別れの時
朝。
窓の外から、鳥のさえずりが聞こえていた。
淡い光がゆっくりと差し込み、山小屋の中をやさしく照らしていく。
ハルが目を開けたとき、囲炉裏の火はすでに落ちていて、室内には草と土の匂いがほんのりと残っていた。
まだ眠気の残る体を起こし、布団を畳んでいると、外の扉が静かに開いた。
「……起きたか。……よく眠れたか?」
入ってきたのは、土で染まった手をしたおじいさんだった。
肩に小さな籠をかけ、中には今しがた摘まれたばかりの薬草がみずみずしく揺れている。
「おはようございます。はい、おかげさまで……すごく、よく眠れました」
ハルが笑顔で返すと、おじいさんはうん、と小さく頷いて、手を洗うために奥の水場へ向かった。
外からは、朝の空気を震わせる風の音と、畑の草を揺らすかすかな葉音が聞こえていた。
ハルが笑顔で返すと、おじいさんはうん、と小さく頷いて、手を洗うために奥の水場へ向かった。
外からは、朝の空気を震わせる風の音と、畑の草を揺らすかすかな葉音が聞こえていた。
「……朝飯だ。冷める前に食え」
そう言って出された朝食は、昨夜と同じように素朴なもので、でもどこか華やかさがあった。
焼いた根菜、蒸した小さな実、彩りのある葉を和えたもの。見たことのないものばかりだが、香りはどれもやさしく、懐かしさすら感じる。
ハルは箸を手に取り、一口。
「……!? あっ……これ、すごくおいしいです……!」
見た目の奇妙さとは裏腹に、口に入れた瞬間に広がる味わいは驚くほどまろやかで、どこか元気が湧いてくるような感覚すらあった。
もうひと口、さらにひと口。食べ進めるほどに、体がぽかぽかと温まってくる。
「なんか……力が、みなぎる気がするんですけど……」
思わずそう言うと、おじいさんは顔を上げ、ふふん、と小さく笑った。
「……当然だ。ここで使う野菜は、すべてわしが育てたものだ。薬効のあるものばかりを選んである」
「えっ、ほんとに!?」
「……そこの葉は、魔力の流れを整える。あの実は、内から体を温める。……味も悪くなかろう」
ハルはうんうんと何度も頷きながら、目を輝かせて食べ続ける。
「なんか……体の内側から元気になるって、こういうことなんですね」
「……それが、草の力というものだ」
あたたかな朝の光が差し込む山小屋の中で、ふたりはゆっくりと朝食を共にした。
食事を終えると、ふたりは無言のまま食器を台へ運び、自然と片付けを始めた。
洗い物をしているとき、ふとハルの目に、おじいさんの指先が映った。
爪の根元——そのあたりに、小さく巻かれた布のようなテープがある。
「……指、ケガされてるんですか?」
ハルが心配そうに尋ねると、おじいさんは一度手を止め、視線を落とした。
だが、声に濁りはなく、ただ静かに答える。
「……これはな。土をいじっておると、どうしても爪が割れてしまう。初めは薬で治しておったが……すぐまた割れる。今は、テープを巻くだけにしてある」
言いながらも、手を止める気配はない。
だが、ハルは首を横に振り、前に一歩出た。
「じゃあ、今日だけでも……僕がやります。水、冷たいですし」
おじいさんは少しだけ目を細めたが、何も言わずに手を引いた。
ハルは袖をまくり上げると、てきぱきと器をすすぎはじめた。
水は確かに冷たい。けれど、その冷たさよりもずっと、心はあたたかくて。
小さな音を立てながら、静かな朝の山小屋に、ひとつずつ器が重ねられていった。
片付けが終わると、ハルは手を拭きながら、おじいさんの前に立った。
「昨日は、本当にありがとうございました。ごはんも、お風呂も、あたたかくて……すごく元気が出ました」
素直に頭を下げたあと、ハルは少しだけ表情を引き締めた。
「もしまた、魔物が現れたら……僕に知らせてください。指名依頼でもいいです。すぐに駆けつけますから」
言葉に、迷いはなかった。
おじいさんは一瞬だけ黙ったあと、小さくうなずいた。
そして、くるりと背を向けて、奥の扉を指差す。
「……ちょっと、こっちに来い」
案内されたのは、山小屋の一角にある調合部屋だった。
棚には小瓶や乾燥草、粉薬に刻印入りのラベルまで、見たこともない材料がきちんと並んでいる。
その中から、いくつかの瓶を丁寧に取り出すと、おじいさんはそれを布袋に詰め、ハルに差し出した。
「……昨日のお礼だ。受け取っておけ」
「えっ……いいんですか?」
「……いい。市販の薬で効かんときは、これを使え。効きは、保証する」
ハルがそっと袋を受け取り、中をのぞく。
瓶には、手書きのラベルが貼られていた。
『毒消し』、『麻痺止め』、『各種ポーション類』、そして——
『緊急用』
最後の一瓶を手に取ると、色は曇った琥珀色で、わずかに光を放っていた。
「これ……」
「……説明は要らんだろう。使う時が来たら、そういうことだ」
おじいさんの声は、いつもと同じ調子だった。
だが、そこには無言の思いやりが宿っていた。
布袋を大事そうにポシェットの中へ収めたあと、ハルはもう一度、深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。……お世話になりました」
セン爺はうなずきながらも、扉の外へ目をやる。
「……もうすぐ陽も高くなる。帰り道は、気をつけろよ」
「はい!」
ハルは玄関でマントを直し、ポシェットをかけると、玄関先まで見送りに来てくれたおじいさんに向かって、ふと振り返った。
「……あの、僕、ハルっていいます。冒険者登録もその名前でしてます。……だから、また困ったことがあったら、ギルドにハルを指名してくれたら、絶対に来ますから!」
風が、草の香りを運ぶ。
セン爺は短く目を細めると、ほんのわずかに顎を引いてうなずいた。
「……名乗るのが遅れたな。わしは、センという。村では“セン爺”と呼ばれとる。……まあ、好きに呼べ」
「セン爺……ですね。覚えました!」
ハルがまぶしい笑顔を浮かべると、セン爺は「ふむ」と小さくうなずいた。
その瞳には、少しだけ、別れを惜しむような揺らぎがあった。
「……元気でな。坊」
「はいっ!」
森へと続く道を、ハルは振り返ることなく駆け出した。
その背に、柔らかな陽光と、静かな草風が寄り添っていた。
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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