灯る雫、満ちる心
砂煙が徐々に収まり、視界が静かに晴れていく。
まず浮かび上がったのは、ひとり立つ影——ハルだった。
荒れた石畳の中央に、膝をつきかけながらも、彼はしっかりと立っていた。傷だらけの身体から、ゆっくりと深呼吸が漏れる。
そのすぐ足元で、カブトーンの姿が淡く光を放ち、やがて霧のように溶けて消えていく。
残されたのは、ひときわ頑丈そうな——発光する甲殻の破片。
刃をも弾いたその外殻は、魔物が最後まで手放さなかった“力”の名残だった。
ハルがそっとそれを拾い上げたとき——空気が変わった。
緊張が解けたように、風の音が穏やかになる。
風に混じって、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
それは、どこにも見当たらないはずの花の匂い。
「……この匂い……」
ようやくウィンドサークルの外へと出られたエドが、立ち止まって周囲を見回した。
ゆるやかな曲線を描く壁の向こう、奥の空間がふんわりと開けている。
その先には——
星明かりを受けたように、淡く光る花々の群れが広がっていた。
青白い花弁が微かに揺れ、ひとつひとつの中心には、ぽたりと光を抱いた雫が宿っている。
それはまるで、星のひとかけらを閉じ込めたような、“結晶のしずく”。
「……星灯の雫……」
ハルが、小さな声で呟いた。
……そのときだった。
静けさの中、淡い振動と共に、足元に柔らかな光の輪が浮かび上がる。
「……これは」
バルドが目を細めて、そっと石畳を指さす。
そこには、見慣れた魔法陣——
“帰還陣”が静かに展開されていた。
その光が広がるにつれて、ハルが展開していた《ウィンドサークル》もまた、風の音を残しながら、そっとほどけていく。
まるで、役目を終えたとでも言うように。
光の道が拓かれ、やわらかな風がふわりと流れる。
「……このダンジョン、ここで終わりか」
エドが、安堵したように呟く。
ふと、足元を照らす魔法陣に目をやりながら、ハルはそっと呼吸を整えた。
——カブトーンとの戦い、仕掛け扉の謎、そして光の導き。
そのすべてが、ここへ導いてくれたのだ。
花畑の中央で揺れる、星灯の雫の光が、まるで祝福のように三人を包み込む。
「星詠の遺跡、クリア……かな」
小さく呟いたハルの声が、花々の間を抜けて、まるで星空に溶けていくようだった。
ウインドサークルの風が静かに消えた後
ようやく解放されたバルドとエドが、駆け寄るようにハルの元へと急いだ。
「ハル! 無事か!? どこか痛むところはないか!」
「ポーション、まだある? 飲める?」
バルドがハルの背を支え、エドがポーチから予備のポーションを差し出す。
ハルは小さく頷き、それを受け取って一気に飲み干した。
「……っふう。ありがとう、先生、エドさん。……アドバイスも」
「ん? アドバイス……?」
バルドが眉をひそめる。
エドも小さく首を傾げた。
「わしら、何も言っとらんが……? あれは、全部ハル一人で——」
ハルは一瞬きょとんとしてから、ふとマントどめに触れた。
確かに、あのとき——あの声が。
(……じゃあ、あれは……誰?)
だが、答えは風の中に溶けていった。
いまは、ただ静かな余韻だけが残っている。
その静けさを破ったのは、エドの声だった。
「うわっ……これ、すごいよ。カブトーンの甲殻、見てください! この硬さと質感……魔導防具の外装にも使えるんじゃないかな?」
バルドも腕を組んでうなずく。
「ふむ。加工作業は骨が折れそうじゃが……この曲線、削らず活かせれば、飛び道具の反射板にも使えそうじゃのう」
「星灯の雫も、見てください! あっちにも群生してる。これだけ持って帰ったら、ツムギさん、きっと喜びますよね!」
エドが嬉しそうに駆け出しながら、手帳にメモを取り始めた。
「ナギも間違いなく騒ぐな。光る雫入りのアクセサリとか、即、試作しそうじゃ」
そんなふたりのやりとりを聞きながら、ハルはポシェットから丁寧に道具を取り出す。
ガウスから譲り受けた短剣は、こうした繊細な採取にぴったりだった。
刃を傷つけないようにそっと角度を調整し、星灯の雫を抱いた花の根本へと添える。
空の小瓶を取り出し、ひとつひとつ慎重に、雫をすくっていく。
光のしずくが瓶の中に落ちるたび、ぱちん、と星の音が鳴ったような気がした。
(これを使って、みんなはどんなものが作れるんだろう……)
胸の奥で、またひとつ、小さなわくわくが灯っていた。
光る花々に囲まれながら、三人は星灯の雫の採取を続けていた。
それぞれが持参した小瓶を取り出し、慎重に雫を収めていく。
「にしても……」
エドがふと手を止め、溜息まじりに呟いた。
「ハルがあんなに強いとは、正直、思ってなかったよ……ごめん、ちょっと驚いた。僕たち、全然戦えなくて……結局、守られるばっかりで……情けないなって」
「うむ……。わしも、もう少し何かできればとは思ったんじゃが……完全に後方支援しかできんかったからのう」
バルドも小さく肩をすくめる。
するとハルは、ぷくっと頬を膨らませて、唇を尖らせた。
「でも僕、みんながすごいものを作ってる時、いつもそう思ってるんだよ!」
二人がハルを見つめると、ハルは小瓶をそっと置いて、少しだけ照れくさそうに笑った。
「僕は、あんな風に装飾を作ったり、道具を工夫したりできないし。透輝液で魔法陣を作るのだって、魔石を加工するのだってできないし……。
それに比べたら、今日の戦闘なんて、僕にできることをやっただけだよ」
「……ふふ。そう言われると、確かにお互い様かもしれんのう」
バルドが笑い、手元の雫に目をやった。
「ハルの素材がなければ、そもそも作れんものばかりじゃ。特に、この星灯の雫なんぞ……わしらが欲しくても、ボスに勝てる気がせんし、きっと手が出せんかったじゃろう」
「それに、気泡抜き手伝ってくれたりしてるじゃないか。あれ、めっちゃ助かってるよ」
エドも微笑んで言う。
「あと……ハルはさ。そこにいてくれるだけで、けっこう癒しなんだよね」
「そ、それってどういう意味……?」
ハルがやや困惑したように眉を下げると、バルドがにっこりと目を細めて言った。
「不可欠、ということじゃよ。ハルはの。お主がおらんかったら、POTENの空気、たぶんちょっと味気なくなるんじゃからな」
「……そっか」
ハルはぽつりと呟き、また手元の雫をひとつ、瓶にそっと収めた。
自分が「何かをしたから」ではなく、「そこにいるだけで」誰かの役に立っているということ。
言葉にされて、初めて気がついた。
ずっと何かを“しなくちゃ”と、自分を急き立てていた。
役に立つことで、認められたくて。誰かに必要とされることで、自分の価値を確かめたくて。
でも今、バルドたちの言葉が、胸にやわらかく染みこんでいく。
(……ぼく、何もしなくても、いていいんだ)
静かな風が、雫を揺らす。
まるで「それでいいよ」と、花たちが微笑んでくれているようだった。
「いるだけでいい」なんて、今まで誰にもはっきりとは言われたことがなかった。
けれど今、その言葉が、確かに存在していた。
それは、心のどこかでずっと欲しかった答えだったのかもしれない。
星灯の雫がきらりと光り、静かな満足感と、あたたかな気持ちが、胸の奥に満ちていった。
明日も23時時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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