扉の先
開いた扉の先には、ひんやりとした空気が漂っていた。
ふたりが慎重に一歩を踏み出すと、そこには——静まり返った、広くて丸い空間が広がっていた。
「……ここが、一階の最深部?」
リュカの声が、ほんの少しだけ響く。だが返事をする者はおらず、部屋は不思議な静けさに包まれていた。
魔物の気配はない。ボスらしき姿も見当たらない。
ただ一つ、奥の壁際にぽっかりと開いた小さな階段が、闇の中へと静かに続いていた。下の階層への入口——それは、まるで深淵がこちらを静かに見つめているかのようだった。
「……降りようと思えば、行けるけど……」
ハルが階段の先を見つめたまま、そっと呟く。
「……やめとこっか。今日はここまでにしよう」
リュカが笑いながら肩をすくめると、ハルもふっと息をついた。
一階をまわるだけでも、思っていた以上に魔物との戦闘も多く、気力も体力も削られていた。今の自分たちでは、もしこの下に何かが待っていたら……対応できるかどうか、確信が持てなかった。
「もう少し準備してからにしよう。ちゃんと対策して……それから、また来よう」
ふたりは顔を見合わせ、小さく、でもしっかりと頷いた。
そしてもうひとつ、部屋の隅には魔法陣のような光の輪が静かに描かれていた。淡い光をたたえるそれは、“帰還陣”。
踏み込めば、ダンジョンの外へ送り出してくれる、安全な脱出口だ。
「これで……ちゃんと、戻れるんだね」
ハルがそっと息をつく。
この場所全体が、どうやら“セーフティゾーン”になっているらしかった。
ダンジョンでは、次の階層へ進む前や、ボスの手前などにこうした安全地帯が設けられていることが多く、そこで一度立て直すのが冒険者たちの通例とされている。モンスターが入ってこない“守られた場所”——緊張の糸がゆるみ、自然とふたりの表情にも安堵が滲んだ。
けれど、それよりも目を奪われたのは——その部屋の壁に広がる、まるで宝物庫のような光景だった。
「……うわあ……」
壁の一面に、色とりどりの魔石が埋め込まれていた。
赤、青、金、緑、紫——大小さまざまだが、どれも拳の半分ほどの大きさがあり、深く澄んだ輝きを放っている。数にすれば、何十個とあった。
それはまさに、「魔石だまり」と呼ぶにふさわしい光景だった。
「ツムギお姉ちゃん、見たら絶対大興奮だよ……!」
ハルが感嘆の声を上げると、リュカも「おぉ〜……これはテンション上がるな!」と目を輝かせた。
けれど感動のあとの疲労感は隠せず、精神的にも肉体的にも限界が近づいていたふたりは、今日はこの“セーフティゾーン”で一泊することに決めた。
「さてと……テント出すか!」
リュカがそう言うと、ハルはポシェットをごそごそと漁る。
「えーっと、まず寝袋でしょ、テントの骨組み、それから簡易テーブルと……」
次々に取り出されるアイテムを見ながら、リュカが思わず吹き出す。
「いやもう、おかしいだろそれ……この大きさのポシェットから、なんで全部出てくるんだよ!? やっぱエグいわ、そのポシェット」
「えへへ……進化しはじめた時は、僕も信じられなかったけどね。いくら入れても重さが変わらないし、中で勝手に整理までしてくれるんだよ?」
「もはや魔道具というより神具だよな、それ……」
リュカはじっとハルのポシェットを見つめたかと思うと、目を輝かせて言った。
「なあ!俺にも一回出させてみてくれよ! なにか取り出すの、やってみたい!」
「えっ、いいけど……たぶん無理だと思うよ?わかってると思うけど」
そう言いつつ、ハルがポシェットを差し出すと、リュカは嬉々として手を突っ込んだ。
……しかし。
「……あぁ、やっぱり空っぽかよ。全然何も入ってない、ただのポシェットじゃん……」
「やっぱり、そうだよね……」
ハルは少し苦笑しながら、リュカのしょぼんとした顔を見た。
「創術で進化したアイテムって、やっぱり“持ち主”にだけ反応するんだね」
「そうだよな……盗まれても悪用されないようになってるから、盗む人がいないのはいいけどさ……」
リュカはしばらくポシェットをまじまじと見つめていたが、やがて唇を尖らせて叫んだ。
「でも! 俺も一回でいいから、びょんって何か出してみたかったー!」
ハルは思わず吹き出しながら、ポシェットを受け取りなおした。
その様子に、ポシェットもふるりと揺れた。まるで、リュカの反応を面白がっているかのように、楽しげに小さく震えている。
そんな冗談を言い合いながら、ふたりは手際よく野営の準備を進めていく。
テントを立て、ライトストーンを天井に吊るし、簡易マットと寝袋を広げると、そこはもう立派な“冒険者のキャンプ”になっていた。
テントの中に座り込み、ハルはポシェットから小さな包みを取り出した。中には、携帯食の干し肉と薄いクラッカー、そして魔力果を乾燥させたドライフルーツ。
「ほら、リュカ。疲れたでしょ、食べよ」
「おお〜!やっと飯か!戦ったあとの飯って、何倍も美味く感じるよな!」
リュカは勢いよく干し肉にかぶりつくと、すぐに口の中でもぐもぐと噛みしめ、満足そうにうなずいた。
「うん、うまい!ちょっと塩っ気強いけど、それがまたいいんだよな」
ハルも一口かじってから、ふぅと小さく息をついた。まだ身体の奥に戦いの緊張が残っているような気もするけれど、ライトストーンの柔らかい光の下でこうして食事をしていると、不思議と心がほぐれてくる。
「ねえリュカ。こうしてダンジョンの中でキャンプしてるって、ちょっと冒険者っぽくない?」
「ちょっとどころか、めっちゃ冒険者っぽいぞ、これ。やっぱりダンジョンってびっくりすることだらけで、ほんと楽しいよな」
笑いながらクラッカーをかじるリュカを見て、ハルも自然と笑顔になった。
ライトストーンがふんわりと光を揺らし、2人の影がテントの内側に映る。
ダンジョンの静かな最深部に、ちいさな灯りと、笑い声が、優しく溶けていった。
明日も23時時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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