おじいさんの薬草小屋
魔力果の甘酸っぱさが口の中に残る中、ハルはそっと立ち上がる。
怪我の痛みも、もうほとんど気にならない。
跳び角獣の方へ歩み寄り、その姿を見つめる。
角の根元に埋め込まれた魔石は、先ほどの一撃で割れ、力を失っていた。
「……ありがとう。素材、使わせてもらうね」
小さく呟いてから、ハルはいつものように道具を取り出し、丁寧に作業を始めた。
角は一本ずつ布で包み、魔石の破片も欠けの少ないものを選んで瓶に収める。
その手元を、おじいさんが黙って見守っていた。
すべての作業が終わると、ハルは森の端の柔らかい地面を選び、跳び角獣の遺体をそこへゆっくりと運んだ。
手にしたシャベルで、ひと掘り、またひと掘り。
弔うように、静かに穴を掘り、体を丁寧に横たえ、そっと土をかぶせていく。
「……ありがとう。安らかに、眠ってね」
小さな声でそう言ってから、手を合わせる。
おじいさんも、その隣に静かに立ち、帽子を胸に当てた。
夕暮れの赤が、森をゆっくりと染めていく。
やがて日がすっかり落ちた頃、空には星がひとつ、またひとつと灯り始めていた。
「……済まん。時間を取らせたな。……礼を言う」
荷馬車へ戻る途中、おじいさんがぽつりと呟いた。
「いえ……。ちゃんと弔ってあげたかったので」
「そうか……」
しばしの沈黙のあと、老人はふと足を止め、ハルを振り返る。
「……夜道は危ない。獣も出るし、足元も悪い。……泊まっていけ。部屋くらいはある」
ハルは少し驚いた顔をしたあと、すぐに微笑んだ。
「……はい。ご迷惑じゃなければ、お願いします」
老人の頬がほころび、荷馬車の後ろを指さした。
「……乗れ。ゆっくり行くぞ」
森を抜ける荷馬車が、月の光に照らされて、静かにゆっくりと動き出した。
道の脇では虫の音が鳴き、時おり木々の間を風がすり抜ける。
ポーションで和らいだ肩の痛みも、荷馬車の揺れとともに遠のいていくようだった。
村の明かりが見えてきた頃には、夜空には満天の星が瞬いていた。
家々は小さくまばらで、どの家にもランプの灯りが優しく揺れている。
おじいさんの家は、村の外れ、少し小高い丘の上にあった。
木造の小屋で、外壁には時折補修された跡が残っている。
けれど、古びた様子のなかにも、丁寧に手入れされてきた温もりがあった。
玄関の横には、屋根付きの馬小屋があり、荷馬車を引いてきた老馬がのんびりと干し草をかじっていた。
その隣には、小さな畑と、乾燥棚のかかった棚が並んでいる。
畑には、見慣れた野菜のほか、薬草らしい香りの強い葉や、夜でもうっすらと発光するような植物が揺れていた。
どれもおじいさんが手入れしているのだろう。雑草ひとつなく、整然と並べられている。
扉を開けると、中は土間になっていて、石張りのかまどや、木で組まれた簡素な台所がある。
壁には乾燥した香草が束ねて吊るされており、淡く土と木の匂いが漂っていた。
囲炉裏の上には鉄鍋がかけられていて、まだ火がくすぶっている。
その奥にある寝台は、毛布と手織りの布で丁寧に整えられており、誰かを迎える準備がされているかのようだった。
「……入れ。湯を沸かす。冷えた体は早めに温めた方がいい」
おじいさんの言葉に、ハルは「はい」と小さく頷き、暖かな光に包まれたその山小屋へと足を踏み入れた。
戸が閉められ、外の夜の冷気が遠のく。
囲炉裏の火がぱちぱちと音を立てて揺れ、じんわりと体の芯まで温めてくれる。
おじいさんは黙って鍋に水を足し、手際よく火力を調整しながら、奥から数種類の根菜を取り出して切り始めた。
「……改めて礼を言う。助かった」
野菜を鍋に入れる手を止めることなく、ぽつりと呟く。
「……粗飯で済まん。口に合うかわからんが、食え」
少しして出されたのは、湯気の立つ汁物と、ふっくらと炊かれたご飯。
器の横には、薄くスライスされた野菜の塩漬けが添えられていた。
汁には、見たことのない形の野菜や、不思議な色合いのきのこがいくつも浮かんでいた。
それでも、ふわりと立ちのぼる香りはどこか懐かしく、素朴で、体の奥から食欲をそそる。
塩漬けは、シャキッとした歯ごたえの中に、ほんのり甘みもあり、地の恵みを感じさせた。
ハルはひと口すすって、ふっと表情をゆるめる。
「……すごく、美味しいです」
その言葉に、おじいさんは「そうか」とだけ言い、薪を少しだけくべ足した。
ふたりの間には、それ以上の言葉はなかったけれど、囲炉裏の火が語るように、あたたかく穏やかな時間が流れていた。
「……今日は疲れただろう。奥の寝台を使え。……風呂も、扉の向こうにある。湯はまだ温いはずだ」
声に押しつけがましさはなく、ただ静かに、あたたかく告げられる。
ハルはすぐに頭を下げた。
「ありがとうございます。……ほんとに、助かります」
いただいた風呂は、薪の香りがほのかに漂う湯だった。
石を積んだ浴槽には、乾かした薬草を詰めた布袋が、ぷかりと浮かんでいた。
湯気とともに立ちのぼる香りは、土と草を混ぜたような、どこか懐かしい匂い。
湯に浸かると、肩のこわばりがじんわりとほぐれていくのがわかった。
湯から上がると、寝台にはふかふかの毛布が用意されていた。
森の夜は少し冷えたが、囲炉裏の残り火と、干し草の温もりが心地よい。
ハルは胸元のマント留めに手を添え、そっと魔力を流し込む。
ツムギとぽてとお揃いのパーツが埋め込まれたその留め具は、魔導通信機としての機能も兼ねている。
かすかに光が灯り、通信が始まる。
——《こちらハル。今日は帰りが遅くなってしまいそうなので、依頼先の方に泊めていただくことになりました。明朝、帰ります。元気です》
装置の中の魔石が淡く光り、通信が完了する。
これで、POTENハウスのみんなにもちゃんと伝わったはずだ。
「……今日は、油断しちゃったな」
毛布をかぶりながら、小さくつぶやく。
(戦闘中は油断禁物。それと、冒険者だから、ちゃんと報告は忘れない……)
そんなことを考えながら、まぶたが重くなる。
囲炉裏の灯りが壁に揺れて、夜の静けさが、ゆっくりと夢へと連れていった。
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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