立ち入れぬ風
ごめんなさい。1話飛ばして投稿してしまっておりました。
うつ伏せに倒れたまま、ハルはわずかに顔を上げた。
耳の奥で、自分の鼓動だけが遠く鳴っている。
(まだ……終われない)
そのときだった。
ポシェットが、かすかに揺れた。
次の瞬間——
内側から、微かに光が漏れ出す。
(……え?)
ハルが、震える手でポシェットに触れる。
まるで意思を持つように、するりと指が滑り込むと——
そこには、冷たいガラス瓶の感触があった。
「……ポーション……?」
いつの間にか、手の中に握らされていた。
ポシェットが、自分を助けようとするように。
ハルは、小さく笑った。
「……ありがと」
ゆっくりと身体を起こし、震える手でポーションの蓋を開ける。
呼吸は浅く、視界もまだ霞んでいたが、それでも——
自分の力で、飲み切った。
温かな液体が喉を通り、傷口に広がる。
痛みは残っている。それでも、身体は少しずつ動くようになった。
「っ……よし……!」
立ち上がろうとしたそのとき。
ふと目に入った、自分の胸元。
魔導通信機であるマントどめが、淡く光っていた。
「……え?」
小さく眉をひそめながら、ハルはそっと指先でその光に触れる。
すると——
《……ハル。よく目を凝らすんだ。……弱点が、見えるはずだ》
かすかに、声が届いた。
優しく、でもどこか必死なその声に、ハルは思わず目を見開く。
(……バルド先生? いや、エド……?)
けれど、それ以上考えている暇はない。
光の魔法具が淡く脈打つたび、敵の気配はすぐそこまで迫っていた。
ハルはぐっと息を吸い、痛む体に力を込めて立ち上がる。
(そうか……目を凝らすんだ。カブトーンを見れば、弱点が見えるかもしれない!)
ハルは痛む体を支えながら、敵の気配に神経を集中させた。
空気が揺れる。風がざわつく。カブトーンが——来る。
「……ッ!」
反射的に目を凝らす。暗闇を、光の残滓を、すべてを捉えるように。
その瞬間——見えた。
ツノの根元。そこだけ、かすかに魔力の流れが揺れている。
まるでそこが、鎧の継ぎ目のように……脆い。
(——あそこだ!)
同時に、カブトーンが宙を滑るように疾走し、
巨大なツノを振りかぶって突っ込んできた。
ハルも跳ねるように駆け出す。
互いに向かって——一直線。
「うおおおおおっ!!」
短剣を逆手に構え、狙いを定めて踏み込む。
敵のツノが目前に迫り、ハルの刃も、目標へと届こうとするその瞬間——
——光が弾けた。
風が吹き抜け、火花が散る。
どちらが先に届いたのか、それとも——
砂煙が上がる中、視界はかすみ、音も一瞬消えた。
*****
——ほんの少し、時を巻き戻す。
あの一撃が交差する前。
カブトーンに、ハルがひとり立ち向かう決意をしたその瞬間。
バルドとエドは、彼の背後に展開された風の結界の中にいた。
その結界の中では、もうひとつの“戦い”が始まっていた。
誰かを信じ、見守るという覚悟。
それは、剣を振るうよりも、ある意味で強さを試される場だったのかもしれない。
強烈なうねりと共に、エドとバルドの周囲を囲うように展開された《ウィンドサークル》。
その直後——カブトーンが消えた。
「なっ……!? 姿が……!」
目の前で起きた事態に、エドが思わず声を上げた。
そして次の瞬間、宙を裂くような閃光。
何かがハルを目がけて突っ込んでいったのを、ふたりは確かに見た。
「ハルッ!!」
バルドは即座に風の壁へ駆け寄った。
だが、その手が触れるより早く、壁の内側から生まれた魔力のうねりが彼を押し返す。
「ぐっ……この風は……!」
風が怒っているようだった。
触れるな、ここから出てはいけない。——そう言っているかのように、絶対に通さない決意を感じる。
「これは……ハルが自分の力で、僕たちを守るために“外”に出してるんだ……!」
エドの言葉に、バルドは唇を噛み締めた。
「くそっ……」
風に手をかざしながら、奥を見つめる。
煙と光がぶつかるその中に、確かにハルの姿がある。
——ひとりで、立っている。
ハルがここまで強くなっていたことを、誇らしく思う気持ちと、
同時に、どうしようもない焦りが胸に渦を巻いた。
(そうじゃ。わしが——わしが頼りすぎておったんじゃ)
指導者として、親代わりのように見守ってきたはずだった。
けれど、その背中はもう、自分の手から離れて遠くまで来てしまっていたのかもしれない。
「バルド先生……」
エドが隣で、小さく声を落とす。
「……何もできないのが、こんなに歯がゆいなんて思わなかった」
「わしもじゃ……」
また風の壁が揺れた。
その内側で、再び光が爆ぜる。
バルドは、もはや待っていられないとばかりに、風の壁に手を伸ばす。
「くそっ、この風をどうにかしなければ……!」
エドもすぐに駆け寄り、ウインドサークルを無力化しようと魔法をぶつける。だが、二人の目前には、
ハルが展開した《ウィンドサークル》の防壁が、しっかりと立ちはだかっていた。
ぐううう、と唸るような風圧。
「この風……強すぎて、突破できない……」
エドが歯を食いしばる。
その横で、バルドはじっと拳を握り締めていた。
「ば、馬鹿者……! なぜ一人で、ここまで——」
声が震えていた。
心配でたまらない。今にも飛び出して行きたい。
だが、風の壁は容赦なく二人を“外”に留める。
目の前には、巻き上がる砂と光の残滓。
ただの一秒すら、永遠のように長く感じられた。
「……頼む。無事でいてくれ、ハル」
バルドのその声は、風に消されるように、小さく響いた。
明日も23時時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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