第ニ層の幕開けと冒険者の地図
一行は静かに頷き、それぞれの装備を確かめながら、階段へと足を踏み入れた。
最初の数段は、ごく普通の石造りだった。けれど十段、二十段と降りるにつれ、まるで空気の層そのものが変わるような、妙な感覚に包まれていく。
——ふわり。
重力の向きが曖昧になるような、わずかな浮遊感とともに、視界が一瞬、淡く揺れた。
「……今の、なんだ?」
リュカが眉をひそめる。
「転移型、か」
サイルが低く呟いた。
「てんいがた……?」
リュカが首をかしげる。
「ふむ、リュカ殿。転移型とはすなわち——階層をまたぐたび、空間ごとまるごと別の構造に置き換わるダンジョンのことにござる」
クロが、頭の上でぴょこりと跳ねながら、言葉を続けた。
「地形、魔力の流れ、気候、さらには敵の性質までが変化するため、前の階層の常識が通じぬ場合が多い……油断すれば、命取りとなるでござるよ」
「……なるほど」
リュカがわずかに息を呑む。ハルもごくりと唾を飲み込み、背筋を伸ばした。
やがて、階段の終わりが見えてきた。
最後の一段を踏みしめた瞬間——
濃密な緑と、湿った熱気が全身を包み込む。
「……ジャングル……?」
ハルが思わずつぶやいた。
そこは、見渡す限りの熱帯林。頭上には広がる濃い葉の天蓋、足元は絡まるようなツタと苔に覆われている。遠くの空には、ぼんやりと光源のようなものが浮かび、まるで巨大な温室の中に迷い込んだかのような景色だった。
そして——
茂みの向こう、わずかに開けた視界のずっと先に、それはあった。
朽ちかけた鉄柵に囲まれ、ツタに覆われた建物。木の根が壁を割り、苔が屋根に広がるその姿は、かつて洋館だったものの残骸のようにも見える。
「……あそこが、今回の“核”かもしれないわね」
ロザが、慎重に目を細めながら呟いた。
ハルは小さく息を吸い、視線を周囲へ巡らせてから、仲間たちを振り返る。
「えっと……まずは、何からしますか?」
アオミネが腕を組み、静かに答える。
「マッピングからだな。まずは、地形を把握しなければ始まらない」
「君たちは、いつもどのようにマッピングしているのですか?」
すぐ後ろから、サイルが興味深げに問いかける。
リュカとハルは顔を見合わせてから、リュカが一歩前に出て答えた。
「僕たちは、分かれ道に出たら必ず地図に印をつけて、目印になりそうなものを見つけたら、それも一緒に記録するようにしてます」
「たとえば、大きな岩とか変わった木とか。色の違う花が咲いてたら、それもチェックしてます!」
ハルも楽しげに補足する。
その言葉に、サイルは目を細めて微笑んだ。
「ええ、それはとても良いやり方ですね。印象に残った景色や特徴を、自分の言葉で記録していくことは、大切な技術です」
そう前置きしつつ、少し真面目な調子で続けた。
「ただ……今回のように、誰も深く踏み入れたことがない可能性のあるダンジョンでは、もう一段慎重に進んでみましょうか」
彼は腰のポーチから、小さな魔導具を取り出す。
「こちらは“魔導方位磁針”です。常に同じ方向を指すように作られています。
一見すると真っ直ぐな道でも、気づかぬうちに少しずつ角度がずれてしまうことがあります。定期的に方向を確認するだけでも、迷いにくくなりますよ」
リュカとハルが、興味深そうに頷く。
「それと、地図には“自分たちのルール”で記号を決めてみると良いでしょう。たとえば、上り坂や下り坂、風の流れや気配の変化など……どんな些細なことでも、積み重ねていけば、後にその地図が大きな助けになることがありますよ」
サイルは少しだけ声を落としながら、静かに言った。
「ダンジョンの中には、時間によって地形が変わる場所もございます。常識に頼りすぎず、ご自身の五感を信じること……それが、深部から無事に帰還するための大切な鍵になりますよ」
「もちろん、すでにマッピングされている階層であれば、多少値が張っても地図を購入された方が安全でしょう。情報は、何よりも強い味方になりますから」
そう語ったサイルは、腰のポーチに手を伸ばすと、小さな銀色の装置をふたつ取り出した。それは手のひらに収まるほどのコンパスのような魔導具で、中央には淡い光を帯びた魔法陣が刻まれている。
「……こちら、ギルドからの支給品です。魔導方位磁針。ハルさんとリュカさんに、どうぞお持ちください」
「えっ、いいんですか……!?」
リュカが目を丸くしながら受け取り、ハルも思わず声を上げた。
「はい。おふたりには、今後も長く冒険を続けていただくことになりますから。これは、道に迷わないための“最初の贈り物”です」
サイルは柔らかく微笑みながら、ふたりの手に小さな魔導具を手渡した。コンパスのようなそれは、金属光沢のある円盤に、魔導石の針が静かに浮かんでいる。リュカとハルは目を丸くして、それぞれを受け取った。
「これが……魔導方位磁針……」
「うわあ、かっこいい……!」
リュカの目がきらきらと輝く。その隣で、ハルも真剣な表情で針の動きをじっと観察していた。
「それでは、始めましょうか。まずは、現在地を基準に方角を測りましょう。マッピングは、記録と記憶を結びつける作業ですからね」
サイルの穏やかな指導のもと、ふたりは慎重に地図の描き方を学び始めた。近くでクロが跳ねながら、さながら師範のような口調で「記号は己流でよいが、他人にも伝わるように書くのが道理」と口添えをする。
「じゃあここは、ちょっと傾斜があるから——『坂マーク』つけとこう!」
「風が抜けてくるから、ここは風印つけて……」
ふたりの手元には、数日前に町の道具屋で購入した《アークノート》があった。魔力でページが補充される特製の記録帳だ。ペンは滑らかで、どんな地形でもしっかり書ける。ハルはすでに使い慣れた様子で、アイコンや矢印を器用に描き込んでいく。
「アークノート、やっぱ買っておいてよかったよ!」
「うん、これなら長期戦になっても安心だ」
ページが自動で増え続ける不思議なノートに、ふたりの記録はどんどんと蓄積されていった。未知の地形、微かな違和感、風の向きや気配の変化——
新米ふたりの冒険者が描く、世界のかけらが、少しずつ地図という形を取り始めていた。
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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