁く断罪の剣”……ぷっ、誰が考えたんだよこれ……」
なんだかんだ言いながらも、読み上げているうちに少しずつテンションが戻ってくるリュカに、周囲の仲間たちもくすりと笑みをこぼした。
そんなリュカの様子を横目に、アオミネとクロは部屋の反対側——植物関係の本が集められた一角へと歩を進めていた。
「……こちらは、薬草や毒草の研究か」
アオミネが立ち止まり、棚の背表紙を眺める。
「“楽しい毒草ライフ”……“見た目は同じ・効き目は真逆の草たち”……“間違えると死ぬ草の図鑑”……」
「……確かに、これはそそられるでござるな」
クロも小さく呟きながら、別の棚に目をやる。
「“調合の美学・腐敗寸前がベストタイミング”……“痛覚を操る草の系譜”……“幻覚誘発性植物と対話する方法”……」
「ふむ、実に……研究者の癖が強いタイトルだな」
アオミネが一冊に手をかけて引き抜こうとした。
——だが、そこにあったのも、やはり“中身のない板”だった。
「……こちらの本もすべて、ハリボテのようだな」
棚を軽くたたいてみると、中からは軽い空洞音が返ってくる。
「つまり、本そのものはただの小道具……知識を得るための場所ではない、ということか」
「うむ……謎を解くための“舞台装置”でござろうな」
クロがぽよんと跳ねながら、隣の棚に移っていく。
アオミネが再び棚に目をやり、ふと鼻で笑った。
「……それにしても、どのタイトルも妙にクセが強いな。“幻覚誘発性植物と対話する方法”? 笑わせにきてるとしか思えん」
クロもぴょこんと跳ねながら、「“腐敗寸前がベストタイミング”など、狙っておるとしか思えぬでござるな」と、ぽそり。
「こうも一貫して変な本ばかり並んでるとなると……やはり、これは“自然に残された研究の痕跡”というより、“誰かがそれらしく作った人工物”の可能性の方が高いな」
アオミネはそう結論づけながら、周囲に目を細めた。背後の棚にはまだまだ奇妙なタイトルが並び続けていた。
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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